プラトンによると、遥か昔 人類がこの地に誕生したときは、両性具有であったという。

 

しかし 人間の自我があまりに

肥大化してしまったことから、

神は 人間を 男性と女性の二つに切断します

 

半身は本来の「完全」な姿になろうと

もう一方の半身を求めるようになった。

 

この失われた半身(もう一人の自分)を求めることが

エロス(愛)の始まり」といわれています。


 

それ以来 男性性と女性性は 時に必要とし合い、

時にすれ違い、争い続けてきました。

 

男性性と女性性をさらに抽象化すると

 

昼(太陽=生)と夜(月=死)、

理性と感性、

火の文明と水の自然、

外側(時間軸)と内側(生命軸)、

 

一神教(天の父:キリスト教)と

多神教(地の母:アニミズム、龍)

 

という相対関係になります。

 

古代には 女神(女性性)中心の世界が存在したのですが、ここ数千年は 男性原理(父の力)の文明が築かれてきており、女性原理(母の力)は隠されてきました。

 

ゼウスの奥さんのヘラは 嫉妬深い女神として有名ですが、元々は 侵略された側の土着の地母神でした。

 

ギリシャは侵略した土地を 支配するために 自分たちの神(ゼウス)の妻として、ヘラ(土着の神)を再利用して、他の民族を統治したのです。

 

かつて東北地方には もののけ姫のアシタカのモデルになったアテルイ(阿弖流為)という 家族や郷土を愛する優しくて強い蝦夷の英雄がいましたが、大和朝廷から見れば 征伐の対象であり 野蛮人でした

 


なにごとも 裏と表があるもので、神話に出てくる悪魔や悪神とは もとを辿れば 西洋では キリスト教(一神教)に追いやられた  土着の神々(多神教)です






バビロニアの創世神話では、旧勢力の「女神ティアマト7つの頭をもつ巨大な龍」が、新勢力の「マルドゥク=牡牛」に対立する悪神として退治されますが、

 

キリスト教が台頭してきた中世ヨーロッパの時代に この物語は、天使ミカエルが竜を退治する話に書き換えられています

 

牡牛(マルドゥク)が 龍(ティアマト)を退治する…という物語は、日本では スサノオが 8つの頭を持つヤマタノオロチ(大蛇)を退治する神話として登場します。

 

スサノオは 仏教では 頭天王とも呼ばれているので、

マルドゥク(牡)と同じアーキタイプです。

 

 歴史は勝者が作る…といわれますが、

 世界の神話を深く読み解いていくと、

 

 男性原理によって 封印されてきた

 女性原理の世界が 見えてきます。

 

 


 

スサノオが八岐大蛇を退治する前に

大宜津比売神(オオゲツヒメ)という女神が登場します。

 

スサノオが下界へ追放されるとき  お腹がすいて

オオゲツヒメに食べるものをくれるように頼みます。

 

するとオオゲツヒメは

自分の鼻や口、お尻の穴から

いろいろな食べ物を出して、料理してさし出した。

 

するとスサノオは

「そんなものが食えるか!」

と女神を切り殺してしまいます。

 

すると

その亡骸の頭からは 蚕(カイコ)が生まれ、

二つの目からは稲ができ、

二つの耳に粟(アワ)がなり、

 

鼻に小豆(アズキ)がなり、陰(ホト)に 麦がなり、

お尻から大豆ができた。

 

ここで注目したいのは 古事記の中で

大宜都比売と阿波国が結びつけられていることです。

 

この阿波国(徳島)は「食」においても後に御食国として天皇に産物を献上する特殊な国として位置づけられていると同時に

 

カタカムナの世界観では 阿波はアワで、

女性性を象徴してます

 

イザナミやオオゲツヒメのような


地母神的女神(地球)が 

文明の火(男性性)に焼かれる(殺される)ことで 


新たなる生命がうまれて、

人間の生活に必要なものを生み出してくれるという

 

「死と再生の神話」は

「もののけ姫」のラストと酷似しています。

 

 


 

文明の象徴である

エボシ御前に首を狩られたシシ神は、

 

バラバラになって、

森の生命を奪いながら 襲いかかります。

 

その後 サンとアシタカが首を取り戻し、

シシ神に返すと、朝陽を浴びて倒れ、

風になって消滅します。

 

この風が降り注いだ場所から 

方々に緑が芽吹き、

森が再生して、物語は終わりますが、

 

その結果、日本に元々あった太古の森は、人間社会にとって便利な“里山”や“雑木林”になってしまいます。

 

人間にとって利用しやすい自然に作り変えられた分、古代の樹木が失われ、 古代の神々たちが いなくなる 切ない物語なのです

 

男性(文明)が 女性(自然)を犠牲にし続けてきた結果、

現在の日本も  毎年 水害に襲われていますが、

 

宮崎駿作品の根底には

男性性(文明)によって汚染されてしまった世界を

女性性(自然)が癒す…という神話的な構図があります。

 

