今日のブログはネガティヴな内容です。
当時11カ月だったぴよ子の障害がわかってからの心境を書いています。
気分を害する恐れのある方は読まないようにお願いいたします



ぴよ子の障害がわかった時、本当に辛かったですショボーン

今まで自分がしてきたあらゆることを後悔したし、これから起こるあらゆることに不安を感じました。

どうしてぴよ子なの?

私が2人目が欲しいと言ったから?

こっ子や夫やぴよ子自身を不幸にしてしまった…

ぴよ子は大きくなってもきっと恋もできない、結婚もできないんだ、ぴよ子は生まれてきて幸せだったの??


ありとあらゆるネガティヴな考えが次から次へと出てきて、毎日泣き暮らしました。

ここに書けないようなひどいことや怖いことも沢山考えてしまいました

障害を持った子供が生まれる可能性については考えたことがあったし、それでも子供が欲しいと思って生んだはずなのに、実際に自分に起こったら全然覚悟なんてできてないじゃないか…と、自分の弱さにまた涙が出る。

その頃こっ子は年長さん。
こっ子の前では泣けないので、夜は泣きながら眠り、朝になるとまた1日が始まるのに絶望して。

こっ子は幼稚園に行っていたから、送り迎えやご飯作りもしたはずなのにその頃の数ヶ月はよく記憶がありません。

その頃の唯一の希望は、いつか人生が終わることでした。この辛い日々も永遠ではないと思うと少しだけ心がなぐさめられました

今考えるとすごく病んでますね…チーン

いつから立ち直っていったのか、自分でもよくわかりません

劇的な救いがあったわけでもなく、悟りを開いたわけでもありませんが、いつの頃からか、ご飯が美味しいと感じられるようになり、笑うようにもなり、普通の日常に戻っていきました

「でも、ぴよ子は楽しそうに生きてるよ」

これは夫がよく言う言葉です。

先のことを考えると今でも不安で心配で涙が出そうになります。過去のことを考えると後悔に胸が張り裂けそうになります。

でも、今、ぴよ子は笑っています。
好きなぬいぐるみを抱いて、こっ子とふざけあって、ぴよ子もこっ子も笑っています。

今日の家族を愛おしく思えるようになって、少しずつ生きていく力が出てきたのかもしれませんウインク

やっぱり障害を持った子供を育てる親として、1番心配なのは、自分たちが死んだ後のことじゃないでしょうか。

それは今でも1番の気がかりです。
どうしていけばいいのか、まだ自分の中でも答えは出ていません。




ぴよ子の障害がわかってから、1年半ほど経ちました。
ぴよ子も2歳5ヶ月になりましたおねがい

今でもあまり先のことは考えないようにしているのですが滝汗、最近はとりあえず来年度のぴよ子の進路に迷ってます。

行くところがなければ私また無職になっちゃうかも…笑い泣き