何年か前の私なら、きっと北朝鮮にミサイルを撃たれたって別に良いと思っただろうな。


でも、今は今日1日生きた心地がしなかったし、なにもなくてホッとしました。


毎日、毎日いろんなことがある。
怖い事件。信じられない事件。事故。消える命。
病気と闘う命。親と闘う子供、逆も然り。


自分の子供と同じくらいの子を殺したり、
自分の子供を殺したり。
福知山線の事故も、思い出した。
誰か1人のミスで、大量の人が死ぬ。


いろんな哀しいトピックスで、
私まで哀しい気持ちになる。


世の中、哀しいことで溢れてるよ。
残酷で、見たくもない世界ばかりだ。




でも、きっと同じ数以上に幸せなことも溢れてる。


でも、だから、良いというわけじゃない。


だからって哀しいことを無視してよいわけじゃない。



負があるから正がある。仕方ないと思ってしまえば楽だけど、仕方ないといってしまったら、全てが終わってしまうようにも思う。


昔の彼がいった。
プラスがあるからマイナスがある。
マイナスがなけりゃプラスはないと。
あの時は強く共感した。
マイナスはあってよいものなんだと。
あって自然なものなのだと。
私はマイナスがあることを受け入れる事ができた。



でも、だからって、哀しみに仕方ないと思いたくないと最近は思うようになった。


あの事件だって、あの事件だって
仕方なくなんかない。
やるせない気持ち。
受け入れられない気持ち。
当事者の方々の傷は相当なものだ。
 




だからって、じゃあ、誰かの悲しみに寄り添ってずっと哀しみに浸っていろというのか?


それはそれで、馬鹿みたいだ。
せっかく生かされてるのに、全うしないで、
哀しみに浸るのと、
哀しみを知りながら生をエンジョイするのとでは
周りの人に与える影響は違うだろう。



私にできることは、できるだけ周りの人を傷つけないこと。


そして、大事な人を大事にすること。

 


今はそれだけ。



哀しみを力に。
恐怖を力に。