私たちは「ふたつ」の極性の狭間で
いつも選択に迫られている。

きれいでいることを選ぶと
醜さが、わたしの影になる

穏やかでいることを選ぶと
怒りが、わたしの影になる

理性的であることを選ぶと
狂気的な部分が、わたしの影になる

「誰かの期待に応えること」を選ぶと
「言えなかった本音」が、わたしの影になる

その影をなかったことにしていると 今度は
その影の存在を 身近な相手が教えてくれる






実は  恋愛関係で相手に対して感じる感情は
ご自身の「内面の奥深くに忘れ去られた過去
の投影であり、自分自身の影です。

あなたが父親と母親に対して隠し持っていた「わたしの本音」が、あなたの一番身近なパートナー、もしくはこれから出会うパートナーに対して抱く「わたしの本音」と 同じになります


私たちのパートナー選びは、「わたしの本音や影」があぶり出される相手を無意識に選んでいて、

ご家族や家系のネガティブな資質・自分の見たくない資質を持っている人と 恋に落ちる仕掛けになっています。

恋に落ちると、
その影を見ざるを得ないからです。

それでも、自分が「わたしの本音」に気づかずに、相手(パパとママ)の期待を生きていると、現実という「いま(スクリーン)」に、繰り返し「気づきのためのサイン」がやってきます。

「わたしの本音」と一致して生きていない。

その不一致が、現実に映されているから「わたしの本音」と一致しない現実が創造されていたのです。

ですから、
「わたしの本音」に正直でいてください

「わたしの本音」が、彼らを「嫌い」なら、
それを そのまま尊重してください。

そして、相手に嫌われないようにして
「偽りのわたしになろうとする」ことを一切やめる。

両親やパートナーを愛することと、
彼らの言う通りに生きることは、まったく違います。

彼らの期待に無理して応えたり、彼らの理想を真似ることは、愛することではないのです。

幼い頃から、親の期待を感じ取り「わたしの本音」さえも抑え込んでしまうほど、親とひとつに重なろうとしていると、あなたは 目の前の大切な人の感情とも、無意識に重なろうとします。
 

すると、「どこからどこまでが「わたしの感情」で、どこからどこまでが「相手の感情」なのか?」

その区別が、まったくつかなくなってしまうのです。

つまり、生まれたてのあなたが 最初に恋をしたパパやママの「ネガティブな感情」を、あなたは知らず知らずのうちに、受け取っていて、

私たちのネガティブな感情の多くは、
「家系(パパやママ)のネガティブな感情」
だったりもするのです。

優しいあなたは、恋するパパやママの「ネガティブな感情」をハートやみぞおちの奥に隠して、何十年も見ないようにしてきてしまったのです。

それほど、生まれたばかりの純粋なあなたは、大切な相手のすべてと、重なろうとして、両親のどんな理不尽な言動や間違いも、ひたすら我慢し、受け取ってきたのです。

(※その取り込んでしまったネガティブな感情の中には、生まれる前に へその緒が首に巻きついてしまった怖れの記憶や胎内で母親が感じていた将来の不安など…覚えていない記憶も含まれます。)


これが、私たちが 痛みのストーリー、
投影を繰り返すカラクリです。 

「恋をすること」を通して、両親への初恋の時に、自ら取り込んで抑え込んできた、彼らの痛みやネガティブな感情に、もう一度、気づくためのサインです。

なぜなら、恋をすることで、私たちは相手を深く知りたくなり、否が応でも両親(家系)の代替えである相手の感情を見つめることで、かつて、両親から取り込んでしまった、忘れていた「ネガティブな感情」を、どうしても深く見ざるを得なくなるからです

つまり、ライフ(人生)は 現在の関係を通して、私たちがずっと昔に みぞおち〜お腹辺りに葬った、怖れや罪悪感、無力感や絶望感という閉じ込められた感情に直面するお膳立てをしてくれているということ。


だからこそ、好きだからこそ受け取ってしまった
「両親のネガティブな感情」 
「家系や集合意識のネガティブな感情」を
一度すべて、彼らへと戻してみましょう。

心の中で
これは、わたしの感情ではない、
 すべてお返しします。

ただ、そう意図します。

そして、借りたものをずっと
返し忘れていた自分を、ゆるします。


ゆるす相手は、
両親やパートナーじゃありません。

ゆるす相手は、それを
忘れて抱え込んでいた自分です。


自分をゆるし、「わたしの本音」を尊重し始めると、徐々にあなたは、パパやママやパートナーの未熟な愛、不器用な愛を 心の中で 自然と ゆるせるようになります。


この感情は自分のものじゃなかったんだガーン

  過去と訣別すると、
「いま」と「あなた」が一つになります
 
自他の影(ネガティブ)をゆるし、
「いま」と一つになると、
人間の恋の妄想は 跡形もなく消えはじめます。

強く惹かれているのに、つながれない
ゆえに、すれ違って、離れる時が訪れる。


それはまるで、いずれ必ず旅立っていく

恋人同士の「別れ」というよりも、むしろ
親子関係の「自立」に似ていませんか!? 




【まとめ】


▪️「わたしの本音」だけが具現化する。


▪️「わたしの本音」には、自分が大事だと思っている家族や相手、「他人の本音」が取り込まれている。


▪️ 「わたしの感情」にも、自分が大事だと思っている家族や相手、「他人の感情」が取り込まれている。

なぜなら「本質は、愛であるわたしたち」は、目の前の苦しみを助ける方へ流れていく性質があるから


▪️「わたしの本音」を生きるために、一度取り込んでしまった「自分とは別人の考えや感情」は 元の相手へお返しする、と心で意図する


▪️
自分を責めてしまう時は、
自分自身の愛(本音)と結び直す。

パートナーシップとは「わたしの本音」との関係がそのまま映し出される鏡として見る





人生では 約束してきた人たちと、
また出会うために、別れます。

その別れとは 他でもない、
過去のあなた自身との別れです。

そして、再び出会う人とは他でもない、
あなたが あなた自身と出逢う約束なのです。

それは、わたしたちは、
ほんとうは「愛」なんだという、
真の「わたしの本音」と出逢うための約束です。


約束してきた相手とは、他でもない
あなた自身のことです。

優柔不断な相手がゆるせない人は
優柔不断な自分がゆるせない人です。

でも 優柔不断で マイペースな あの人は、
ほんとうは わたしの
隠していた「本音という愛」。

頑固だけど 繊細な あの人も、
ほんとうは わたしの
隠していた「本音という愛」。

「わたしの本音」を、認めていく
セルフパートナーシップを生きること。

その過程で 条件付きでスタートした関係は 
終わっていきます。

その際「別々の道を行くこと」が 
愛と調和の法則の働きである
という視点が持てるかどうか?がポイント。

そうやって、自分の本音と一致してくると
恋 ではなく、人生のパートナーと出逢ったり、
魂のヴィジョンから、創造が起きてきます。
(※人生のパートナーは 異性とは限らない)


「自分の本音との一致」とは、
「自分との結婚」であり、
「過去と離婚して、いまと結魂」すること。

 いま目の前にいてくれる人も、
「すべてが一つに繋がっている」
 あなた という わたし(いま)なのです。




今回のブログが刺さったという方は
下記の「魂で恋をする」 という本を
一度読んでみてほしいです↓

めちゃおすすめです✨↓

帯にも書かせていただきましたが、
この本を読めば、
二人が出逢ったミッションがわかると思います❣️






切れ端を拾えない人もいる



生存確認する人もいる


「好きな重さ」がある人もいる

   (作画:南十字 明日菜さん)