板橋パンギョ散歩 精米写真館〜東一酒造場〜精米所あたり | 全羅北道・全州と忠清南道・扶餘プヨでどきどき|ありりんの人生の旅はゆったりと

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年に2回韓国を一緒に旅する計画実行中。もしよかったら次回ご一緒に。
韓国全羅北道道知事賞受賞、全羅北道国際交流諮問官

やっぱり飛び飛びになりましたが、私の趣味、古い街並散歩に今回もおつきあいください。忠清南道(チュンチョンナムド)舒川郡(ソチョングン)の板橋が続きます。板橋の散歩関連はこちらもごらんください。
これ→ 板橋パンギョ散歩 タイムトリップできる懐かしい街並み 長項線の駅と牛市場で栄えた町
これ→  板橋パンギョ散歩 鍾板路沿いの旧駅前~旧劇場~鍾板路~旧板橋面事務所


鍾板路のT字路交差点の近くに少し空間があります。ここが板橋在来市場(今も市場として機能しているのかは未確認)。昔、牛市場が開かれたのはおそらくここから北側のあたり。



一角に元病院のような丸いカーブ窓のかわいい家を発見。高い塀に囲まれてよく分からずも、傷んではいないので一応手入れがされている模様。日本統治時代の建物ではないかと思うけどやっぱりわかりません。



在来市場の脇の道を北へ向かういましょう。グーグル先生によると鍾板路887番ギルという名前がついているそうですが、人っ子一人いない道。左右に立ち並ぶ家々はほぼ廃墟。このあたりの家々は韓屋ではなく、屋根がまっすぐで日本式にみえるけど、セマウル運動の頃に藁屋根の家を改良した「改良家屋」というのも多いそうなので、ちょっと微妙なところです。



通りの右手奥に2階建ての日本家屋が見えます。



近づいてみると一階の右半分は比較的新しく、左半分はかなり歪みが出ています。二階の屋根についている角のような装飾は何でしょうか?



茶色い戸「米」と書いてある方が特に歪んでいて、ドアがしっかり閉まらなくなっていますね。



右手のブルーの戸の方は「写真館」をやっていたようで、フィルムの広告も見えます。



建物を脇から見ると二階部分はまだしも、1階部分がかなり傷んでいるのがわかります。




これは1960年代に撮影された写真だそうです。よく見ると一階の中央部分に写真などを飾るショーケースが有ったものの、改築の際に取り払われたようです。(写真は近くの公民館に掲示されていたものを許可を得て撮影しました。)この時点で、既にかなり傷んでますね。



ガラスの割れた部分から中をちょっと覗かせてもらうと物が散乱していますが、原型をかろうじてとどめ、障子も残っています。そして右手にはタンスが二竿。



このタンスを見て、なにを思ったか、案内をしてくださっていた安さんが突然「中の人に話を聞いてみましょう!」と。人が中にいるとは思えないほど静まり返っていたのに、しばらくするとハルモニが中から出て来てくれました。



ハルモニは、ここに一人で暮らしていること、建物の右半分を自分の住居用にと子供たちが改築してくれたこと、建物の左側は傷みがひどく、かなり傾いていて既にドアが開かず中に入れないことなどを話してくれました。少なくとも1960年代まで開かれていた「牛市場」のことなどはご存知なく、ハルモニは他の土地から嫁いでこられたということ。「タンス」に興味を持った安さんはタンスを間近で見ることができずがっかりされていましたが、私はこれだけお話を伺えただけでも大満足。



家の裏手に回るとガラスが大きく外れたところがあり、中を覗くことができました。そちらのタンスには布団が残ったまま。塗り壁や障子が見えますが、こちらももう手遅れ。あと少し家の手当が早かったらと悔やまれます。こんなに立派な家、本当にもったいない。



ハルモニの日本家屋の斜め向かいにはすでに廃業して空き家になっている「東一酒造場」があります。



この看板が見たかった。電話は45番。いい味でてますよね。



結構長い建物で、中にはお酒を作る樽などの道具が見えました。



さらに進むと精米所だったと思われる建物が。ここもかなり廃墟です。


中をのぞいてみると。。。


事務所の部分は完全に日本風の建物です。ひっくり返っているのは脱穀機でしょうか。


精米所にはまだ色々な道具が残されていました。でも、もうボロボロ。空が見えます。もったいない。


この精米所の先を左に入ると板橋中学校があります。現在の姿を確かめには行きませんでしたが、昔の学校の建物の写真が公民館に残っていました。


精米所の向かい側には鉄工所があり、その手前に生えている2本の木が、おそらく牛市場の写真に写っていた木でしょう。このあたりが牛市場の開かれていた場所だったようですね。



牛市場の写真をもう一度どうぞ。奥の方に木が2本写っているの、わかりますか?ここに牛をつないで取引をしていたのでしょうね。



これで板橋村を一周しました。普通に歩けば10~15分位。私はゆっくり歩き、写真を撮りまくり、そしてまた歩くという感じで、全部見て回るのに3時間位かかりました。長過ぎ。私の趣味に気長につきあってくれた舒川郡の安さん、そしてプヨのどんせんチョさん、本当にありがとう。



パンギョは鉄道駅の開業と共に形成され、発展し、そして駅の移転により取り残された町。駅が移転して町も衰退し、忘れられてしまったお陰で、今も私たちに昔の街並をかいま見せてくれています。


これで板橋村の散歩記事は終わりです。番外編がひとつありますが、それはまた別の機会に。もし、この町に興味を持って行ってみたいと思われる方がいらしたら、是非下のリンクから地図をお役立てくださいね。

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