3 ターニング・ポイント

    ―閃光の中で


2048年 火星 マリネリス渓谷上空

 

 黛涼子は、航宙護衛艦〈ふるたか〉艦載艇の機内で、与圧服ヘルメットを窮屈に感じながら、眼下の火星を見下ろしていた。全長3000キロメートル・深さ8000メートルの赤茶色をしたマリネリス渓谷が見えた。そして、彼女が与圧服の下に着こんでいる作業服には、3等宙曹の階級章が真新しく光っている。―発足から日が浅く、常に人手不足に悩まされている宙自には、高等工科学校の成績優秀者を対象に、2年次から3曹の扱いでもって、最前線における実地演習を行わせるという制度がある。なかには「ブラック・インターンシップ」のようなものだ。と愚痴る者もいるが、涼子は歓迎していた。「ブラック」というのは裏を返せば、それだけ「生」の部分を見せてくれるということ。

 ― 私はそのためにここに来たのだから。そもそ  

     もブラックじゃない軍隊なんて信用できるか。月月火水木金金って言葉があるじゃないの。

 

 彼女が訪れた太陽系第4惑星―火星は、MOMという最重要資源が眠る地であり、その重要性に比例した施設規模を誇る星だった。現在はMOM採掘作業と、人類の居住を可能にするための惑星改造が行われている。

 

 涼子の視界の端で爆発が起こる。そして、閃光が目に飛び込んでくる。といってもヘルメットをしているから、顔を背けたりはしない。遅れて重低音が響く。惑星改造の一環がこれだ。人類は火星に水をもたらすため、太陽系外縁部小天体―EKBOの軌道を人為的に操作し、衝突させているのだった。

 ― 既に東半球にあるユートピア平原は海と化し 

     ている。

 

 ― すごい時代になったもんだなぁ。

 

 涼子は宇宙に来て何度思ったかわからないことを思った。ここ最近、すごいところに来た。と、すごい時代になった。この2つの感想しか抱いていない。この他に彼女が考えていたことといえば、今世話になっている〈ふるたか〉の艦長から、合格の考課表をもらえればこの実地演習は終わる。そうしたら、7月には地球に帰れるだろう。帰ればまた小春に会える―。そんなことばかりだった。

 

 突如、涼子の目に先ほどとは質の違う

 ― EKBOの衝突によって生じたわけでないと 一目でわかる閃光が飛び込んできた。MOM採掘基地のあるルナーエ高原での爆発らしい。続いて轟音と爆風。

 

 涼子は俊敏な動きで艦載艇の自動操縦装置を切ると、爆風に巻き込まれぬよう機体をコントロールした。同時に母艦〈ふるたか〉の戦闘情報指揮所―CICに連絡する。

 

「〈ふるたか〉CIC応答願う。こちら艦載1号。本機前方、ルナーエ高原方向にて大規模爆発を確認。詳細位置不明。至急指示を求む。」

 

 涼子はあまりに平板な自分の声に驚きつつ、そう呼びかけた。

 ― やっぱり訓練はやっとくといいんだな。

 

〈ふるたか〉から返事が返ってきた。

 

「〈ふるたか〉CICより艦載1号へ。当該爆発については本艦でも確認した。原因及び被害状況は不明。貴機は至急帰艦されたし。」

 

「了解。直ちに現空域を離脱。帰艦する。」

 

  涼子は帰投コースへ機体を持っていくため旋回しながら、現状について考察した。

 

―なんだこれは。火山の噴火? 事故? それ  

    とも「何者」かからの武力攻撃か。

―そうであれば、あれだ。グレーゾーン事態。  

    武力攻撃の成立しない武力攻撃。なんにせ  

     よ、incident―事変であることは違いない。  

     今の状況は異常だ。間違いなく。

 

強引にそう結論付けた涼子は、黒煙たなびくルナーエ高原を一瞥した。彼女はその黒煙

の中に軟体生物のような半透明の巨大な物体を見た。、―気がした。

 

彼女は見間違いで片付けようとしたが、どうも腑に落ちなかった。

― あれが「何者」? まさか。あんなもので  

     武力攻撃の要件を満たすだろうか。とりあ   

     えず報告はしよう。られるかもしれない    

     けど。

 

 正直、涼子にはその時、それ以上に気になることがあった。自分は7月に地球に帰っているだろうか。小春に会っているだろうか。もしかしたら無理かも。

 

 結果として、航宙自衛隊・黛涼子3等宙曹は、史上初めて地球外生命体を目撃した人物となった。