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今日は暑かったです。
30度位かな〜?
さて、員山機堡に出没。
今回は二回目です。
員山機堡の住所
宜蘭縣員山鄉金山東路398號
- 営業時間:10:00-17:00(午休12:00-13:00)
1度目は何の予備知識も無く行ったので、ウルウルでした。
過去記事は神風特攻隊in宜蘭
今回は一回目とはダブらない内容を書いてみます。
こちらは第二次世界大戦の時の戦闘機の格納庫です。
日本統治時代の空軍の施設でした。
実際の飛行場は四キロ先の南機場です。
南機場迄、燃料節約の為に10数人の台湾人達が手で飛行機を押して行ったそうです。
当時は靴も足りなかったので、裸足で。
大変なことでしたね。
零戦のオブジェがあります。
員山機堡の下の写真の先には海があります。
太平洋です。
宜蘭の海、亀山島から沖縄の方向に向かって、零戦は飛んで行きました。
アメリカ軍の空母を爆撃する為です。
片道だけの燃料を積んで。
員山機堡の周りは回廊風の設計になっています。
下の立ち入り禁止のところを管理人の方が開けてくださいました。
黒い零戦の周りの文字の意味は
この道を一度行けば帰らない。
お国の為に身を捧げ帰らない。
ただ遠くから振り返って眺めるだけ。
この回廊は途中までで、終わっています。
片道だけで、戻って来ない。という意味だそうです。
こちらの動画の方がわかりやすいと思います。
兵隊さんのオブジェは海側ではなく、故郷の陸側を向いています。
建物の中には記念館があります。
併設のカフェもあり、柚子茶をいただきました。
こちらで、オーダーします。
管理人の方が作ってくれました。
あまり人がいなかったので、お話を色々聞くことができました。
トンネルのような記念館の中の展示物の一部です。
実は戦時中は宜蘭でも、アメリカ軍の上陸戦に備えて、地下道や防空壕、などの設備を備えていました。
でも、アメリカ軍は宜蘭には上陸せず、沖縄に上陸したので、これらの設備は使われなかったそうです。
零戦出撃の前夜は員山温泉で最期の夜を過ごしました。
当時は22歳から25歳位の青年が特攻兵でしたが、戦局が押し詰まって来て、人材が少なくなると、15歳や17歳でも出撃したそうです。
日本人の母親達は日の丸が書かれた零戦を赤トンボに例えて、兵士を白い蝶に例え、
赤トンボに乗って行ったら、白い蝶になって戻って来てね。
と、送り出したそうです。
ガイドブックに載っていませんが、とても深く学べる員山機堡のご紹介でした。
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