東京蓋散歩 ~マンホール巡り~ -3ページ目

東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

柳水庵を少し降りたところにしっかりとした作りのヘンロ小屋がありました。緊急時には泊まれるようで室内には布団が干してありました。

とりあえず半分の道のりを無事に越えることが出来ました。

雨上がりのピンクの競演

つかの間の舗装路を逸れてまた山道へ。

20分ほど歩くとへんろころがし4/6

 

四十二丁の丁石。長戸庵付近にも丁石があったらしいのですが見落としたようです。

「がんばって今一息」はい。

 

一本杉なんとかかんとか (読めません

杉の巨木をバックにしたお大師さんが神々しく見えます。

第3チェックポイント 番外霊場 浄蓮庵。ここまで4時間弱。

 

首が切れてかわいそうな廿八丁地蔵丁石。 「急な下り道 ご無事が一番」ありがとうございます。

 

写真では伝わりませんが岩肌の濡れた下り坂は滑りそうで怖かったです。へんろころがし5/6

 

なんとか滑らず、転ばず、開けた場所に出て一息。

右 古んぴら?

七丁では近すぎるので十七丁かな?

雨降りの日にもかかわらず水は澄んでいます。

いよいよ最後、へんろころがし6/6。最もきついと言われています。

「愚に生きる」「がんばりましよう」はい

 

♪れりごー というかas it isか。

 

十四丁、十二丁

八丁

 

七丁、四丁

思ったほどきつくなかった最後のへんろころがしを抜けていよいよです。あと460メートル

いきなり大迫力の石造祭りの様相。

全部載せるのは辞めておきましょう

そして最後の丁石。これまでの舟形丁石でも気になっていた「山」の下の記号的なもの梵字でもないしなと思ったら「より」の合字の「ゟ」なのだそうです。そして比較的新しそうに見える石柱型の丁石のほうには「享保」とあります。18世紀前半のものでした。

とどめの石段ですが、軽やかに登れそうに見えます。(その時、そう思ったかどうかはかなり怪しいですが息も絶え絶えではなかったのは確かです。

そして到着。第12番札所焼山寺。なんと6時間を10分ほどですが切って到着。生まれてこの方の人並外れた運動音痴と筋力不足が信じられないほど平均的な時間で到着できました。雨のせいでゆっくり休憩できなかったが大きな要因だとは思いますが体力的にはまだ余裕が残っているのはとてもありがたいことです。

まだ、宿まで結構歩かなきゃいけないんだぞと仁王さんたちに戒められました。

 

宿から藤井寺に戻り境内の端から焼山寺への道が始まります。

ちゃんと撮り忘れたけど一応写っていたので拡大。有名な「焼山寺へへんろ道 健脚5時間、平均6時間、弱8時間」の看板。宿の主人の話ではここまで2日で歩いてこれた人なら6時間で着くと言われたものの特に登りに弱い管理人はギブアップせざるを得ないのではないかと不安で仕方がありませんでした。弱足ペースでも構わないのでなんとか到着したいものです。重いリュックは昨日の宿から今日の宿に運んでもらえるサービスを利用したのでその点は楽ですが昼頃まで雨の予報、アップダウンの続く今日のルート、滑ってケガしないように細心の注意が必要です。

 

 

いきなりの山道。今回の記事はほとんど同じような写真が続きます。

黄色い地図には載っていないのですが藤井寺奥之院

マムシ注意。昨日見た赤ちゃん蛇はマムシだったのかな?

へんろころがし 1/6

 

車道に這い上がって一息ついて再び山道へ。

だいぶ登りましたね。

 

雨で濡れているので休憩所で腰を下ろすわけにもいかず先へ進みます。

 

水大師。晴れていたらここで水分補給なのでしょうけれど雨と低温で持ってきた水がほとんど減っていません。でもせっかくなので口を漱がせてもらいました。

ええっとこれは庚申塔ではなく不動明王像ですかね。

「四国のみち」道標もさすがにここでだましには来ないでしょう。下手したら遭難します。

無事に第一チェックポイントともいえる長戸庵到着。

 

昨日歩いた道も見えるのかもしれないけれど...

