私の後継者経験②「 ここで背を向けたら後悔するのは自分だと気づいた」 | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

私の後継者時代の話をネタに、ビジネスや人生の選択において、


何を取りに行って、何を手放すべきか?ということ、


あるいは、どちらも取りに行くことが実現できた時には、瞬間的に破壊的な成果を上げる


可能性があること、


そして、原理原則に外れた方法はやはり限界あることを書いているシリーズです。



私の後継者経験①はこちら

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http://ameblo.jp/tosboistudio/entry-11744842848.html


その続きからです。


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私は焦っていました。




このまま何も変わらずに「業績が悪い、悪い、どうしよう・・・・」と言い続けるだけで、


何も無理して具体的に変えることなくいれば、社内は平和なんだよ・・・・・、


かと言って、そうなると終わっていくしかない・・・・・・。



私達の給料も、社員の給料もカツカツまで下げていました。


数年は生きてはいけるけれども、将来は全く見込めない・・・・・。


経営リーダーとしての経験や実績は何も残せずこのまま終わっていく・・・・・・。


俺はこのまま年を取って、終わっていくのか?????



そんな想いが毎日のように行ったり来たりしていました。



(当時、自分で描いていた自社製品の商品タグ)


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ある日、これを最後に、もしそれでも思い通りにならないなら、もう辞めようと心に決めて


