2008年7月21日のこと

第三回胎教博の宣伝のため

横濱水天宮に行く際に


亡くなった次男が11歳の時に

「僕も行くー!」とついてきてくれた。


その時引いた、おみくじには、、


「ちからある限りに 今を生きてあれば 

 神の恵みの 倖せは来む」 


  心をかたく保ち 力の限りに努力し 

  一時の不運に思い迷ってはならぬ。 


  お祈りする神様に総てをお任せし

  本文をよく守って 

  家族と仲好くしていけば

  開運の時が目の前にあります 

  


神の教え 

「天地の自然の法則(みのり)は

やがて大神の掟し給う神の正道(まさみち )」

といただく。 


天地自然の法則が神の御心の現れである。 

此の法則にそむくことは、

神様の御心にそむくわけで、

これにそむけば滅亡する。

 

さらば常に、自分の思想(こころ)が

この天地の法則に叶って居るか居ないかを

吟味し反省をしてみなければならぬ。 


そう、おみくじに書いてあった。

ゆうすけがそばでニッコリ笑ったのを

覚えている。


今回の胎教博開催に向けて

なんだかこの時をよく思い出していた。


6/25の20回目の胎教博開催は

ゆうすけが天界から沢山サポートしてくれた。


家族が仲良くあることって

世界平和の第一歩。


我が家は家族仲良かったのに、、

開運というより、天に還っちゃうなんて、、

と嘆いていた日々の私。


そんな中、胎教博再開催をススメてくれた

天界のゆうすけ。


力のある限り、いのちを尽くし

ゆうすけのサポートに従った。


そう息子と一緒にやり遂げた。


思いおこせば

ゆうすけはイノチをかけて、身体張って誕生した。


君は誕生する時すら

人にとって何が大事なのかを沢山の人に問いかけ、

様々な姿を見せ付け、振るいにかけ

心改まる大きな行動を起こした人だった。


どんな罵声を浴びても、脅迫されても、

君は最後まで私を信じてくれた。 

一緒に最後まで頑張った。

君の勇気に感動して産科医は頭部を垂れたね。


「人を助けるために生まれてきた」と

常に言っていたゆうすけ。 


まさか、死すらイノチをかけて、身体張って

人にとって何が大事なのかを問いかけ、

様々な姿を見せ付け振るいにかけ

心改まる大きな行動を起こした人だった。


人生色々あって色々と体験させてもらえたり

それはそれで楽しい。 

嬉しいことも感動も多々あるけど 
ぶつかったり、落ちこんだり、

投げ出したくなったり、 悲しくなったりもあるけど、

その繰り返しだったりするけど、
時には気持ちも沈んで後ろを向きたくなるけど、 


でもそれでもやっぱり道なき未知の道を

心満ちて過ごす方が好きなのも

ゆうすけと同じだな。


“挑戦する”その大切さを教えてくれたのは君だね。

まもなく7/4は、ユウスケの誕生日。 
ゆうすけが私を救ってくれた。

私の真実の道を拓くきっかけをくれた。 


特に、彼の出産は本当に大変だった。 
東京の助産師協会全部に反対され、

大好きな吉村先生にも断られ 
亡くなられたけど日本で最初に水中出産をとりいれられた

片桐さんにも断られた。 

たかだかそれも病院の都合で1回帝王切開しただけで 
肥満というだけで、血液型の問題があるというだけで 
自然の営みである出産ができないのが

どうしても納得いかなくて 
病院や医師の気持ちは十分理解できるけど 
自然出産だけにこだわったんじゃなくて 
人として母としてというか、なんていうか 
とって決められたようなプロセスが納得できなかった、

あの頃。 

はいそうですかと、

何もしないでその時を待つなんて出来なかった。 


だからといって、どうもできない状態だったが

挑戦したのだった。


必ず強く願い行動をすれば道は拓ける。


そうして、胎児と話す一人の伝説の助産師さんに出逢った。 
そこからも多々困難な状況になり、

長男の病気の手術も重なり、 
二男を出産するまでの道のりは、

それはそれは果てしない苦悩の物語と

孤独と不安との戦いであった。 

結局自分自身しかない。

自分で選んだ道。 

最後まで苦悩しながら

胎児のゆうすけと胎話しながら、 
限界の限界まで頑張りそれでももうだめかと半ば諦め、 

予定日を2週間以上も過ぎて病院に行くと告げると


伝説の助産師に叱咤激励され、

もういちど胎話をして 

やっとこ息子が生まれる決意をしてくれて 

その後に繰り広げられるハードな出産過程を見事乗り切って、
勇敢に生まれてきたゆうすけ。 

その誕生はその道大ベテランの産科医が

彼を前に侘び、手をあわせ合掌した。


「生まれてくるといういこと、

 出産は命がけであることを思い出し、 

 何を大事にしなきゃいけないのかの初心を思い出しました」


それから、これからの分娩にこの初心を忘れないと

君に向って誓ったね。

本当は辛抱強く頑張り屋さんで、

やさしく不器用なゆうすけが

胎内記憶で話してくれた言葉を忘れない。

「お母さんのお腹にいた時

 お母さんがずっと語りかけてくれたから

 気持ちよくて ずっとお腹にいたくて

 出てきたくなかったんだ」 

そう話してくれたゆうすけ。


「お腹にいる時に、もっとみんな語りかけたらいいのに」

と良く話していたね。


もっともっと君が感じていた世界を知りたかった。

聴きたかったな。


3歳までしゃべらなかった君だけど、

私はちゃんと理解しているのはわかってたし

しゃべらない理由があるのだと思っていた。


母は、頭がおかしい、脳が足りないと

罵声を浴びさせていたが

私はそんな目で見たことは一度もない。


話せるようになってから、当時のことを尋ねると

やはり全部理解してたけどあえてしゃべらなかったと

教えてくれた。


しゃべらないから、普通と違うから

理解していないし、会話ができないということではない。


今回、30歳になった自閉症のミンガちゃんが

お母さんと一緒に飛びいりゲストで

途中から胎教博に来て下さった。


ミンガちゃんは小学生の時に、自宅まで来て下さった。

しゃべらないミンガちゃんだけど、私は話していたし

ゆうすけもちゃんとわかっていた。


胎教博の翌日、6歳のダウン症の子とお母さんが

会いに来てくださった。


やっぱりちゃんてわかっているし

コミュニケーションがとれるんだよね。


さらに、翌日、ミンガちゃん宅に行き

出逢ってもらった。


信頼された場で、ポジティブな環境の人と一緒にいると

次々に積極的な行動を表現してくれるようになった。


私が活躍できる、いのちが発揮できる場を

天界の息子から改めて確認できるように

自己肯定といのち輝く場を導かれた気がした。


そう私は知ってもらいたい。


胎児も、赤ちゃんも、子どもたちも

障がいのある子どもたちも

みーんなコミュニケーションが出来るんだよ!って。


自分を表現しているんだよ!って。


安心安全な意識の場がもたられたら

リラックスして過ごせるんだよ!って。


ダウン症の子やてんかんアラート犬の同時通訳で

楽しい時間を過ごせた“いのちとの胎話士”未来見基でした。


天からもたらされた胎話の力

これからもっともっと胎児や

偏見でみられる弱者への理解を広める

そんな活躍をしてまいります!