(※『鬼滅の刃』20巻のネタバレがあります。未読の方はご注意ください)


















「モノローグ」は、マンガ界におけるひとつの大きな発明でした。単なる心内のセリフとしてだけではなく、人称を超えて詩的な表現や言葉選びで作品を多層化し深みを与える役割を果たすように発達していきました。その表現手法は1967年に連載が開始した石ノ森章太郎の『ジュン』などに萌芽を見ることができます。その後、1970年代には萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、山岸涼子ら「24年組」と呼ばれる女性マンガ家たちを中心として、美しさに酔いながら胸を焦がされるようなモノローグが数多く綴られるようになります。


少年マンガがカメラワークや必殺技表現、プロットやガジェットのような物理的な側面での発達が著しかった一方で、少女マンガは人間の内面に焦点を当てその深部まで探究していく精神的な側面での進化が強く見られました。


『鬼滅の刃』の大きな魅力のひとつも、正に筆者の優れた言語感覚によって綴られる各キャラクターの印象的なセリフ、そして繊細で叙情的なモノローグにあります。その美点がとりわけ顕著に表れているのが、単行本20巻で描かれる「十二鬼月」最強の鬼である「上弦の壱・黒死牟」との闘いの終盤でしょう。個人的に『鬼滅の刃』全体を通して最も好きなエピソードでもあります。


20巻全体のサブタイトルともなっている第173話「匪石之心が開く道」までは、主に鬼殺隊たちの視点で黒死牟の討伐が描かれます。しかし、第174話「赤い月夜に見た悪夢」からは黒死牟がまだ継国巌勝という名前の人間であった頃の回想へと入っていき、その後は彼のモノローグが主体となって語られていきます。


巌勝は、誰あろう始まりの呼吸の剣士である継国縁壱の双子の兄でした。戦国時代である当時、双子は忌むべき存在。縁壱も父親から殺されそうになりますが、母親に守られ10歳で出家するということで手打ちとなっていました。衣食住や教育など育成環境においては兄と大きく差をつけられ、巌勝は縁壱を憐れみながら過ごします。縁壱は母親以外の家の者たちからも冷遇されていたことが想像に難くありません。そんな中で、自分を想って笛を作ったり凧揚げや双六で一緒に遊んでくれたりする無二の存在である兄への純粋な敬慕と憧れが幼少期に生涯消えぬものとして生じていたであろうことも、切なく胸を打つ要素となっています。


しかし、ある日縁壱が自分よりも剣士としての優れた才を持っていることを知ってしまった巌勝は、狂いそうなまでの激情に駆られることとなります。その第177話「弟」はモノローグが特に秀逸な回です。


“全てを焼き尽くす程強烈で鮮烈な太陽の如き者”


と巌勝が弟を形容するページから始まり、


“私は嫉妬で全身が灼けつく音を聞いた”


という巌勝の心情で締められます。ジャンプ+で読めるフルカラー版では巌勝の手の血豆や血が染み付いた木剣の様子がよりよく判り、7歳にして文字通り血の滲むような努力をしていた巌勝の狂おしさがより込み上げます。


続く第178話でも、一時は縁壱と離れ妻とふたりの子供を持ち平和な時を過ごしながらも、縁壱と再会したことで


“私の平穏が破壊された 私は再び妬みと憎しみで胃の腑を灼いた”


と巌勝の激越した感情が綴られます。また


“お前の声を聞くだけで腹が立ち顳顬が軋む”


といったモノローグも極めて秀逸です。


眩いまでに輝きを放つ縁壱という存在を前にして、巌勝は嫉妬の炎に焦がされ続けます。太陽は人間に暖を与える一方で、近付くすべてを焼き尽くす強大な力を有しています。「日の呼吸」を我がものとする太陽のような弟に生涯勝つことができず、それでも己のなしうる限りを尽くして派生の「月の呼吸」を編み出した巌勝。月は、太陽がないと輝くこともできない存在です。自ら「月の呼吸」と名付けた巌勝の気持ちはいかばかりだったでしょうか。


また、縁壱は後世の人間の育成、継承においても巌勝より遥かに大局的で達観した視点を持っていました。巌勝は縁壱が人格者であることも認めており、剣の資質でも人間としての器でも完敗していることを痛感させられる機会が幾度となくあったことでしょう。


「強く、いつも勝ち続けられるように」という願いを込めて父親から名付けられた巌勝ですが、皮肉にも生涯で一度たりとも縁壱には勝てませんでした。鬼となり数十年が経って対峙した時ですら、縁壱の前では死を覚悟するほどでした。


巌勝は最強を求めた末に鬼として不老不死の肉体を得ながらも、400年間人間としての苦しみも持ち続けてきたことでしょう。その間に技を磨き完成させんと鍛錬していたことは、実に「拾陸ノ型」まである「月の呼吸」に表れています。


神に愛された弟と、弟を今際の際まで憎み呪う兄。しかし、そこには決して憎しみや妬みだけではない、深く重く大きな想いが堆積しています。


自らの不死の主をも圧倒した老いた弟が、嗄れた声で涙を流しながら「兄上」と呼びかけてきた時に込み上げた憤怒ではない感情。最後に巌勝が縁壱を両断した時、在りし日に兄から弟へと贈った手作りの笛を縁壱が生涯大事に持ち続けていたことが解り、その瞬間に鬼の目に浮かんだ涙。最も心を揺さぶるのは、黒死牟となり討ち果たされ塵となり消えていくその瞬間に、彼がその自ら斬った笛の残骸を400年もの長い間ずっと抱き続けていたことです。


忌み児として生まれながらも「人と人との繋がりを何より大切に」という願いを込めて母から名付けられた縁壱は、妻子を殺され、鬼殺隊を追放された後も兄との繋がりだけは数十年大切に抱き続けていました。そして、兄もまた弟との繋がりを断つことなく400年以上大切に持ち続けていました。ふたつに折られた笛が、時を越えて兄弟を繋いでいました。


縁壱が長い時の流れの中で両親や妻子の顔すら忘れても、唯一覚えている弟の顔。好きの反対は嫌いではなく無関心であり、愛と憎悪は表裏一体。本当に言葉通り縁壱がただ憎いだけであれば、決してその遺品を持ち続けていることなどしなかったでしょう。


黒死牟は縁壱を斬った後、どんな気持ちで自らが作った笛を回収したのでしょうか。そして、縁壱の遺体をどうしたのでしょうか。老いた体とはいえ縁壱ほどの実力者を食べたなら鬼は相当の力を得られそうです。しかし、もしかしたら黒死牟に残っていた巌勝の部分がそうはさせず、遺体を安らかに土に還したかもしれません。その時に思い浮かべたのは、20巻のカバー下にあるように、屈託のない笑顔を浮かべて遊んだ在りし日の姿だったかもしれません。


最終的に巌勝は強く美しい侍からはあまりにも程遠い醜悪な姿となり、自分が想像もしていなかった後世の継承者たちによって無様を晒した挙げ句、縁壱と同じ赤い刃で貫かれ負けを喫しました。その果てで最後の最後に「縁壱になりたかった」と自らの根本にある素朴な願いを認める彼は、実に愚かです。妻子や寿命や矜持、果ては倫理と引き換えに強さを得てもまだ足りず、最強と謳われながら自身はただの一度も心からそう思えたことはなく、常に劣等感と嫉妬心に苛まれ、何者にもなれず、誰にも何も残せず、死んで悼んでくれる者もいない。ただ、音の鳴らない笛を後生大事に抱えたまま死んでいった、あまりに人間的で哀しく愚かな鬼が、私は愛(かな)しくて堪りません。