私の両親
モラハラ男とそれを温存するパートナー
共依存関連の本に事例として出てきそうな、典型的なパターンです。
覚書として記録します。
※つまらない家族喧嘩の記録なので、不快な気分にさせてしまうかもしれません。あらかじめご了承ください。
※普段の多くの時間は和やかなのですが、ごくごくたまに不安定になるときの不気味さが強烈。
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息子が「ママがいい」と私に抱っこ
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じーさん、プライドが傷つき御立腹
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息子のおもちゃ(ショベルカー)を軽く足で蹴る
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私:「息子の大事なおもちゃを蹴るのはやめてくれないかな」
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じい:「2階(じいさんの部屋)には来るな」言い捨てて去る
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ばあ:「なんで余計なこと言うの」激しく御立腹
「あんたが余計なことを言ったせいで、私はあと1日か2日、不機嫌なじいと一緒の空間で過ごさなければならない。少しは大人になりな。あんたがちょっと我慢すればいいだけじゃない。」
私:「子供の目の前で大切なおもちゃを蹴るのは悪いと思うんだけど」
ばあ:「確かによくないけれど、べつに息子を足蹴にした訳じゃ無いんだし、それぐらい我慢しなさいよ」
私:「気持ち悪うぅぅぅーー」
↑心の声が、声に出た
【夕飯のおかずを分けてもらうため、しばらく待機】
【息子と私が遊んでいる】
ばあ:「ちょっと来て」
私:「何、いま息子と遊んでるんだけど」
ばあ:「(息子)なんてちょっと放っておきなさいよ。一人で遊ばせておきなさい。」
【私、面倒だが台所へ行く】
【ばあ、肉豆腐の作り方を説明する】
【私、なるほど〜と言う】
ばあ:「子供とばかり遊んでいないで、大人の会話も大切にしなさい」
私:(大人の会話…「大人」て…)
【帰り際】
ばあ:「いろいろ世話になっているんだから我慢しなさいよ。大人になりなさい。」
私:「世話になっているけれど、それとこれって別でしょう。」
私:「しばらく来る頻度を減らそうかと考えている」
ばあ:「じいがどんなに怒っても、翌日には何事もなかったようにして私はやってきている。また何事もなかったように来て過ごしなさい。」
私:「困ったな。旦那に相談してみよう。」
ばあ:「なんで旦那に相談するの?あんたの問題でしょうが。」
【翌日】
【息子がじいちゃんちに行くと言ったので、行きたくないが顔を出した。息子は「怖いけど行く」などと言ったり、葛藤があった様子。】
ばあ:「よく来たね。えらいね」
ばあ:「あんたも大人になったね」
ばあ:「来る頻度を減らすといいかもね」
(↑それ提案したの私なんだけど)
【ばあ、やたらと褒める。】
【私、何となく気持ち悪い。】
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孫の「ママがいい」で、自分も大切にして欲しい気持ち(飢えてる?)に火がついたのかな。
「あ、寂しい気持ちだ」と内側に意識を向けることなく他人を非難する。
自分とパートナーの歪んだ関係の安定性を維持するために、他人を巻き込もうとする(ムチ&飴)。
実家も含めた家族の時間を100とすると、じいの不機嫌で嫌な空気になるのは0.1や0.001ぐらいかもしれない。
しかし、その0.001が病的に歪んだものならば、距離を置こうとするのは健康なことだと思う。
時間の割合ではなく、小さいが深刻な破れ目があるという不安定さが、子供に悪影響を及ぼすと思う。
相手がどんなに騒ごうが、悪いものは悪いと言う。
距離を置く。
しかし、息子が葛藤を抱えつつもじいに会うと言うのなら、私はそれを邪魔せずに見守ろう。
いろいろ書いたけれど、要するに何となくとても気持ち悪い。
モラハラ、カルト教団の洗脳、ブラック企業などと、共通するものがある。
見抜けるようになるまで、時間が掛かったな。
机上の勉強ではなく、イタい経験あれこれを通して、ようやく。
幼い頃は、「あんたが悪い」のメッセージを真に受けて自分がダメだと思い込んできた。
言動の背景にある仕組みが見えてくると、罪悪感から自由で心が軽い。
よくここまでやってきたねと
自分をねぎらいたい。