言葉を用いることの巧みさが人を動かし、現実を動かすということは良くわかるのだが、決定的にこの言葉を用いるということに対してどうしようもなく怠惰である。
10年前はもう少し言葉を使うということをしていたように思える。
年々言葉を用いることに面倒くささを感じる。
もともと自分の感じたことや考えていることを文章にすることに対するセンスが欠けているようにも思えるが、最近とみにその傾向が強い。
長々と文章を書いていくことも困難さを感じる。
自分の繊細な感性を文章の中で表現できている人達を見るとうらやましいとも思うがまあ、そこに自分の強みはないのは明らかだ。
FBで流れて来る文章を見ていると、1種の作品のようになっているものもある。
言葉をアートにする才能は決定的に欠けているし、だからと言って論理性が高い文章が書けるわけでもない。
議論の道具としての言葉を使いこなせるわけでもない。
言葉によって思考を深めて、自分の思想のような物を構築できるわけでもない。
営業力のある言葉が巧みなわけでもない。
というわけで何とも自分の発する言葉にどうにも魅力というものがあると思えない。
などと考える今日この頃!
いやこれは以前から何となく感じていたことではある。
自分の親はアーティストであるが自分にはそうした資質が欠落しているように思える。
できることならば自分かを関係する全てがアートであって欲しいという思いがどこかにある。
ところが現実はそうなっていない。
自分の環境、行動、言葉、仕事、全てがである。
こういった全てがアートであって欲しいというのがもともと私の中にあったが残念ながらそれはないものねだりであった。
例えば一見単純な履き掃除であっても行う人によってそれは美しいアートになりうる。
1度だけそういう美しさを掃除をする初老の男性に見たことがある。
だから自分の何気ない所作もアートであって欲しいという思いがすごく強くあった。
言葉に対しても同様でありできることならば自分の口から発する言葉も書かれる文章もアートであって欲しいという思いがあったのであるがいつかそうした思いは消えてしまった。
そうして何の羞恥心もなく駄文を垂れ流す日々を送っている。