お盆を故郷で過ごして | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

お盆を故郷で過ごして

今年のお盆は8月12日から19日まで私の故郷である福島県郡山市で過ごした。尤もこの間15日と17日は靖国参拝などで郡山から東京に新幹線通勤をした。1週間も故郷に滞在できたことはずいぶんと精神的に休息できたという気がする。どうしてなのかよく分からないが、東京にいるとなんとなく戦っているという気になる。心が刺々しくなっている。しかし車で福島に向かい白河の関を越えると、途端に優しい気持ちになれる。疲れが取れるような気がする。年もとってきたせいか、最近は時間があれば故郷に帰りたくなる。私の実家は築170年経つ農家造りの家であり、外回りは昔の景観を保っているが、家の中だけは少し改築して住みやすいようにしてある。すでに両親も他界して家は誰も住んでいない。私が月に二、三度帰宅して空気の入れ替えをしている。私が退官後家を壊して立て替えようかと思ったが、父の兄弟が五人ほど健在で、古い家なのだから残すべきだと言われて、家の中だけの改築にした。今では叔父たちの言うことを聞いてよかったと思っている。父は長男であり、私も長男である。昔の家督相続制度が私の田舎ではまだ健在である。父が亡くなったとき、私の妹二人は相続放棄の書類に判を押した。広い家で天井も高く、空間がいっぱいあるので、大きな開放感が味わえる。私はこの家の6代目である。それより前は、近くに私の家の本家があるので、そこから分かれて来たのである。家の中には私の曾爺さん夫婦の写真まで飾ってある。しかし私は曾爺さん夫婦には会ったことがない。私が生まれる前にすでに亡くなっていた。

私は18歳で防衛大学に入学するために故郷を離れた。それ以来自衛隊を退官するまでは年に一、二度しか故郷に帰ることは出来なかった。退官後少し時間的なゆとりが出来たので月に二回ぐらいは帰っている。しかし昔から近所に住んでいた人たちは今でも私を温かく迎えてくれる。今回の帰省でも隣り近所の昔の人たちが集まってきて酒を酌み交わすことも出来た。18歳で家を離れて自衛隊を退官するまではほとんど会ったことがなかったが、最近では少し時間もあるので、毎月帰ったときには誰かと会うようにしている。故郷っていいもんだ、戦後の都会だけで育った人たちは田舎のこのようなほのぼのとした気持ちを味わうことが出来るのだろうかと思ったりする。

地域共同体が戦後の日本では壊されてしまった。隣組は相互監視体制だからやめるべきだというようなことがまことしやかに伝えられ、特に都会では隣に誰が住んでいるのかもよく分からないような状況である。戦前は都会であってもみんな隣り近所と顔見知りで住んでいたのである。近所の人たちと助けあいながら生きる超安心社会が戦前の日本であった。入院保険などもいらなかった。
みんながお見舞いをくれるので、入院費を払ってもお釣りが来るのである。戦前に戻ると言うと、また戦争をする国にするのかと言う人がいるが、それは戦後作られた戦前の日本を悪い国だとする自虐史観なのである。

昔は地域共同体の中心に神社があり、何かあるときは地域の人たちは神社に集まって集会などを行っていた。それが戦後全国津々浦々に公民館が造られ、神社と日本国民の切り離しが行われた。2DK住宅が沢山造られたのは日本の大家族制度をぶち壊すためだという。家付き、カー付き、ばば抜きとか言って核家族化が推進された。昔はじいちゃん、ばあちゃんが一緒に住む大家族制度であったから子供が学校から帰ったときに両親が仕事でいなくても、じいちゃん、ばあちゃんがいて、じいちゃん、ばあちゃんの生活の知恵が世代を超えて子供たちに伝えられていた。大家族制度が壊されたことも日本国民の生活を不安なものにしている。大家族制度であれば、親が子供を虐待するとか、子供が親を殺すというような事態は起きないのではないかと思う。介護の問題も子育ての問題も相当程度解決されるのではないか。年金問題だって年寄りが子供たちと暮らすことが出来ず、一人暮らしになるから生ずる問題である。昔は50歳も過ぎれば、子供夫婦に財布を渡し、隠居して生活の面倒を見てもらうというのが普通だった。

今の日本は家庭を壊し、子育ても介護も家庭から切り離し公的に行う方向に向かっているように見える。私は家庭を取り戻す方向に行くべきだと思っている。女性が働くのならば同時に大家族制度を復活しなければ世代間の継承が出来なくなってしまう。家督相続制度や大家族制度を復活させてはどうかと思う。
税制などでコントロールすればよい。家督相続制度があれば、その家の出身の人は仕事に失敗すればその家に戻ることが出来る。家督を相続した人にはそれを受け入れる責任があるというのが戦前の日本であった。日本は長い歴史の中で国家の最適化を行って来ていた。それが戦争に負けたことにより最適化システムが悉く壊されているのが戦後の日本なのである。冷戦終結後は日米構造協議、年次改革要望書の交換によって商売のやり方までもが壊されているのである。いま安倍総理が日本を取り戻すと言っている。多くの日本国民はこれを強い経済力を持つ日本を取り戻すと受け取っているかもしれない。しかし日本を取り戻すとは、戦前の日本を取り戻すことなのではないかと私は思っている。