これまで話しの途中で中断したままになっていた私の半生について、新ためて書こうと思う。
人間が自分自身の記憶についてどこまで過去に遡れるかは個人差があるため一概には言えないが、私の場合は幼稚園以降のことは鮮明に思い出せる。それ以前のことも断片的に覚えてはいるが、やはり私にとってのスタートラインは幼稚園ということになるので、ここから書き始めることにする。
私が通っていたのはカトリックの修道会が経営していたので、かなり宗教色の強い幼稚園だった。
幼稚園の隣りには教会があり、各クラスには担任の先生の他に修道服を着たシスターがいた。
ちなみに幼稚園は学校教育法に規定されている学校なので、単なる託児所にすぎない保育園とは根本的に違い、ちゃんと時間割もあり、先生は幼稚園教諭という教員免許を持っている。従ってベビーシッターのような保母と違って誰もが簡単になれるものではない。
ところでカトリックとプロテスタントの違いについて一般の人は殆ど知らないが、もし近所にある教会がカトリックなのかプロテスタントなのか知りたければ、マリア像があるかどうかを目安にするといい。
マリア像があればカトリック、なければプロテスタントと覚えておけば旅行に行った時にも役立つだろう。
このように物心がついて最初に接した宗教がキリスト教だったので、保育園ではなく幼稚園だったことと相まって、その後の人生の分岐点で大いに役に立った。我が家の中でキリスト教に縁があるのは私だけで、妹は保育園で、家の宗教も父方は浄土宗、母方は浄土真宗と、いずれも仏教だった。
既にここまでの話しに含まれている内容で、ブログが何本も書けるが、それは別の機会に譲って話しを進める。
私が以前ショーペンハウアーの哲学についてエヴァンゲリオンを例に説明したことがあるが、これもキリスト教と大いに関係している。もしキリスト教を知らずにエヴァを見ていたのなら、本当の意味は全くわからないままだろう。それは作品のタイトル一つ取っても明らかだ。
話しがまた外れてしまった上に、ここまでで結構な長さになってしまったので、続きは次回にということで、今回はここまでにしておく。