先週、高校時代の友人が出産したので
同級生3人でお祝いに行ってきました。

ひょろひょろだった友人がぽっちゃりしていたり
垢抜けなかった子が素敵なお母さんになっていたり。

決して深くあつい友情とか
そんな感じでもないんだけど。。

それでも20年以上一緒に生きてお互いに会えるって
それはそれで貴重だと思う。




べべちゃんは
ちいさな、あったかい命のかたまりだったよードキドキ

赤くて、小さくて、動きが読めなくて
一生懸命、生きている。。。

夫はいるけど子供はいない私は
抱っこして、おっかなびっくり。


おめでたいんだけどさ、
何だか素直に「ハッピー!」って感じではない
いろんな思いもあるんだよね。

自分が産み育てるのが怖いとかさ。

…怖いっつーか
36歳。

いい加減、授かるかどうかの方が
微妙かもしれない。
と、自分でツッコミを入れてみる。


しかし、診断名をもらってから10年。
それまでの下地となる長い日々も含めて
本当によく生き抜いてきたと
自分で自分をねぎらってやりたいよ。

思い出したら涙が出てきたーしょぼん


生きていることが気持ちよさそう。
そんなこの子が、精一杯ここまで歩んできましたよっ



私は授かるかどうか
産むのが「しあわせ」なのか
そうしたいのか
すべて流れにまかせることも含めて
課題なんですわ。

「産むのがいいから」
「そういうものだから」
それで…??

考えても分からないので、
まずは私が健やかでいられるように
とりあえず、今の自分を感じます。


人生の大切な時期。

それは常にそうだとも言えるけれど
女性が妊娠出産できる時期は限られている。

それだけが幸せだとは限らない。
私もそう思っている。

でも、
もし病院やカウンセリングに辿り着いて
本人が望んで
適切な治療やセラピーを受けることができたなら
大切な人生の時間に
苦しみが少なくなるかもしれない。


PTSDは神経系の調節機能障害です
決意や根性では治りません


むしろ道徳や精神論が
悪化させる源というケースもある

技術で治せるものは
治したらいいんです


病院に辿り着いたのなら
なおさら


カウンセリングが全てじゃないし
「治る」ことがいい、とか
そういう考え方でもないのですが
細かい部分に今は触れません。


私は8年間の県立病院通院の間に
EMDRと傾聴を併用したカウンセリングを
4年半受けました。

たくさんの話を聴いてもらって
自分の気持ちに向き合えて
心理士さんには大変お世話になりました。

だいぶ楽になって職場復帰と結婚もした。

でも、EMDRという手法が私に向いていたのか?

病院に来なくてもいいと言われた私は
「全然良くなってないじゃん」
…と愕然とした。

病院に通って、先生のいうことを聞いて
日常のやるべきことをやっていれば
それで良くなるんだと思っていた。

しかし、EMDRは私にあまり
向いていなかったと感じる。

4年半もカウンセリングを受けたんだよ…
病院に8年も通ったんだよ…

私の24歳から32歳…

まぁ、遊んだり楽しいこともしたけどね~( ̄* ̄ )
えへへ


心理士の先生のEMDR学会発表の題材に
私の症例を使ってもらいましたが
そんな私が病院を去ったあと
必死で民間のカウンセリングやセラピーを模索して
こんなブログを書いてますよ。

地方に住んでいるので
交通費も含め
3年間で150万円ぐらい使いました。


病院に辿り着いた段階で
適切なPTSDの治療を受けられるように願います。

そんな遠い未来を待っていられないから
インターネットで検索して
適切な情報にアクセスできるように
機会だけはどうか豊かになりますように。

むしろ今は情報がありすぎて
波に飲まれないようにする方が大変なのかも!?


10年前はソマティック・エクスペリエンスハコミセラピーなど
身体的アプローチは都市部でも一般的ではなかったようです。


おととしだったかな。
PTSD治療の最前線がEMDRだというような内容の
番組を見ました。

「最前線…10年前の最新じゃないの?
 合う人と合わない人がいるし。」

やりきれない気持ちでいっぱいになりました。


選択肢があること

どれが自分に合うのかは、人それぞれ
お金も時間も限られているから
その見立てができる人も必要。


どうか必要な情報が
必要な人に届きますように。


私の意見はあくまでも私の個人的な見方です。
大切なのは自分自身の感覚です。

人生とは、ともに歩く一人旅。
そう思っています。
ひとりだけど、ひとりじゃない。
真実は逆説的だったりしますね。