mixi麻雀回想録 | 池袋と新橋の事

池袋と新橋の事

池袋と新橋

晴れて店長になる。

主任からの店舗内昇格なので、お客さんもよろこんでくれた。

このときに、前の店長が転勤が決まると移動するまでの残された仕事を、最後に片付けてくれた。
『鳥越が、店長任される前に、出禁候補は、おれがはなしをつけてやるから、いいお客を残すから、頑張れよ。』

と、言ってくれた。

店長を任される頃にはマナーのよい店にかわっていった。


この時に全面サポートしてくれたのが、女流プロの響プロ。

かなりたすけてもらったな。

とにかく自分には、理想がある。
でも、それを貫けば、合わないやつはやめるしかなくなる。

辞めたやつが、本当に必要なかった事を証明する責任と義務がうまれる。

さらに、売り上げと言う十字架を背負う。

しかし、
二十年の歴史をもつ店舗の、年間売り上げをぬりかえたのだった。


メンバーは、若いやつを中心にした。

ミスや実力の無さは若さと元気でカバーしろ

が、モットーだった。



そして私は、
本店の仕事を学べた。

広告、求人、業者関係など、
いろんなものを吸収した。



そして、
2005年の十二月に年間売り上げを更新し、独立の意思を社長につたえる。

翌一月を最後に私はチェーン店を去った。


そして、最後に
社長の家に挨拶にいった。尊敬する社長に…………



一代で、財を成す。


これは、誰もが一度は見る夢なんだと思う。


しかし、現実にそれを成し得た人にしかわからない景色が、あるのだと思う。


その景色を見ようとしなければ、また、努力をしなければ、到底そのひとのいうことなど、身に染みるわけはない。


社長と初めてあったのは、川口店に勤務していたころだった。


『おい、おまえこっちきて、座れ』

ダミ声で、よばれると、
たわいもない話し。

どこに住んでるんだ?

前職は、なんだ?

入ってどのくらいだ?

など。

最初は、気の良い親父かと思ったら、あーでもない、こーでもない、客仕事だからどーの、そもそも、根本的に駄目だとか。

長々しい説教から、始まるのだから、好きになるわけがない。


しかし、今になり思うが、かわいいからいうのだった。だが、小僧の俺にはわからなかった。

主任になると、毎日のように、電話がなる。
二時間は社長とはなす。
いや、
聞かされる。

正直だるいし、うざい。

たまに、嘘を言っては、電話を切った。
『社長、すいません。卓にはいることになりましたので、かけ直します。』

すると、
わかったから、頑張れよと、電話を切る。

しかし、このころから、社長が、俺にめをかけていることなど、知るよしもない。

なぜなら、内容は御小言なのだから。

本店勤務となると、状況はまたかわる。

店に社長と婦人が、毎日のようにくるのだから。

このころから、独立への色気や、出世への色気、はたまた、暖簾わけも、視野にいれ、考え方もがらりとかわっていた。

婦人には、おもしろい、明るく元気だなど、いたく可愛がってもらうことになる。やさしいかただった
社長を見る自分の見方もかわってきた。
なんと、魅力的な男なんだろうと。ケチだと、言われるが、それが、社員を守る男のすがたなんだと気づかされることになる
このころから、店長部長会議(幹部会議)にもでるのだが、真ん中には、社長。左に常務。右には一介の店長の俺
なんだ、この配置
他の店長たちの視線がつめたい。
社長は言う。
おまえには俺の横に座る義務がある。グループは社長常務部長店長主任従業員の、縦割りである
いかに、俺の座る位置がおかしいか、おわかりだろう
社員旅行に、いけば、
社長の運転手
社長と常務と相部屋。
布団をならべて、川の字の真ん中で寝た。
しかし、この旅行で、社長と、露天風呂にはいり、歴史を聞かされ、自分もやりたいと思う気持ちを抑えられなくなるのだった。
本店修行編のさいごにあった社長の家に行く前に
社員旅行で、二人で露天風呂にはいった時の話。
[s:4]『なあ、おまえはなんで、麻雀店で、はたらくんだ?』
[s:456]《えっ?なんとなくなんていえない。》
将来的に自分の店を持ちたいからです。
[s:4]『そうか。俺はなあ、だまされたというか、調子にのっちゃったんだよ。昔働いてたら、そこの客が麻雀屋をやれば、毎日行ってやるよなんて、みんながいうから、やればもうかるのかな?なんて簡単な気持ちだったよ。最初はみんな来てくれたけど、段々来なくなったり、金を借りて帰ってこないひとたちばかりだったよ。まあ、人間不信になったな。借金まみれで、親戚には愛想をつかされたしな。首をくくろうかとおもうこともあった。しかし、あることがきっかけで、転機が来たんだよな。』「なんかあったんですか?」『当時の店は、ハイレートで、マナーは悪いし、客層は、堅気(普通の人)が少なく、変な輩の集まりだった。そして風の噂で聞いた新宿のお店を覗きにいったんだよ。わらにもすがるきもちで。勉強にいったんだよ。そこは、別世界だったよ。サラリーマンばかり。みんなマナーがいい。これからの麻雀屋はこれだと、おもったんだよ。すぐに店にかえりルールをかえて、スジもんは全員おいだしたよ。まじでこれがたいへんだったね。ここからだよ。はじまりはね。時代もよかったのかな?すぐに店も増やせたよ、運もよかったのかな。でも、本当に大変だった。だから、いまは、新しく店を出して、みんなにのれんわけをしていきたいんだ。苦労をするのがわかってるから、すこしでもふたんをへらして独立させて、しあわせにしてあげたいんだ。おまえにも絶対にやるから、もう少し我慢しろよ。何事も、焦っちゃだめだからな。もう少しおまえは勉強しとけ。』

