この映画の中で語られていることは、
一昔のことではない。

第一次世界大戦でも、
第二次世界大戦でもない。
 

この現代で行われていた。
その悲惨な声は、日本人には知らされていなかった。

 

ほんとうについこの間のことだった。

24年も、殺戮が行われていたなどど。

 

さらに独立への道が決まったあとに

国の9割が焼き討ちにあい、

子どもや年寄りも、女性も

虐殺されていたなんて。

 

さらに、そんなむごいことを乗り越え

怒りに変えずに生きる東ティモールの人々。

 

平和に生きていた彼らの地に大いなる衝撃が走る中でも

ひたすら守り続けたその精神力。

 

東ティモールの人たちに、インドネシア軍は、
「軍に寝返るか、さもなくば殺す」と人々に迫ったのに
どうしても土地を離れなかった。

軍が撤退するまで24年間、
頑なに軍のやり方を拒んでいった。
無残に殺されてもだ。

その理由は、そこに先祖が眠り
その山を代々守ってきて、その山に守られ、
その大地と歌ってきたからなのだが、
言葉にしたらその深さが伝わらない。

映像を見る限り、
大変な環境ではあったのだろうが、
独立後の東ティモールの人達は、
人が人らしく共に生き合い笑い
歌う姿が印象的だった。

貨幣の価値ではなく、
一人の人が築く富がもたらす発展ではなく、

その地に住まう人たちの生きかた在りかた
その豊かさの美しさと、暮らしの中での
一人一人の小さな精神の平和が
この国の独立を成功させたのだろう。

殺された沢山の人のいのちと、 
その土地に眠る祖先のいのち達の祈りも
ともに合わさって。

理解のない人達の手に渡れば
いつしか土地はお金で売れるものになり、
人間の根っこは大地につかなくなる。

それをわかっていた彼らは、山を守り、
土地を守り、いのちを守り、
過去と未来を守るために独立のために戦い
いのちを捧げた。

その大地で、いのちや文化が育まれて、
人の輪が健全に保たれることを知っている
そんな彼らこそ、平和の民である。

平和は指導者のものでも、演説でもなく
貨幣でもなく、暮らしの中のスピリットだ。

人の輪の大切さを改めて感じました。

あなたがお金を儲けたい、稼ぎたい

その理由はなぜ?なんのため?

 

考えさせられます。


一人一人の平和。
人の輪で平和は保たれてゆく。

美しい自然と共に生きていくその姿、
経済に換算できない人間のあり方そのもの。

いまコロナ禍があけ、
さらに経済発展を追い求めている。

暮らしのカタチは
豊かになったつもりなのだけど、
みんな心は迷子だ。

社会も病み、コミュニティも病み
精神も病み類をみない犯罪や
事件事故が毎日起きている。

魔に気をつけることは大切だ。

「魂が迷子になっちゃいけない」

こんな壮絶な体験をし生き残った人達は、
トラウマを抱えているのに、酒に溺れず
精神を乱さず、復讐を選択せず、 
歌い、笑顔を忘れない。

そして、言う。
「笑えなくなったら人間じゃなくなっちゃう」

傷を癒していくには、涙と笑い。

流れていないものが固まっていく。
怒りや憎しみというものが
自分の身体を痛めてしまう。

無言の痛みとなって
持ち主に教えてくれる。

その痛みを流そうよと。

その本人さえも気づいてない
過去の出来事や、精神的な後遺症で、
記憶が消えてたりする部分を見つけ引き上げ

怒りや憎しみを流し出すことをして
はじめて身体が回復をしてゆく。

治療師のシーンもあったけれど
ほんとにその通り。

私たち、一人一人が治してゆかなくては。
自分の中の怒りや憎しみを。

流せない痛みや悲しみを。

私は“へいわのよなおし”のため
この地球に降りたった。

自分の代から治してゆくことの“よなおし”

へぇとわぁの感動と歓喜の平和で。

あらためて、
自分の平和活動の根源に繋がった。

私も数々映画上映をしてきたけれど
平和について感じ問いかけるには
この映画は素晴らしい。

「カンタティモール」上映会も
開催していきたいですね。

七夕の願い
みなしあわせになるように愛のほし

この地球に住まう人類の精神が
迷子になりませんように!

沖縄に開催してくれた友人
栗山初美さんに感謝いたします。

ありがとうございました。