まるで地下にもう一つ街があるみたいだ。

 

 宮野小春は、井上彰志と新宿三丁目駅の構内を歩きながら、そんなことを思った。確かにこの地下鉄駅は巨大で、20以上の出口とそれらを繋ぐ通路が広範に張り巡らされている。別に初めて来たわけではないこの駅に対して、今更そんな形容を思いつくあたり、小春がどこか浮ついた、落ち着かない心持であるのは疑うべくもない。

 

 まあ、それも仕方のないことである。彼女は人生初のデートをしている最中であるのだから。

 

 が、しかし、このデートには問題がある。デート、というには、この二人のやり取りはあまりに淡白だったのだ。手も繋いでないし、会話も少ない。勢いで付き合うことになって、舞い上がった小春の提案で押し切られてデートすることになり、二人はいまこうしているわけだが、ここに来て、妙に冷静になってしまったのである。彰志については根暗なオタクとしか言えない性格であるし、小春は色恋沙汰になると普段の人懐っこさを発揮できない人間であった。ただ、なんとなく、告白されたという高揚感の満ち満ちた空気に呑まれて、

 

「付き合うことになったんだからさ、デートしようよ!」

 

という言葉を―有無を言わせぬ微笑とともに言ってしまっただけだった。

 

 彰志のような男にとって、それはまさしく殺し文句である。さらに具合の悪いことに、彼もまた空気に吞まれてカッコつけてしまい、プランニングは自分に任せろなどと言ってしまった。やめておけばいいものを。そして追い打ちをかけるように彼のミステイクは続く。小春がえーうれしーたのしみ ―  などというセリフを純真な笑顔を向けて言うものだから、じゃあ本番までどこ行くかは秘密のサプライズで!!などと意味不明なことを口走ってしまったのだ。

 

 言わずもがな、彼にデートを計画するノウハウなどあるわけがない。彼がそのことに気が付いたのは、自殺的な告白を奇跡的に成功させた、その夜のことであった。当然彼は一人で狼狽えたが、彼にとって救いだったのは、宮野小春がやたらとフォトジェニックを気にして写真を撮りまくるといった倒錯した自己顕示欲を持ち、主体性が爆裂しているような「女子」でなかったことである。彼は彼の良心に従ってデート・プランを立案すればそれでよく、たとえ失敗したとてネット上でその話を暴露され、勘違いフェミニストに糾弾される恐れはなかった。彼は小春のそういう所をわきまえていたから、幾分か落ち着くことが出来た。

 

 そう、小春は優しかった。こうして駅を歩いている間にも、デートしようなんていきなり言うのは不躾だったかなとか、彰志君一人に任せたのも楽しすぎかなとか、そういうことを考えていられる人間だった。

 

「ここの出口」

 

 不意に、彰志が言った。小春は、うん分かったとだけ言い、階段を上って地上に出た。E5出口だった。


地上に出て横断歩道を渡り、しばらく歩くと、木々の向こうに背の高い塔が見えた。よく見ると時計が付いている。小春は、なんだがアメリカにありそうなビル。展望台とか、レストランとか行くのかな、そんなことを思った。

 

彼女の予想は外れた。件の時計塔を横目に見つつ歩いていくと、彰志が

 

「着いたよ」

 

と言い、立ち止まった。

 

彼の見据える先には、森が広がっていた。