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トマロビーのソバで

4年間もペットショップで売れ残ったアメリカンカールのトマスと元野良の黒猫ロビン、捨てられてたソバの愉快な毎日をつづる猫ブログです☆

今月頭に行った、魔女の棲む家の解体に際して行った、解体パーティについて少し書きます。

魔女の棲む家の解体①から読んでね。)

 

 

5月1日、ゴールデンウイークの中日の日曜日に、前々から計画してホームパーティーを行いました。

 

ホスト:「あの人」、わたし、おにいちゃん(夫)、このこ(息子)、わたしの姉

ゲスト:「魔女の棲む家」にゆかりのあった人たち(K夫妻、Oちゃん・Oちゃんの彼氏)、あの人の友人たち、わたしの近所の友人たちとその子供たち

 

ホームパーティはコロナ禍もあり相当久しぶりでした。

まず、解体する前に最後のお別れということで、

 

 

みんなで魔女の棲む家に行きまして、

 

 

各部屋での思い出話をしたりとかしながら、

 

 

壁や建具に、マーカーやスプレーで家に対してお別れのメッセージを書きました。

 

 

いい感じ。

 

 

絵(?)を書いたり、自分の人型を壁に書いたりもしてる子もいました。

ちなみに男の子供たちは主旨を理解せず、

 

 

破壊に走っていましたw

一通りお別れを告げた後、トマロビソバ家に戻り、

 

 

宴が始まりました。

 

 

今回の料理は、おにいちゃんプロデュース!

めちゃくちゃおいしかったです★

 

そして、あの人の友人である

 

 

永田直之さん(ながっち)にライブをしていただいたり…

 

 

この日は雨の昼下がりだったのですが、ながっちの声と音楽が、ノスタルジックで、魔女の棲む家とのお別れに優しい彩を添えてくれました。

 

この日の1週間弱後にトマスは他界するわけですが、ベッドの上の猫テントの中ですやすやと寝ていて、みんなに撫でられたり、ちゃんと起き上がって

 

 

ふらふらとしながらも、みなさんにおもてなしの挨拶に回っていました。

 

この日あつまってくれた人たちは、頻繁に我が家に遊びに来ていた、トマスもゆかりのある人たちです。

今になって振り返ってみれば、最後にちゃんと挨拶をしたんだなぁと、改めてトマスの立派さ・男らしさにほれぼれします。

 

そんなおもてなしトマスとは裏腹に、

 

 

こいつら。。。

お膳回り犬め・・。笑

 

そして最後は上階から

 

 

どんべえも来てくれていました。笑

 

ところで、魔女の棲む家は、東日本大震災も、幾多の大型台風も乗り越えてきましたが、いざ、解体工事が近づいてきて、掃除が本格化したころ、ついに

 

 

床が抜けました。。笑

私たちが準備できるまで、ぎりぎりまでもってくれたんだなぁとおもいました。

 

 

いまは本当にあっという間に更地です。

順調にいけば11月には自宅、12月には賃貸アパートのそれぞれが竣工します。

 

 

 

ここ半年は本当に怒涛でした。つらい別れが連続して心がもたないかと思う瞬間もありました。。

 

これから、家が建つまでのの半年、家族、友人たちに支えられながら、どうか穏やかな日々になりますように。

そして、ソバと、かたちは見えないけどトマスロビンと一緒に、みんなで引っ越したいと思います。

 

 

ブログ、どうしようかなと思ってはいるのですが・・・「トマロビーのソバで」が、「ソバで」だし。。。

 

でも、昔の記事を読んだり、写真を見返したりすると、トマスロビンとのしあわせだった日々、さらに遡ればあんどんとの日々等をしみじみと思い出すことができて、本当に10年続けてきてよかったと思っているので、まだ少し続けていきたいなと思っています。

お付き合いいただければ幸いです。

トマスが旅立った日の翌日から、あの人(私の母)が住んでいた築70年の家(通称・魔女の棲む家)の解体工事が始まったということを、このブログで書きました。

 

魔女の棲む家、は、もともと私の祖父母が、昭和20年代末にこの土地に引っ越してきたときに購入した家です。そのまえは、にんじん畑だったそうです。私は会ったこともありませんが、祖母の父(私からみて曽祖父)も少し暮らしたことがあったようです。