ある提案をしましたが(何だったかは忘れた)、案の定、父や社員さんの猛反対に合い


ました。



こちらも退路を断つくらいの腹でいましたから、それでも強引に理屈で押し通そうとついつい


声も大きくなっていきました。



相手が何か言えば、言葉を被せるように論破し、強行突破してでも最終案を押し進めよう


とする私に、社員さん達もとうとう感情を露わにし、「じゃあ、もう知らん!」と言い放ち、


腕を組んで、目を瞑ったまま口を閉ざしてしまいました。



不穏な空気が一気に流れ、そこからは、もう誰も口を聞いてくれなくなりました。


私は、撃沈しました。


もう、どうして良いのか分からなくなりました。




確かに熱くなって言い過ぎたと思い、謝りましたが、もう手遅れの状態でした。


どちらかと言うと私寄りの意見を持っていた、味方だと思っていた社員さんすらも


ソッポを向きました。




今までくすぶっていた亀裂が、一気に噴き出してしまった様子が明らかに目に見えました。



父は困った顔をして、「秀樹は言い過ぎだ・・・・・・。」と、ひとことだけ言いました。





私は間違っていない・・・・・・、そう思えば思うほど、悲しい気持ちになりました。


一人ぼっちになってしまった気がしました。


何だか、人生を無駄に浪費しているような感覚になりました。



こんな風にするつもりはなかったのに、何がいけなかったんだろう・・・・・。


もう、社内の誰にも理解などされなくても良いから、逃げ出したくなりました。




そもそも、「戻って来てくれ。これからは頼む。」と言ったのはそっちじゃないか。


だから、あんなに頑張って就職活動して入社した一流アパレルメーカーを辞めて


まで戻ってきてやったんじゃないか。



「これからは秀樹の時代になっていくんだから思う通り、好きにやってみていい。


色んなことに挑戦すればいい。何でもやってみればいい。」


と、物分かりの良いようなことを、口ではいつも言ってるじゃないか・・・・・・。


「好きなようにやっていい」なんてのは、自分の範囲の中だけじゃないか・・・・・・。


そういうのを挑戦とは言わないんだよ。


もういい。オレにはオレの人生がある。


感謝もしているし、恩もあるけど、自分の人生を犠牲にまではできない・・・・・。


辞めよう・・・・・・。後継者自らが、自分の会社に辞表を出してやろう。


そうなってから、みんな後悔すればいいんだ・・・・・・。」



精一杯で自分を慰めて、正当化するくらいしかできませんでした。





次の日、本当に辞表を書いて、自分の会社に自ら辞表を出すという訳のわからない行動を


起こそうとしました・・・・。





父の机の前に行き、


「もうこれで最後なんだな・・・・。オヤジはいつものように困った顔するんだろうな・・・・。


取り敢えず明日からどうしよう・・・。いいや、何とかなる。」


そんなことを考えながら、いざ出そうとした瞬間でした。



不思議なことに、頭の中に様々な映像が一気に浮かび始めました。


言葉にすると正に「ブワァァァァァァァァァァァァァっ」って感じ。





まだ子供の頃、「高い高い」とダッコして持ち上げてくれている、数名の社員さん達の顔。


持ち上げられている子供の目線で、上から見ている映像・・・・・。


社員さん皆でお金を出し合ってくれて、私や姉や弟にクリスマスプレゼントを買いに


オモチャ屋さんに連れて行ってくれていた時の映像・・・・・・・。


「秀君、ドライブ連れてってやる。」と言って、傘の納品先に連れて行ってもらっていた時のこと。


小学校の頃、祖父が入院していた病院にお見舞いに行った時、


「おじいちゃん、大きくなったら、ボクも傘屋になるんだ。」と言った時の。祖父の嬉しそうな


顔・・・・・・・・・・、




その他、これがよく言う走馬灯か・・・・、と思える程に頭の中をグルグルと色んな映像が


一気に浮かんでいったんです。




フ、と我に返って、目の前を見ると


父は、いつものように電卓を叩いていました。私が「やる」と言い出したデータ用の


長い品番を帳簿に書き写していました。


社員さん達も、いつものように納品の準備や、外注先との連絡をしていました。


伝票には、やはり一つ一つの面倒な品番を調べては書いていました。



変わらない日常に見えるその中に、彼らは彼らなりに、私が言い出したことを


慣れないながら少しづつでもやってくれている姿がそこにはありました・・・・・。


彼らなりに、譲れるとこは譲って、変われる範囲では変わっていたのです。


その時、思ったんです。



「今、辞めたとして・・・・・・・・・・、もし、この後の人生で、仮に、オレがどんな成功をしたと


しても、ここで背中を向ける一瞬をオレはずっとずっと後悔するんじゃないか???・・・・・・・・。


今、オレが辞めて、後悔するのは、父や社員さん達じゃなくて、実はオレなんじゃ


ないか・・・・・・・・・・?



