逆次は自分を生かして自分の人生を諦めていること | ころばぬ先の首藤ナビ~~ビジネス〈せめて〉これだけは!~~

逆次は自分を生かして自分の人生を諦めていること

昨日の記事

逆次をしった。

で書いたが、昨日、自分は逆次だと気付いた。

きづいて過去を振り返ると

自分は
さびしい思い出しかないことに気がついた。

遊びに行った思い出もほとんどない。
家族で楽しい旅行を作ろうとした時があった。
がん語で孤独好きな父親と我の強い母親を説得して、
やっとこさ、日帰り旅行をした。

小学校5年のころである。

父親と母親に気を配り、お上手を言って
機嫌を損なわないようにした思いがある。

それでも自分は楽しかった。
しかし、そこまでしないとたのしみはないということも
知ったのだと思う。

それまでは行きたくもない父の実家(田舎)に毎年(小学校1年から
小学校4年まで)夏休み期間中
ず~~と預けられた。


実家では夕方になると毎日1~2時間泣いていたのを思い出す。
毎日がさみしかった。

2週間前、息子の話をしている時にふとこの話題が出た、

母親からは、「あんたはいつも行きたくないよ。
どうして家にいてはいけないの?」と言っていたよと
笑って話しをされた。
「どうしてそこまで行っているのにやめなかったの?」と聞くと
「実家がこちらに来いと言ったから。仕方がなかった。」と
答えてくれた。

当時のさみしさがよみがえってきた。

そういえば、どこかに連れて行ってくれるのは
近所のおじさんだった。

ともだちのお父さんだった。

幼稚園のお迎えも友達のお父さん。
公園のプールに行ったのも隣のお父さん。

なんで自分だけ親が来てくれないの・・・

と思った。

なんか涙が出てきた。


よほど何かをしない限り、
自分は好かれない。

という思いこみができても当たり前。

逆次の人は、自分がもともと好かれることがないという
前提に立っていると考えてしまうことが多いらしい。

好かれる、あいされることがない が前提になっていると
どういう行動に出るかと言うと・・・


私の場合2パターンに分かれた。

ひとつは、
そして自分の強みをつかって、好かれる状態にする。
これって2次のように見えるけど
(もしかすると2次かもしれない)

自分は好かれることがないという前提で
何かしないと好かれないというブロックを
維持しようとしている前提なので
この点から考えると逆次的である。

ふたつめは

好かれてくると、
自分がいかに好かれていないか
を証明したくなって、好かれている状態を
破壊する。
これは先ほどの好かれる努力が限界に来た時に
自分の世界観、ブロックを正当化しようとして発生する。

それみたことか、わたしはテクニック(強みを駆使して)
好かれていただけだよ。
わかったか!!

ってやってしまう。

これも正当化と言う点で

逆次。

う~~ん、

しかし

逆次と言うことが分かって
自分がやる、自分でわからない動きがわかってきた。

自分で自分のことが分からなかったが

いや、

蓋をしてきたが、
すこ~~んと蓋が抜けて

きもちがかる~~くなってきた。



朝からボミ語り:突然目が覚めて、点が線になる