 

 

うっそうと蔦や庭木に覆われた独特な外観と、

 

 

 

 

中は、昭和20年代から使われていた建具、すりガラス、

 

 

 

独特な間取り。

昭和20年代末から、50年。そして祖母が2003年に他界してからも、さらに20年弱。この家には、70年の間、独特な空気がずっと流れ続けていました。

 

(昭和30年代頃、家の前で撮影)

 

さて、70年の歴史を誇る家は、あの人を中心に、ずっと少しずつ片付けていたものの、いざ解体となると全てを処分する必要があり、それはそれは大変な作業でした。

 

昨年末から、土日は、あの人と、私の姉と片付けをする毎日でありましたが、3月中旬に、あの人が、トマロビソバ家の1階に越してくるのを一つのマイルストンにしていたので、片付けのピークは3月でした。

 

あの人が越してくる時は、引越し業者さんを入れましたが、連日の掃除の疲労と期日に追われる焦りと苛立ちで

 

 

あの人がキレて、椅子を壁にぶん投げた。

見事に刺さった。笑

 

解体直前にはゆかりのあった人たちを呼んで、解体前のこの家を見学しながら、パーティをしたのですが(次のブログに書きます)、みんな、この椅子が相当面白かったらしく

 

 

かなり撮影スポットになっていました。笑

 

さて、トマスが旅立った翌日から解体工事が進み、

 

 

 

2週間ちょっとのうちに、

 

 

あっというまに

 

(本日撮影)

ここまで解体が進みました。

 

 

 

これは今年の1月に、このこの七五三で袴と、私と私の姉が祖母が染色した着物を着て、記念に家の前で撮影したものです。

・・・考えると、このお家は、曽祖父、祖母、母、わたし、そしてこのこと、なんと5世代にわたって家族を見守ってきてくれました。

 

そして、ここには、たくさんの動物たちも住みました。直近だとBBと右京ですが、

 

(わかりにくいですが手前がウーフとしずか。1993年頃)

 

うーふ、しずか、キキ、ティンク、おはぎ、たぬえ、あんどんも住んだことがあります。

 

(幼少期のわたし。子犬だったウーフを抱っこ。1992年)

 

(これはウーフとしずかの先代、ニゴ。なんと2万5千円だったからニゴ。)

 

・・・そしてさらにその前には、昭和20年代から、ほんとうにたくさんの動物たちがここの地で暮らしてきました。

 

(なんとこの少女は「あの人」です!)

 

2021年初にトマスの腎不全が発覚し、次にロビンの糖尿病が発覚し、そのころから動き始めていた、この建て替えのプロジェクト。トマスとロビンの闘病の時期と重なったので、とにかく治療をして、新しい家にみんなで一緒に越そうと、その一点をただひたすらに目標にしてトマスとロビンの介護をしてきました。

 

その心の支えだった目標が、トマスとロビンの立て続けの他界で叶わなくなったことで、あまりにも呆然としてしまっていたのですが、、こう振り返ってみると、トマスとロビンはもちろんのこと、祖母をはじめとした先だった家族と動物たちとの思い出に囲まれて、彼らの空からの見守りにより、私たちは新しいステージに進んでいっているんだなぁと、感じます。

 

 

前を向いて生きていかなくては。

 

ありがとう、おうち。

ありがとう、先にお空に帰っていった、たくさんの私の愛しい人たち。

 

次回は、今月頭に行った、解体パーティについて少し書きます。

トマスが他界して1週間以上経ちました。

トマスの旅立ちが私にとって大きな節目であったことをブログに2回書きましたが、トマスとのお別れの日について少し記録したいと思います。

 

ロビンのお別れの日の記事に引き続き、トマスの亡骸をモザイクなしで載せますので、気にされる方はここまでにされてくださいませ。

 

 

トマスが他界した日の記事で書いた通り、トマスは穏やかにおねえちゃん(私)の腕の中で旅立ちました。本当に穏やかだったので、しばらく信じられなかったくらいです。

 

 

亡くなる2時間くらい前に撮った写真です。

本当にいつも通り私にぺったりとくっついて抱っこされて寝ていました。

 

 

