七夕の夜。
そう簡単に眠れなかった。

ずっと見たかった映画を
10年かかって見れた
ドキュメンタリー映画「カンタティモール」

東南アジアの東ティモール。
24年間で人口の1/3を失うという
戦争を経験しながらも、優しくも力強く
生きる東ティモールの人々の姿を、
彼らの音楽とともに映しだした作品。

制作に10年かかり、公開から11年経ち
この時期、この沖縄に移り住み
この地で見れてたのは大変ありがたかった。

だけど、同時に
私はとっても恥ずかしくなった。

私達は知らされていないまま
戦争に加担していた日本人だった。

広島長崎沖縄の体験をしていた日本が
虐殺にまで加担していたのかと、、。

世界に誇る日本人説はぶっとんだ。

縄文時代の平和の民の精神を
目覚めさせないと大変だ、、

そして、いつだって
真実は報道されないということを理解した。

いまも日本は軍事資金援助をしている。
2023年度は20億円の予算が計上。

直接戦争を起こしていないくても
戦争をしている国に、人に、
武器を渡す支援をしているのだから
戦争加担者だ。

さらに、ウクライナには昨年
約9230億円の支援を表明し
今年3月には岸田首相は、
衛装備品約39億円と
エネルギー分野など約611億円の
追加支援をすると言っていた。

戦争はどちらの国も
人が行い人が死ぬ。

戦争開始を決めた人ではなく
兵士や民間人が死んでゆく、、。

日本は誰よりも痛みを
体験したのであろうに、、。

こんな形で、壮絶な痛みを
与えていたなんて、、。

考えさせられました。
途中はあまりにも心が痛くて
嘔吐しそうだった。

8歳の時、祖父の家で
見てはいけないと言われていた
鍵のかかった書庫が開いて
見てしまったアルバムの中に
処刑される人の写真や、
生き埋めにするアジア人達を
穴に立たせている写真を見たり、、

一体なんなのかもわからず
それが戦争だと初めて知り、
人が人に対してなんでこんなことをするのか
幼い私は理解できなかった。

それからそれが戦争というのを知り
8歳ながらも戦争について調べてゆき

戦争のない世界、平和を生きることが
私の目指す指針となった。


さてこの映画舞台は、「東ティモール」

1974年ポルトガルの植民地支配から独立後、
隣国のインドネシアが武力で攻め入り
自分達の国に併合しようとしていた。

国連は何度も即時撤退を求める決議を出し、
インドネシアにそんなことを続けるなら
支援をやめると言った欧各国の中、

アメリカや日本が東ティモールの南にある
油田を狙って、インドネシアを非難をせず
国連の決議には反対の棄権票を投じ続けた。

虐殺の資金援助を続けて、24年間もの間、続けていた東ティモールの人達の悲鳴を、
聞こえないフリをし続けていた!

目の前の利益を優先する日本。
日本国民も知らない知らされていない
東ティモールの人達の死。

約20万もの人々、国民の3人に1人が殺され行方不明となり、いまだともないもできずに痛みを抱えた人がいる。

私が長女を出産した1999年、
三男を出産した2002年、
テレビのない生活をしていたとはいえ
東ティモールの独立以外に、
こんな酷い事が起きていたなんて。

インドネシアが
国をあげてしていたなんて、、
日本が支援していたなんて、、

いや、ほんとに衝撃でした。

映画の中で語られていたとある男性。


ゲリラとして24年間戦っていた時、

目の前で家族が殺され、自分達の娘をレイプされ 
そのあとインドネシアの兵士を捕虜として捕まえた時

東ティモールの人達は拷問も処刑もせずに

自分達の独立への意思を彼らに話して
解放していったのだとか。

 

傷一つつけずに。

彼らは壮絶な独立運動をして軍を追い払い、

国家を作っていったその背景の精神は、
なんだったのか。
 

独立後も、インドネシアや加担した日本も

恨まず怒らず、復讐の念に駆られず、

許し、そして笑い歌を歌っている。

 

それは、並大抵のことではない。

 

世界は、その報復の繰り返しをしている

国や人々が多いというのに・・。

続く