いつもブログを読んでいただきありがとうございます
今朝、ぼんやりYahoo!HP眺めていたら
こんな記事を見つけて
寝ぼけながら読んでおりました。
こういう記事ってたくさんあるのだけど、
虐待事件が話題の今だから、またトピックスに戻ってきたのでしょうね。
では、オキコ的、意見を述べます
全否定の言葉を言うのは、『自分が言われたから』であってそれが悪いことでは全くないのだけど、
全否定する循環を止めたいよね。
記事抜粋:例えば、「宿題やってから遊ばなきゃダメでしょ。お前は本当にずるい」の中の、「本当にずるい」が人格否定の言葉です。
わかりやすく言うと
あんたって、こうだよね
っていうのが、人格否定です。
例としてこんな言葉たちが書かれています:だらしがない。情けない。怠け者。根性がない。バカ。のろま。気持ち悪い。弱虫。泣き虫。何度言ったらできるの。あなたは口ばっかり。お前はいつもそうだ。そんな子に育てた覚えはない。どうしようもないやつだ。お前には無理だ。お前にできるわけがない。お前はいつもそうだ。見込みがない。お前は信用できない。お前はダメだな。だからお前はダメなんだ。
つまり、私が思うに、
否定というよりは、決めつけですね。
あんたはだらしがない
あんたは情けない
あんたは怠け者
あんたは根性がない
・・・
と、自分の勝手な主観で相手を決めつけていますよね。
押し付けるのを辞めませんか?
という、これも意見です
ここまでは、まぁ、一般的な記事でしたが
わたしが今回記事を書こうと思ったのは、
コメント欄のコメントに気になる投稿があったからなのです。
コメント一部抜粋:言ってはいけないのはわかるけど、親の立場を経験した上でもっと解決策がほしい。親はうそつきにならないといけなくなります。本当のことをいわずに成長させることになります。
うそつきにならないといけなくなる
この一言が、めちゃめちゃ気になります
相手を決めつけることが当たり前になりすぎていて
例えば
あんたは、バカ
と、この人は信じすぎていて
あなたは、よくできる子ね
っていうのが嘘を言う事だと思っているのですね。。。
さて、ではオキコ的視点の持ち方をお話しします。
例え、この人バカなのかな?
と感じたとしても
わたしはバカと感じる
って、だけです。
わたしには、そう見える
という意見を言ってるに過ぎないのです
☝もっと言うと、バカに見えるのは自分自身にこれができないのはバカ、という思い込みがあるからですね
わたしの
以前のバイト先に、
わたしがブスでデブで彼氏などできるはずもない
と決めつけて毎日のように言ってくる店長がおりました。
☝ちなみに女性です
でも、わたしは、
「あなたにはそう見えるのね」
って、いつもスルーしていたら
そしたらね、どうなったと思います?
ある日、
「こいつは自分がブスだって認めないから、
みんなに聞いてまわりたいわぁ!」
って言ってました。
つまり、自分の意見は正しいもの、と証明したいんだけど、
証明するには多数決しかない
ってことなんです。
で、わたしは実際に100人の男性に聞いてみなよって思ってました。
納得いかないなら次は1000人でも、1万人でも。
わたしの写真もって聞いて周ればいい。
どう?ブスでしょ?
って。(笑)
なんてアホラシイ、無駄なこと!!って感じませんか?
これこそ、ザ・人生の無駄づかいですね
こうして客観的にみると、
わたしには、こう見える
事って
真実なのか分からなくなりませんか?
この子って・・・だらしがない。情けない。怠け者。根性がない。バカ。のろま。気持ち悪い。弱虫。泣き虫。口ばっかり。どうしようもないやつだ。見込みがない。信用できない。ダメだな。
さあ、これは本当のことなのでしょうか?
じゃあ、ちなみにですけど
わたしに向かって
「かわいいね」
って言うのは、嘘をつくことになるのでしょうか?
あ、思わなければ言わなくてもいいです。(笑)
そう感じないなら、言わなくてもいいんです。
だけど、
かわいいと感じる人は一人もいないよ
っていうのは、嘘です。
子供のことを愛せないなら、それでもいいと思います。
でも、
あんたを愛する人は一人もいないよ
って言うのは嘘です。
ホントウのことだけを言いたいなら、
ホントウの事を言ってください。
「困らせてばかりで、わたしは今はあなたが嫌いよ!!話しかけないで!あっち行って!」
これは、ホントウだよね。
ホントウに自分が感じていることです。
でも、
「いう事聞けないバカだから、みんなに嫌われるんだよ!!」
これは、嘘です。
全否定しないでね、って記事は
このことを書いているのです。
もしも、「バカだから、みんなに嫌われる」が嘘であることが理解できないのなら
バカという基準をどこに置き、どう判断したのか分析してみましょう。
みんなに嫌われているのがホントウなのか、みんなに聞いて統計をとってみましょう。
人生の無駄づかいの時間だって、必要な時もありますから