右にも左にも落ちそうな尾根道もありましたがそれほど危険な感じはしません。

 

「元気を出して前進」 はい。

へんろころがし2/6 丸太擬木の階段道に川のような道。

素朴な道標。ライトにも見えますが手なのでしょうね。

 

うっかり直進しそうな場所に右向きの案内

 

柳水庵への案内の下の案内板には阿波幹線。

体が無意識に右に傾きます。

 

ブーンという文明の音がすると思ったら鉄塔でした。さっきの阿波幹線というのは高圧電線路のことなのでしょう。昨日見あげた鉄塔もこの路線なのかもしれないと思ったりもしましたが残念ながら?山アプリで見たら別路線のようです。

 

今度は体が左に傾きます。

 

 

やっと3つ目のへんろころがし。ここは順打ちでは下りです。

 

 

へんろ小屋到着。乾いたベンチがありがたい。宿で握ってもらったおにぎりもぐもぐです。2つで一人前を前日に注文するのですが、もう一つお願いしますと言ったら「じゃあおにぎり3個ね」と言われたので、「いや4個、2人前で」と頼んだらちょっと呆れられました。そんなに食べる人はいないんですかね。とにかく暗くなるまでに宿につける自信がなかったので非常食も兼ねて多めの発注でした。

 

小屋から少し進んで第二チェックポイント柳水庵到着。宿の主人の話ではここがちょうど中間地点とのこと。藤井寺脇の入口からほぼ3時間で到着。予想よりはいいペース(と言ってもやっと人並み)でとりあえずホッとしました。

この区間は遍路道標がたくさんありました。

へんろ乃一???

遍路界隈で有名なお姉さんに会えました。

 

銀河系のような透かしブロック

遠目には綺麗な花畑と思ったのですがブロッコリーの花でした(手前)。

2階建て遍路小屋。ちょっと入りづらくて素通り。

十一番藤井寺への歩き遍路用マップ。残念ながら品切れ中でした。

 

精いっぱい直進案内を振り切るかのように右へ。これまで繰り返し繰り返し目にした看板のうどん屋さんにやっと来ることが出来たと思ったら「本日休業」。

遍路道へ復帰 十一者”ん 婦じ以寺(十一ばん ふじい寺) こうやって見ていると苦手な変体仮名も少しづつ覚えられそうです。

 

文字の庚申塔かもしれませんが読めませんでした。

 

 

素敵なカーブのあるお店。「アサヒ靴地下足袋、小野田セメントとある呉服店」「百貨、金物」なんでもありますね。貨は人偏にヒ貝の異体字。

 

こちらも異体字の粟㠀神社。嶋や嶌の動用字ですが、こちらが本字のようです。(朝日新聞記事

 

八幡宮

この狛犬の顔はユーモラスですね。

神社でよく見る(小学校に置かれているのも見たことがあります)砲弾ですが、日清、日露戦争の戦利品として配られたものも多いようですね。太平洋戦争の鉄不足で回収されたものもあったのでしょうか?

 

くっきりと大青面金剛 邪気、三猿と鶏も揃っています。

 

「四国のみち」の右折の指示に騙されないようにお遍路シールに従って階段を直進します。

景色が一変

善入寺島という名の中洲の歴史。洪水の度に場所が変わっていそうな気もしますが昔からへんろ道が通っていたようです。

 

 

思ったほど怖くはなかった潜水橋の一つ目、大野島橋

とは言え、立入禁止と書いてなくてもあんな所には立てません。

ゴミを捨てないでネ

 

古い道標では左となっていますが新しい「従是 藤井寺 五、九粁」の指差しに従い右へ進みます。黄色い地図によると左は昔の渡し舟のルートのようです。

 

雨が今にも降りそうなので先を急ぐべきなのですがいい鉄塔に吸い寄せられます。

やはり正面から見ないと。

井戸も添えて

 

二つ目の潜水橋へ

事前に見ていたYoutubeではとても怖く感じていたのですが、やはり管理人は高所恐怖症のようでこのような低い橋では必要以上の恐怖心は感じずに済みました。

無事に渡り終えて振り返ると車の列。いや、やっぱり怖いわ。

 

ポツポツときました。

 

ワイルドな鳥居

素朴な火の見櫓というか半鐘台

この庚申塔の右下には言わ猿がいるようですが、見猿と聞か猿が見当たりません。左端は誰でしょう?

手前のうどん屋さんが定休日でがっかりしているお遍路さんの心を見透かしたような看板ですが、

そんなことだろうと思いました。

この電電公社キャラには名前があるのかな?

瓶入りコーラの自販機。そそられますが雨が小降りな今のうちに進んでおきます。

と思ったら、少し強くなってきました。

 

明示の庚申塔

50年近く前の柱種標や

赤ちゃん蛇、

まぶしいおいしさパティオポスターなどを眺めているうちに

無事に第十一番札所藤井寺に到着。

なんとか4時までには宿に到着。

ご馳走ご馳走!