今までずっと、ピンチになった家業に戻ってやって来てやったのはオレだ、


オレが助けにきてやった、と思っていて、あげく、そんなオレを無下にしやがって、


と思ってきた。


こっちが辞めることで、どいつもこいつも後悔させてやる、と思っていたけど・・・・・・、



実は、ここで背を向けることで一生後悔するのは、オレの方なんじゃないか・・・・・・。」





後悔するのは、実は自分の方だったことに、この土壇場で気が付くのです(苦笑)。


私は自分のことをやっとアホだったと気付きました。


私は自分自身の人生の選択を、どこかで他人のせいにしていたことに、この土壇場で


気づくのです。





私は、辞表を出すのを、すんでのところで踏みとどまりました。





そんなこと何も知らない父や社員達は、昨日の騒ぎなどなかったかのように、


いつものペースで仕事をし、いつもと変わらぬような社内風景でした。



その姿を見ながら、私は一人しばらく考えました。




私ではなく、父の経営者としての本当の成功とは何だろう・・・・・・・。


私ではなく、社員さん達が本当に嬉しいと思えることって何だろう・・・・・・・。


今、私が後悔しない為に、できることは何だろう・・・・・・・。




昔の人達は真面目で一本気で、仕事はコツコツ一所懸命やるけれど、でも自分のことを


伝えるのがあまりに不器用な人達でした。




以前のアパレル営業時代、ある得意先の小売店さんの奥様とトラブルになり、


揉めたことがありました。理は明らかにこちらにありました。


それでも理不尽な要求してくる相手に、私は正当論をぶつけ続けたら、相手の


感情に火をつけてしまったことがありました。



問題解決の為に上司がその店に出向いてくれて、帰って着た時、こんなことを


教えてくれました。


「坪井、〇〇さんの奥さんが言ってたぞ。


『私達、地方の家族でやっている小さな小売店からしてみたら、ワールドさんみたいな


大きな会社の人達は、ただでさえ皆、とても立派で優秀な人達だと思っているのよ。


特に坪井さんみたいな若くて爽やかで何でもできそうなタイプは特に優秀に見える。


だから、言われてしまうことが正しければ正しい程、何だか上からバカにされている


ような気分になるのよ。


私達だって私たちなりに必死で長年やり続けているんです・・・・・・。あの人はそういうことを


まるで分かってくれていない・・・・・・・。自分の人生をバカにされたようで、昨日は


どうしても許せなかったの・・・・・・・。』


と、こんな感じだったよ。


坪井、今回、お前は会社の為を思ってよくやったと思っている。


でも、あの奥さんの言ったことも、これから営業していく上で大切なんじゃないか・・・・・。」



当時、私は一番下っ端で、何をやっても毎日ボロクソに叱られながら鍛えられていて、


実績もなかなか上がらず、自信喪失していた時でした。


だから、人から自分はそんな風に観られているなんてことがとても意外だと思ったことが


ありました。


その出来事を思い出していました。



家業に戻ってから、父と口論する中、私に追い込まれる父は、そのたびに、


「秀樹は、もっと人の気持ちを察するというだか、人に対する思いやりを持たな


いかんわ・・・・。」


と、よく言っていました。


私は、父が経営判断から逃げようとして、論点を変えているだけだと、その言葉の意図すら


受け取ろうとはしていませんでしたが、本当に言いたかったのは、違うんじゃないか、


その言葉すら、不器用がゆえ、うまく表現できていなかっただけなんじゃないかと


思いました。



相手の言っている言葉尻だけじゃなくて、相手の心の中を私なりに精一杯


考えてみよう。私が相手だったら、どうされたら一番嬉しいことなんだろう、と


勝手だけど予想してみようと思いました。





取り敢えず、その日のうちに一つの仮説を出しました。


「父の経営の成功とは、どんな業績が悪くなっても、祖父の時代から住み込みで


ずっといてくれて、坪井商店しか知らない社員達を、最後まで守って、


心優しい経営者であったと人から評価される事。



社員達の成功とは、自分の商品や自分のやり方で会社に貢献してきたんだ、


坪井商店は私達が支えてきたんだ自負をもって社会的寿命を終えること。」



そんな風に考えました。



その為に、自分が今できることは、社員達が造ったり仕入れた商品を、できるだけ


たくさん世に送りだしてあげることなんじゃないか?


「秀樹専務がドンドン勝手に売ってきちゃうから、生産が追い付かなくてまいっちゃうなぁ。


あぁ、いい年こいて、まだまだやらないかんこと一杯だわ。」


と一回でいいから言わせてあげたい。



父や社員さんが伝えることが不器用なら、もし私が人に伝えることが長けているとしたら、


私が彼らの代わりに商品を魅力的に伝えていこう。


自分の言い分を社内に伝えることじゃなくて、自社商品を外部に伝えることに専念しよう。



そう考えました。




将来への抜本的活路は見いだせないかもしれないけど、それでも取り敢えず、


今できることだけを考えて、動くだけ動いてみよう・・・・・・・。


それでダメなら、そん時にまた考えればいい。


今後の人生を心配するより、今後の人生を後悔しないだけの全力を出そうじゃないか。




適正な経営判断とは程遠いようにも思いましたが、


なぜか、自分の中で、やけくそも手伝ってか、考えがまとまってスッキリとしていました。




だから、自分のスッキリを信じて、そう一旦決めることにしました。





とは言え、現実は何も変わっていないし、経営効率は無視できません。



具体的にまず何をやるのかも一つだけ決めました。


自分の仮説を証明したい気持ちもあったので、主張していた社内での一番の武器である


輸入傘を持って、新規開拓を始めることにしました。



新規開拓のターゲットは、売り先として伸びていた、ロードサイドのホームセンターや



ディスカウントショップに取り敢えず絞りました。



時間をかけて創ってきたデータは、この時、すぐに意思決定できる為にあったのかも


知れません。



誰もやらないなら自分一人でも始めてみよう。


もし、このまま赤字続きになったとしても、オレの売上だけで


全員の赤字分を補填すりゃいいことだ。


その実績くらい作れないで、何が後継者だ、恩返しだ。


それでダメでも、きっと後悔はしないさ。


どうせ、一度辞めようと決めていたんだ、だったら失敗して辞めることになって元々だ。


そう言い聞かせ、気合だけは入れるのでした。



社員さん達は、前の日の紛争の直後だったので、何だかよそよそしく口もまだ聞いて


くれないから、誰にも何も言わずに動き出すことにしました。


口から先に生まれてきたような私が、誰かに何も言うことなく先に行動し始めたのは


家業に戻ってからはこれが初めてだったように思います。



そういう意味では、私は、自分の考えや発想がどれだけ素晴らしいか、正しいかを


認めてもらうことばかり考えていたのかも知れないと思いました。



本当に正しい考えだと思うなら、それが正しいかどうかを誰かに言うよりも、


勝手に行動すれば良かったのですから。


先輩社員達との気まずい日々と、そして、やっと本当の後継者としてのスタートが


始まりました・・・・・・・・・。


今思えば、戻って、3年目当たりのこの日が後継者としての本当のスタートだったの


だと思うのです。



次の日から、私は一人で動き始めました。



こうして考えてみれば、自分ごとでなかったのは、父や社員ではなく、私だったのです。




つづく・・・・・・・・・・・




            人の気持ちになってみるということを初めて経験した。


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 買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」