いつもの生活のありがたさを知ることが出来なかった。
それは31歳の自分にとって当たり前だったのかもしれないけれど、そんなことをちゃんと覚えとかねぇといけないと生きるようになった。少し改まった。
鹿児島は確か震度①だった。宮城沖が震源だったのにこんなに遠くまで揺れたんだ。
多くの人の日常が消えてしまった日から7年。
風化してしまうのは当たり前だし、少しでも早く忘れたい。。って方々も沢山いるんだろうなと当地を旅して思った。
遠くに住んでて、現実味がなかったからそれを体感しようと初めて向かった東北の地。
そして現実と向き合いそれでも前を向いて進む人達とふれあい、または目の前にするとこちらの方が恥ずかしくなるくらいだ。
大きな力でしか協力出来ないこともある。無理強いすることもない。
でも俺は一人でも出来ることだってあるんだぜ、だったらやるよ。皆から教わってきたから。
がんばっぺし、また行くよ。
また行くと決めてるんだ。