私は典型的な被害妄想のつよい人間のようだ。

親に責められた思い出が
あらゆる出来事にリンクして離さない。

テストの点を評価してもらえなかっただけのことが、今の私の揚げ足をとってるなんて笑えるね。

偏差値61のそこそこの大学に出ても
なお、私には自信なんてないし、
人に自分を出すことが怖くて仕方ない。

他者を迎合するしか
他者との付き合いかたを知らない。
、、、知らないのでなく、
できないのだ。

言葉を選べないから
話さない。
話さないから、自己完結になり、
自分の殻に閉じ籠る。

母親の言葉が私を傷つけたように
私が誰かを傷つけるのではないか?

そう思うと私はなにも話せなくなる。
これは多分自意識過剰の域にあるようにも思う。

自意識過剰で自分というフィルターでしか相手が見れない。

相手をきちんと見る。
見つめる。
何を受け入れてくれる人なのか
どこまではOKなのか。

それって難しい。

けど、私の被責妄想を治して
他者を迎合するのを
やめなければ
私はこのまま自己破滅をおこすのではないかと思う。

何が正しいのか
どう生きるのが私にとって楽なのか、
未だによくわからない。

他者を受け入れられないのではなく、
他者を受け入れないことで
自己満足を得ようとしているようにも
思える。

私が充実していないから
他人が気になるのかも知れない。

私。私。私。
をやめる。

私を気にしなくなること、
それが私の一人立ちの一歩なのかもしれない。

ずっと自分を探してきた。
一人で自分と向き合ってきた。

自分を自分でしか測れないのは
他人に測らせたら
自分がどんな風に評価されるか
怖いから。

私はいつも自分の理想を大きく持ってる気がする。

私を忘れること。
私に固執しないこと。
それが殻を破るひとつになればいい。

力をぬこう。
自然体でいこう。











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