先刻まではいた。今はいない。
 ひとの一生はただそれだけだと思う。
 
 ここにいた。もうここにはいない。
 死とはもうここにはいないということである。
 
 あなたが誰だったか、わたしたちは
 思いだそうともせず、あなたのことを
 いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
 
 悲しみは、忘れることができる。
 あなたが誰だったにせよ、あなたが
 生きたのは、ぎこちない人生だった。
 
 わたしたちと同じだ。どう笑えばいいか、
 どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。
 
 胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、
 いったい確実なものなど、あるのだろうか?
 
 いつのときもあなたを苦しめていたのは、
 何かが欠けているという意識だった。
 
 わたしたちが社会とよんでいるものが、
 もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、
 みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。
 
 わたしたちは、何をすべきか、でなく
 何をなすべきでないか、考えるべきだ。
 
 冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの
 「Conversations With Myself」を聴いている。
 
 秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、
 ここにいた。もうここにはいない。