人からどう見られているか。
気にしたことがないといえば、
嘘になる。

わたしという、人間は
この世間というコミュニティーの中での
振る舞いを客観的にみると


人から何も思われたくないと思いすぎた結果、
当たり障りのないことしか言えなくなった
とても臆病な人間なのだと、私は思っている。


当たり障りなく、
嫌われない程度に、
だからといって過度に期待されないように。


その結果、誰と化学反応を起こすことなく、
摩擦することもなく、 
最近はだけど、生きてこれて、
私は次第にそんなに人からどう思われているかについて、過度に考えなくてよくなった。
楽になった。空気になった気分。
解放的な気分だ。


そんな中、久しぶりに
会社の方と話した今日。


私を人見知りという人がいて、
私を真面目だという人がいて、
私を松田聖子のような?無垢な人という人がいて、
私を本能で生きてるよねという人がいて、
私を度胸があるよねという人がいて、
私を肉食系という人がいて、
私をボタニカルという人がいて。



私は、私はそれぞれの人にそれぞれ違う自分を見せてたわけじゃない。


私はそれぞれの人に、
ただ一辺倒に当たり障りのない人間を
見せてたつもりだった。



なのに、こうも受け手の印象は違って。




感じたことといえば、
私が当たり障りなくすることに
いくら固執したって、
周りは自由に勝手に、私という人間を享受してるということ。


ほんとの私というものは
存在しないのかもしれないということ。


この当たり障りないように演じてるつもりが、
なにも演じられてないのかもということ。



人にどう見られてるかなんて、
自分でコントロールできないということ。








私は当たり障りのない、
誰も傷つけない人間になりたいけど、
いくら頑張っても、
そんなものにはなれないのかもしれない。









少し哀しくなった。
私はどうしたらいいんだろう。









少し途方に暮れた。




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