転院かもと言われお昼に出された付き添い食もまったく喉を通らない・・・。
でもとにかく最悪の状態(転院)になったときのために色々動かなくては・・・。

とりあえず転院もありえると言われた時点でどこら辺にある病院なのか、どんな病院なのかをスマホで調べた。
そこは完全看護で付き添い入院はできない事。子供のお気に入りのおもちゃなどを5点くらい持っていけること。ここから車で高速使っても2時間くらいかかる事。(電車だと4時間とかかかってしまう)
そして何より専門学校時代の親友の家からそんなに遠くないこと。
そして親友に連絡。
最初は近くのホテルにでも泊まって通おうと思っていて、少しでも会えたら気持ちも少しは落ち着くかと思って会いたいとライン。
だけど親友は
「私の家から通えばいいじゃん!!洗濯とかご飯とか身の回りのことは私がやるからゆぅちゃんの看病に専念して!!」
って言ってくれて。
またそれを読んで号泣。
親友も結婚していて同じくらいの子供もいて、家族ぐるみでの付き合いで年何回かお互いの家を行き来している感じ。
もうとにかくこの言葉に甘えるしかない!と思ってすなおに
「ありがとう。転院になったらすぐ知らせるから、よろしくお願いします。」
と伝えました。

そして丁度じぃじが交代に来てくれたので一旦家に・・・。
ばぁばや妹(丁度休みだった)にも泣きながら状況説明。
でもこんなことしていられない!
ゆぅちゃんのパジャマの買い足しや自分の洗濯してすぐ乾きそうな服を買い物に。
買い物から帰ってバックに詰めているとじぃじから電話が・・・
「先生が話しあるって結構前から待ってるよ」
との事。
急いで病院に戻ると

医者「今、熱は落ち着いているけれど昨日一度37度台に上がったことも気になるしCRPの炎症反応が下がらない、むしろあがっているのが気になる。エコーはさほど変わりはないけれど転院してもらうのがいいと思う。今すぐに足もないだろうからと救急車を手配しますから準備してください」

時間を聞くと30分で準備しろと。
いやいや、幼稚園に行ってるひぃくんに何も言わずにしばらく会えなくなるとかありえないし!!いくらなんでも30分は無理だからと1時間にしてもらった。
旦那にも連絡したけどどうしても終わらせないといけない仕事があってすぐには向かえないとの事。
できるだけ早く帰るとはいっていたが・・・。
とにかく病室を片付けて、幼稚園から帰りのバスの出発前だからと妹が急遽早退させてくれて詰めてる途中の荷物を取りに家へ・・・。

荷物を詰めているとひぃくんがかえってきた。
ひぃくんの顔見て号泣しそうだったけどなんとか堪えてゆぅちゃんが遠くの病院に入院することになった事。しばらく会えないけどじぃじ、ばぁば、お父さんの言うことをちゃんと聞いてね。ちゃんと帰ってくるから待っててね。と伝えた。
ひぃくんも泣きそうな目だったけどかなり我慢した様子で「はい!」ってきちんと返事してくれた。

そして荷物を持って病院へ・・・。
とりあえずゆぅちゃんの荷物と私の荷物と2つの荷物を救急車で一緒に運んでもらうことにして残りの荷物はじぃじに後から持ってきてもらうことに。

そして救急車到着。
でっかいストレッチャーみたいなの用意してもらったけどたぶんゆぅちゃん乗せたら泣くのであたしの抱っこで移動。
そして人生初の救急車!!
酔うと困るのでずっと前だけを見てた。
そして救急車に初めて乗って思ったこと。たしかに一般道は早いけど高速は遅いのね。
そしてむくんだゆぅちゃんが重い事。
眠っていそうだけどたまに目を開けたりで完全には寝ていない状態。
そしてずっと私の胸に手を入れてました。