人に歴史あり
いろんな話を聞かされて
少しのぼせた。しかし、こういうはなしが、
好きだから、燃えてしまった俺がいた。社長の話を聞いて、ますます火がついた。

自分の店を持ちたい。
そして、いつか、肩を並べることを許される男でいたい
辞める気持ちがあることを担当の部長に伝える。
年間の売り上げ記録があるので年内は働くことに。
さらに正月はいそがしいので、一月末を最後にやめることになった。
何度も社長にも、引き留められて、常務も出て来る始末
まだ、早いんじゃないか?
なにも、あせらなくても、のれんわけをまてばいいだろ
そんな言葉をおおくかけてもらった。
しかし
店を増やしていくペースは下がる一方。
しかし、自分の豪邸は建てちゃう始末。
グループ展開より、自分のことがさきならば、諸先輩を差し置いて自分にのれんわけのチャンスがあるわけない。ならば、やはり、立ち上がるしかない。実際にやめることになり、
最後に社長のいえに挨拶にいくと、最後の話が、あった。家に行くと、お手伝いさんが、料理を振る舞ってくれた奥さんから
『ホントにやめちゃうの?さみしくなるね。また顔をだしなね、あの人は口では淋しいからきついことをいうかもしれないけど、本心はすごく心配しているのよ。わかってあげてね。』
などと声をかけられた
むろん、そんなことはいたいほどかんじた。
「社長お世話になりました。そろそろ失礼します。社長『すこしまってろ。上野に予定があるから、ついでだから乗っていけ。
と、言われた
社長『新車なんだからな。助手席に、家族以外はおまえがのるのがはじめてなんだからな。』
と、いわれた
当時のジャガーの最新モデルだったらしい
道中いろんな話を聞かされる。
中でも一番印象ぶかい話が、あった。社長からきいたのは、麻雀という業種がいかに、社会に認められにくいのかをきかされた。
正直おどろいた
チェーン店なら、
さほどの苦労もないようなきがするからだ。
独立当初なら、話はわかるが、これほど店舗をふやしても、いまだにくろうすることも多いのだと
自分も経験したが、
物件を貸したがらない。

というのか、麻雀店舗OKという物件が、めちゃめちゃすくないのだ。理由はいろいろあるんだけど。
場所や、物件に縛られる。
実際に、麻雀店というだけで、ローンがくめなかったりする品物もある
ある店舗をかりるときの苦労話。

駅前徒歩二分の好立地。

どうしてもかりたい社長は、すでに五店舗くらいある資料などを持ち込み実績などをアピールするも、ビルのオーナーは首を縦に振らない。
ビルのオーナーは、麻雀店の、ダーティーなイメージをマスコミ、麻雀映画などから、もろに影響をうけて、自分のビルが、暴力団の資金源になるのでは?
くらいのはなしをするそうだ。
ここのオーナーの説得に約半年。

ようやく貸してもらえるきっかけになったのが、
ビルの袖看板を下から上まで社長が、寄贈するかたちになり、そこまで、商売に熱心なんだと心を打たれかりることができ、最終的には社長が、払うはずの看板もビルのオーナーが、熱意に打たれ負担したらしい。麻雀店をやりたい。
麻雀を打つ人なら一度は思うはず。

麻雀に毎日かかわっていきたい。
しかし
全国チェーンの社長ですらこの苦労。
おれなんかは、人の三十倍がんばらねえとおいつける可能性すらみえないはず
麻雀を、
大衆娯楽の王様に、

全知全能の頭の格闘技の、最高峰の麻雀を
もっとみんなにたのしんでもらいたい苦労はつきないけど、
麻雀で、役満上がるときみたいな、手が震えるような興奮や、心臓の音が人に聞こえるかもと思うような胸の高なりは、
ほかじゃあじわえないから
この仕事が、すきなんだなオレ。