 

本日の歩行距離:約27km 歩行時間:約8時間20分 (休憩時間、待機時間を含む)

馬頭観音

 

道路局部改良工事 河川特改工事

 

 

池には危険がいっぱい!!なので埋めました。

中務茂兵衛の道標でした。前日の道標では「中司」姓でしたがこちらは中務。八十八度目とあるので最初期のもののようです。

お遍路カフェ

☜十ばんきりはた寺、八ばんくまたに寺

ということで九番札所法輪寺に到着。近かったです。

  

この日はお釈迦様の誕生日だそうです。

切幡寺へ向かいます。

 

是ヨリ教覺寺の石碑。何のための穴でしょうね。ちなみに覚の旧字の覺の字が異体字です。かんむりの中央のメメの部分が方になっています。

火の見櫓。雲が多くなってきました。

 

鮮やかな飾りつけのお地蔵さん

庚申塔もありました。この庚申塔は邪気の下に三猿がいました。

 

番外霊場小豆洗い大師

 

さて、ここでも「四国のみち」に騙されそうになりました。

 

遠くから目立つ「四国のみち」道標では左折せよとなっていますが右端の電柱に貼られたお遍路シールでは直進です。

そのまままっすぐ進むとさらにシール。やはり直進が正しかったです。

黄色い地図によると秋月大師堂

☜十ばん、☞九ばん。 お遍路道標では「ば」が高確率で変体仮名

左側のお遍路道標では右九番ですが、左のへんろみち道標では第九番は手前。道の変更があったようです。

 

史跡秋月城址の碑がありますが奥の円筒状の施設が気になります。

←うどん亭に吸い込まれそうですが右に行かなければなりません。時刻は11時半ごろ。

綺麗な庚申塔

ショケラ、邪気の他に、下にサルが1匹。もしかすると右下も猿でしょうか?

庚申塚所有地という標石がありますが庚申塚が所有するということは法人格のある庚申塚?

袈裟の袖付きの指差し道標。☞第十ばんきりは多じ八丁、☜第十一ばんふ志以じへ一里?

ここでは「は」でした。

 

ちょっと登ります。

 

第十番札所切幡寺到着。

 

宿坊で6時半からのお勤めに遅刻ギリギリになって参加、7時朝食、7時半過ぎに出発しました。

 

Day1のその1にも書きましたが今回のシリーズではお寺の山門より内側の写真は基本的に省略しようと思います。気になる方は現地で確認または検索してください。

 

8番を目指します。

 

こういう瓦はなんていうんでしたっけね。飾り瓦?

火の見櫓もチェック。

 

ごしよおおはし

 

秘密基地?ミステリーサークル

 

幼き日の二宮先生

 

八番熊谷寺は右という案内が出ているのに台湾人グループが直進していったので、そっちじゃないよと声をかけようとしたのだけど地図を見ると直進出会っている模様。

 

直線を示すシールがあった。色あせているけれどよく見ると<歩きへんろ道<とあった。建設省と徳島県がグルになって騙しにかかってくるので要注意。一般的な遍路道と彼らが定める「四国のみち」は別者なのだ。パチモンなのに「八番」などというお遍路用語を使わないでほしい。遍路転がしならぬ遍路騙し。

 

 

庚申塔と馬頭観音。庚申塔のほうはちょっとはっきりしないですがやはりサルは二匹のよう。馬頭観音のほうは三面八臂というタイプらしい。

 

 

昭和と彫られているのが読めます。

 

どういう建物だったのでしょう。

 

逆打ち用道標 👈7ばん

 

南無大師遍照金剛

放送受信章

 

こんどの飼料館版はマルエイ

石のはしご付き灯篭

御所神社

 

三木武夫邸跡のヘンロ小屋

ありがとうございます。

 

第8番札所熊谷寺到着

 

 

境内内の写真は載せないという自分で決めたルールを毎回のように破っていますが、山門を抜けたところを一般道が横切っていて駐車場もあるので事実上の山門になっている中門までの様子も少し。

 

歴応二年(1339年)建立の板碑。土成町の解説文によると阿波板碑というタイプだそうです。南北朝時代の北朝の年号が刻まれているのだとか。ちなみに地蔵時近くの羅漢という地区にあった板碑は九州型なのだそうです。

多宝塔

ちょっと軍事遺構的なものもありましたが何かの倉庫かな?

ピンボケヤマガラ。しっかり撮れるまで狙っている時間的余裕がないのでという言い訳。