新聞広告シリーズ ~ あいつの名はアルトマン!東京スタジアムのナイター開幕(昭和43年4月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和43(1968)年4月。南千住にあった 東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の本拠地 東京スタジアム のナイター開幕広告。



対戦カードにはパ・リーグの東京オリオンズと 西鉄ライオンズ南海ホークス阪急ブレーブス の対戦日程が記されているが、いずれの球団も今はもう存在せず…。

当時のプロ野球人気は良くも悪くも ジャイアンツ至上主義 で、今となってはあまりにバランスが悪い。現在のほうが人気もフランチャイズも分散しており、よっぽど健全だ。


  昭和43年4月13日(土曜)のラジオ欄

ナイター開幕戦(東京 vs 西鉄)が、どこで放送されていたのか? 4月13日(土曜)のテレビ欄を調べてみたら、テレビ放送は皆無。ラジオ欄に目を移すと、TBSラジオにてセ・リーグの「サンケイアトムズ vs 中日ドラゴンズ」の 第2案…つまりは 雨傘番組 としてラインナップされているのみだった。悲しい。

広告のイラストモデルは、長身にして黒い肌、そして 左打ち ということで、この年の新戦力として期待されていた ジョージ・アルトマン で間違いないだろう。
 

      

191cmの長身 を誇るアルトマンだが、なぜか『巨人の星』漫画版に登場(水まき作戦で大リーグボール2号を攻略)した時には、太っちょの黒人 として描かれていたことは今でも大きな謎だ。まるで「黒い左門豊作」が如き姿に…。

      

巨人至上主義の時代。パ・リーグのテレビ中継は希少だった。私はアルトマンのビジュアルを実物よりも先に『巨人の星』で知ってしまったために長年にわたり、アルトマンを太っちょの黒人選手と認識し続けていた。のちに 阪神タイガース で活躍し、巨人戦のテレビ中継で目にするアルトマンは、ロッテにいたアルトマンとは 別人 だと思っていたほどだ。

川崎のぼる先生 は一体、何を参考にアルトマンを描いていたのだろう?