これが生前最後の写真になりました。

亡くなる1時間くらい前かと思います。

カメラ目線してーって言ったらカメラ目線してくれました。本当に最後の最後までいい子でした。

 

トマスが息を引き取り、この家に住む、あの人(母)、K夫妻にLINEしたら、もう朝の3時だったのですが、あの人もK夫妻の妻のほうも即返信があり(二人曰く、”普段はこんな時間起きていないのに、なぜかこの日目が覚めた”とのこと)、

 

 

すぐにトマロビソバ階に集まってくれました。

まだ暖かさが残るトマスとお別れをしてくれました。

 

翌朝、起きてきて、トマスが旅立ったことを知ったこのこ(息子/5歳)は、「ロビン君もトマス君も居なくなって…ソバちゃん一人になっちゃった…」とわんわんと泣きました。この年で、半年の間に2匹の猫の兄を見送ることになり、つらい思いを経験することになってしまいました。この年にして、いのちの大切さを学んだと思います。

 

気を取り直して、駅前の花屋にお花をたくさん買いに行き、

 

 

このこと二人で、可愛くトマスをデコレーションしました。

ほとんど、このこが選んだ花でしたが、トマスのグレーの毛皮にとてもマッチしています。

 

実は翌週、わたしは全日出勤/残業が予想される仕事を予定しており、火葬をするタイミングがうまくとれるかな・・・と思っていたのですが、いつもお願いしているペットパパさんが、その日の夕刻にたまたま予約が取れるということで、早いですが、その日の夕刻に見送ることにしました。

 

 

当日のことだったのに、あの人も、K夫妻も全員都合をつけることができ、全員でトマスを夕刻に見送ることができました。奇しくもK夫妻は5月10日からはアメリカに買い付けに行く予定だったので、最後の最後まで本当にタイミングを読んでくれたトマスです。

 

ともに楽しい時代を過ごした動物たちからもお別れの挨拶を。

 

 

どんべえ。

 

 

BB・右京。

 

 

そして、ソバ。

ソバとトマスの最後のツーショットは、本当に胸が張り裂けそうでした。

トマス、本当にソバを可愛がっていたから・・・ふたり、本当に仲良しだったから。

 

 

いつも通り、家の前に火葬車をつけてもらい、最後のおわかれをしました。

お花に囲まれたトマス、本当に可愛かったです。

 

そのあとみんなでお骨あげをして、トマスの顔の骨のでかさに驚愕しながら、

 

 

いまはこんな感じで小さな骨壺に収まりました。

トマロビソバがみんなで遊んだキャットタワーが、今、トマスとロビンの祭壇になっています。

・・・キャットタワーがこんな使われ方をするなんて。。

 

 

元気な頃に想像だにしなかったです。

二匹が健在だった頃が、ついこの間なのに本当に懐かしく思い起こされます。

 

トマスとロビンの骨壺を横並びで置きました。

 

 

いまごろ、トマスとロビン、お空で再会を・・・喜んではないな。笑

 

トマスについても、ロビンと同様、アクリルパネルの等身大くらいの遺影を発注してあるのですが、まだ届いていません。

 

今、骨壺の前に飾っている写真は、写真ではなく、モレシャンさんご夫妻からいただいたトマスのイラストです。

本当に愛らしいイラストを送っていただき…トマスが私を見つめる、あの私への愛たっぷりのあの視線が戻ってきたようで、思わず涙しました。

アクリルパネルがとどいてもこのイラストは祭壇に飾っておく予定です。

 

(小さくシグニチャーに「しばきますにゃ」って書いてある笑)

 

 

トマス、私の自慢の、珍妙でユニークな、可愛い可愛い子。

 

11年前のあの日に、私がトマスを探し出すまで。

4年半も、あんなひどい環境で、生き抜いてくれていてありがとう。

 

それからの11年弱、本当に幸せな時間をありがとう。

とにかくひたすらに愛してくれてありがとう。

長男として立派にとりしきってくれてありがとう。

 

最後、ゆっくりとお別れの時間をくれてありがとう。

 

天国で、ロビちゃんしばきすぎないで、あんちゃんとたぬちゃんとか、一緒に過ごした、先にいるみんなと、いい子で待っててね。

いつかまた会えるからね。