若い頃にBOOWYが好きだったというお話しをしました。
その話しの続きを。
解散後、それぞれの活動に入るメンバー達。フロントマンの氷室京介はソロシンガーとなり、その1stアルバム。
絶頂期での解散。期待されてのリリース。そしてキャッチーでPOPな名曲が満載。
当然のように大ヒット。ろしーたも最初のツアー武道館の2階、後ろの席で観に行った記憶があります。
ろしーたの周りでも大絶賛でしたが、2ndアルバム。
ろしーたはこちらの方が好きでした。
NEO FACIO(ネオ•ファッショ)。
FACIOとはイタリア語でファシズム。
アルバムがリリースされた1989年は中国での天安門事件、ベルリンの壁の崩壊…。歴史に残る印象深い事件がありました。
その名の通り、ファシズムの危険性を問うた内容の歌詞。複雑なリズムにゴチャゴチャした重苦しい雰囲気。1stアルバムとは180度イメージの違うカオスな世界観に、19歳のろしーたは引き込まれました。
それまでにシングルカットされた、雰囲気が全く違う曲が途中で収録されてる以外、どこか薄ら寒い曇天の空の下のようなイメージの曲が続く。
まるで昔観た映画、大戦下のヨーロッパのような白黒の世界。
そして最後から2曲目がこの「CALLING」
それまでの鬱積した怒りの感情を吐き出す。抑圧されていた民衆を解放し、そして鼓舞するような歌詞とメロディに、何か明るい未来を感じました。
歌詞に出てくる…
「歴史の上を転がるだけの 救えない道化師たち」
「嘘のパズルを並べ替えてる 哀れなペテン師たち」
「不器用さを器用に振る舞う 愚かなロマンティストたち」
これらが近年の我が国の(一部の)政治家に思えてくる今日この頃。
残念ながらろしーたはその後、数枚のアルバムを聴いただけでヒムロックを聴かなくなりました。
ドラムスはそうる透氏。ドラムス以外の全ての楽器を演奏したプロデューサーの佐久間正英氏。
今年、その佐久間氏がお亡くなりになられたとのニュースを聞きました。
そして来年のライブをもっての活動休止宣言をしたヒムロック。
もう四半世紀。25年前の曲とは思えない。
是非一度、聴いてみて下さい。
以上。