そして県立の病院へ到着。
すぐさま診察がはじまりました。
私も気が動転してるし最初からの状況説明で
泣きながら「この子はきちんと治りますか?」と聞いたのですが
やさしく「絶対治りますよ。川崎病はきちんと治ります。それよりも合併症の方がこわいのでそちらも充分見させてもらいます」って言ってくれてその言葉に号泣。
でも泣いてもいられない、きちんと説明して、まずは今採血すればギリギリで詳しく検査できるので採血だけ先にしましょう。と言われ採血と身長、体重、レントゲンと入院の書類書きしたりとバタバタ。
身長は久しぶりに測ったけど思いのほか伸びててびっくり。
体重は今までより1キロ以上増えていて浮腫んでいるせいだったみたいです。

ここの先生はきちんとかなり詳しく親がわかるように説明してくれて安心できるように説明してくれることに少しずつ私の気持ちも落ち着いてきました。
川崎病で黄疸がでたり、むくみが酷いのは重い川崎病の典型的な症状です。
と言われて市立病院では浮腫んでるのは点滴してるからだと思うとか言われたのに・・・。他にも点滴もちょっと・・・って感じの入り方をしてたのでさし直したいのですが右が利き手なら左にさしかえます。って看護師さんに言われてさしかえてもらったり。田舎の病院では限度があるんだなと痛感。
そして先生が遠くから来てるので、と配慮してくれてしばらくは個室で付き添いできます。との事。
もうゆぅちゃん置いて帰らなくちゃと思っていたので本当にうれしかった。
大部屋に移るまでの間だけでも付き添いできたのは本当にありがたかったです。


その後入院する部屋まで案内されたら病棟では丁度夕飯の時間。
ゆぅちゃんおなかがすいたらしくて
「何か食べたい」と言い出して先生にご飯出してもらえるか聞いたら聞いてみるとの事。
そんなことしていると旦那が病室に入ってきてびっくり!!
後から話を聞いたら「終わらせなくちゃいけない仕事もあったんだけどとにかく手につかなくて結局そのまますぐに帰ってきてじぃじと一緒にこっちに向かったんだよ。この病院は厳しくて両親以外は面会できないからじぃじはロビーで待ってるよ」との事。
そんな話をしてると夕飯がでてきてゆぅちゃん念願の夕飯。
でも食べたいのは気持ちだけだったのかそんなに食べず・・・。
でも餃子の中身とご飯少しとほかのおかずも少し食べたよ。

食べ終わった頃に先生がやってきて先生の話。
肝心の治療は・・・
ガンマブログリン2回して、この薬がまったく効いてないわけではないけれど効きが弱い。
丁度去年の12月に保険適応になったばかりの免疫抑制剤を使うことに。
それでもだめな場合は血液の交換(透析)をするとの事。
でもここでも透析までするような川崎病の患者さんは1年に1人いるかいないかくらいです。と言われて、きっとこの免疫抑制剤が効いてくれる!!って信じました。
簡易的なエコーで暴れるゆぅちゃんを抑えながらエコーを見てもらいましたが明らかな瘤はできてなさそう。明日しっかりきちんと眠らせてエコーで見ます。との事
先生が聴診器で心臓の音を聞いて「心雑音が少しあるけどそれも気になるので明日のエコーでしっかり見ましょう」との事。
免疫抑制剤もこの夜から始まりました。

私も旦那も、じぃじもおなかがすいてるので夕食をとりに行きました。
院内にコンビニが入っているのでそこで済ませて、私が泊まるのに必要な日用品なども購入。

そして病室に帰ると看護士さんに抱っこされて免疫抑制剤の点滴が始まってるゆぅちゃんが居ました。
あいかわらず機嫌が悪いゆぅちゃん。
そして少しして旦那とじぃじは帰っていきました。

簡易ベッドを借りて今日は私もここでお泊り。
でもゆぅちゃん機嫌は悪いし、何度も起きるしで結局ゆぅちゃんのベッドに添い寝。
途中点滴のつながってる所を取っちゃったりして逆流して流血したりでいろいろバタバタしたけど朝方には免疫抑制剤の点滴も終わりました。

12日のことだけで長くなってしまったのでつづく。。。