未来少年コナンでは 都市国家が海に沈み、

風の谷のナウシカでは 文明が腐海になり、

水に沈んだラピュタ文明は 森になって空を漂い、

崖の上のポニョでも  街に洪水が襲ってきます。

 

男性性の社会である火の文明が 

女性性の象徴である水によって

浄化される物語が多いですよね。

 

宇宙の中に初めて現れた天之御中主という古事記の神がいますが、これも『水中主(みなかぬし)=水の中の主』とも言います。生命の根幹は 女性原理(水)であることを意味しています

 




シュメール神話の「イナンナの冥界下り」、

エジプト神話の「女神イシスの放浪」

そして 日本神話の「黄泉の国のイザナミ」など……

 

神話の女性たちは 

生の世界と死の世界を行き来します。

 

つまり

死の世界に通じている女性性は

神の世界と繋がっている者であり、


真実の世界(ザイオン)と

幻想の世界(マトリックス)を繋ぐトリックスターです。

 

たとえば 

ナウシカは 人間(生)と腐海(死)の間を

行き来する中間者(媒介者)でした。


 

 


 

ナウシカが 腐海を通じて 

世界の秘密、真実を見出すことができたのは、


彼女が 

人間の世界(生)と

腐海の世界(死)の中間に存在していて、


人間(文明)と腐海(自然)の両面から

世界の真実を見極める必要があったからです。


 

でも 同時にそれは 

誰にも理解されない孤独な旅路であり、

人間と王蟲(異界)の間を媒介する者の苦悩があります。

 

世界の滅びと愛する者たちの死を目前にして

ナウシカが こうつぶやく場面があります。

 

 

“もう何もかも手おくれだ

ここが私の旅の終わりだろうか…


こんなに世界は美しいのに

こんなに世界は輝いているのに…”

 


 

 

世界を救うには 女性原理(王蟲の心)が必要だ』とわかっていながらも、現状を変えられないことに深く絶望しているシーンです。

 


しかし 人間の愚かさに絶望したとしても、

作者は 人間の世界に生きろ、と訴えかけます。


ナウシカについて 宮崎駿はこういいます。

 

エコロジストとか 自然愛好家とかいう人がいるけど、なぜか人間嫌いの世捨て人になっちゃうでしょ。人間社会の否定の側しか立たないんですよ。ぼくは 自然を愛しながら なおかつ 人間の世界にとどまっている魅力のある人物を描きたいと思ったんです

 

 



トリックスターとは、神話の中で、旧い秩序を破り、物語を展開する者で、善と悪、破壊と生産、英雄と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴です。

以前 ブログに書いたように

初期の彼の世界観や古代の神話は、

 

トリックスターの主人公が

 一度 地下世界(どん底)に落ちてから

 地上に戻っていく物語です。

 

たとえば、

 

カリオストロの城なら

ルパンが  城の頂上(天)から 一度

地下の奈落世界(死骸、闇) に落とされてから↓

姫を取り戻すために 復活し 頂上に向かいます↑

 

 

{90780A38-EF6D-4C26-A754-54E56C02A2AB}

 

 

天空の城 ラピュタなら

 

冒頭に シータが 空から 地上に落とされ↓、

さらにパズーとシータが 地下世界に落とされてから 

再び 空(ラピュタ)に向かい始めます。

 

 

{1B429D50-4226-420D-8EAB-B217A58211B5}

 

 

風の谷のナウシカの世界では、

放射能に侵された森(腐海)が広がっていますが

 

主人公は 腐海の底の底は  浄化された天国のような世界で、死の象徴だった腐海の木々は 実は 人間が汚した毒を 体に取り込んで 綺麗な結晶にしていたことに気づきます。

 

 

 

{33A25C4A-5925-400B-9104-8141178E2DC5}

 

 

主人公たちが 大いなる気づきを得るのは 


天高くにいる時でも 幸せな時でもでもなく、


底の世界(闇)にいる時でした。

 


人が生まれてくる時も 


闇の産道を通って出てきます(親は陣痛を経る)

  


 私たちも現実が大きく変わる前に


一度 別離、引きこもり、病気を経験したり、


どん底にいる時に  人生観が


大きく変わる経験をしたのではないでしょうか?


 

石上神宮に 受け継がれてきた

 

ひふみ祝詞というものがありますが、

 

その冒頭部分の

 

ひふみよいむなやこと

 

を  古代ヘブライ語に訳すと

 

誰がその麗しい女神を出すのでしょう。

  どんな言葉をおかけしたらよいのでしょう

 

という意味になり、


岩戸にこもった天照大神(女性原理)を


再び 呼び戻そうとする祝りになります。

 


世界最古の引きこもりが


天照大神であるならば、

 

2020年 世界中の人が 


引きこもりを経験したことにも


きっと何らかの意味があるのではないでしょうか。

 


この悲しみの星は 長い間


男性原理(またはヒトではないもの)に

 

乗っ取られてきましたが、


女性原理(天照)を岩戸から呼び戻す存在が 


トリックスター(中間者) です。



トリックスターは


一人ひとりの中に眠っていて、


いま それが 目覚めつつあります。








〜 好評ならつづく?〜