“Black lives matter”
あまりにも根深い歴史。
日々この米国のニュースに触れる度に思い出すことがあります。
いち”黄色人種”として米国に住んでいた、幼少期の自分の記憶の断片について少し書いてみたいと思います。
楽しみにしていた家族旅行で、スキー場のゴンドラの列に並んでいた時のこと。
坂の上から、悲鳴と共に、半ば滑落とも言えるような勢いで白人女性が滑り降りてきました。
気が付いた次の瞬間。まだ小学生の低学年で、身体の小さかった私は彼女の身体に弾き飛ばされ、全身を強打しました。
起き上がることのできない私の元に、スキー場の救護隊が駆けつけ、医務室まで運ばれ、ぶつかった女性とそのパートナーも一緒に医務室に付いて来てくれました。
しかし、そこで待っていたのは、辛い現実でした。
白人の医師が、その女性やパートナーと握手を交わすのが、救護室のカーテンの隙間から見えました。
打撲の痛みに苦しむ私と、私の両親に、その後、医師から告げられたのは、「傷はないですね。あと、その痛みは、本当にぶつかってできた痛みなんですか?元から痛かったんじゃないですか?」という言葉でした。
これは、私たち家族の人種が原因で起った出来事ではないかもしれません。
しかし、そうであろうと察するに難くないものでした。
こういった苦い思い出がある一方で、私はアメリカに住んでいた日々を振り返る度に、温かい気持ちにもなります。
通っていた地元の公立小学校には、外国からアメリカへ移住し、英語を第二言語として生活する生徒用のクラス=ESL(English as a second language)が設置されていて、普段のクラスの授業と並行して、一から英語を教えてもらえる特別授業がありました。
転校した当初、通常のクラスでは、先生の話すこと、教科書の文字、クラスメイトの笑い声の意味、その何一つわからなくて、毎日、文字を見ては、止まらなくなる吐き気と戦っていました。
ところが、このESLのクラスが私を救ってくれました。
そして、私が言葉が分からないと分かっていても、クラスメイトはいつも興味津々に、話しかけてきてくれていました。
外国人である日本人が、現地のアメリカ人の生徒に溶け込んで暮らせる環境が、学校のシステムとしても生徒のメンタル面でも揃っていたのです。
母からは、「ここまでこの学校でも色んなことがあったみたいよ。こんな風にあなたが学校で楽しく過ごせているのは、私達よりも先にここに来た日本人の人たちが積み重ねてきた信頼と、色んな人種の人たちが一緒に暮らす、アメリカの人たちの”懐の深さ”なのよ。」と。
思い返せば、歴史の授業で特に手厚く教えられたのはNative Americanの話でした。
合衆国建国の過程で迫害されてしまった先住民族の歴史。先生の語りからは、その歴史を繰り返すまいという、意志を感じました。
アメリカ史の中で、想像を絶するほど気の遠くなるような人種間の衝突や試行錯誤を繰り返したことで形成された、アメリカの”懐の深さ”。
その”懐の深さ”の一端を私は享受していたのだと思います。
もちろんこれは、米国全体の中でも恵まれた地域における体験です。
ただ、日々、メディアで暴動や略奪の様子が映し出され(今、米国に住む友人からは、暴力なしでデモをする人の方が多いようだと聞きました)、
「アメリカはなんて恐ろしい国だ」といった感想も耳にします。
こういったことを見聞きする機会の多い方たちに、それだけではないと感じた、いち体験者の話として聞いてもらいたくて書きました。
人種によって命の脅かされるようなことは絶対にあってはいけないです。そして、人種による特権も。
今回のデモや暴動は、人種差別の問題だけでなく、人種間の貧富の差や、コロナ禍によって職を失った人たちの不満も大きな起爆剤となっているように思います。
アメリカはダイナミックな挑戦をし続ける国だと思います。
どうかどうか、その先へ。
そして、私たちの暮らす国、日本ではこのニュースをどう捉えるのか。
肌の色が異なる場合はなおのことですが、
肌の色が同じであっても、
差別はないか??
もしくは、互いの違いから全く目を背け、
同質性を強いてはいないか。
今回のアメリカでの出来事を「自分ごと」として
日本でも議論されるべきだと思っています。
最後まで読んでくださってありがとうございました