この記事


を友人がフェイスブックでシェアをしていまして、




思い出したことがあります。




僕が塾の講師になって一年目のことです。


ある生徒さんから日本史の学習についてテキストが合わない気がするという相談を受けました。

そのテキストは塾から指定されたもので、日本史の担当の先生から渡されたのだけど、なんだかわかりにくいということでした。

彼女の言い分の詳細を聞いて、検証すると、「確かに」と思う部分も多々ありました。

そのテキストが悪いというよりも、「彼女の当時の学力や性格」には合わないだろうなーと思ったのです。

端的にいうと、もっと絵が入っていたりしてイメージを惹起するものの方が合うだろうなと。


で、僕は、


「分かった。んじゃ君に会うテキストを土日で本屋さんで探すよ」


と言って、


その後、塾がない時間帯や土日を使って、名古屋中の本屋さんを駆け回り、ほぼ全ての日本史のテキストを見て回りました。

て、これが彼女には最適だろうし、それでも足りない部分は補助プリントを僕が作れば良いかと思いました。


100%善意


ですよね。


会社員としてはそこまでやらなくても良い話だし、

ある意味、「働き方改革」って観点でいうと、どうなんだ?

と。


業務時間中にやれよ!と言われるかもしれませんが、他にも仕事があったし、業務時間外に対応するしかなかったわけです。


で、僕はあまりそういうことも考えず、

生徒さんから頼まれたから自分でできる事をやったというだけの話。


そこから、


僕は生徒さんに「見つかったよー!」と言って、

なぜそのテキストが良いのか、どういう風に勉強すれば良いのかを伝えました。


生徒さんは、とても感謝をしてくれまして、目をキラキラ輝かせて意欲的になってくれました。

「ありがとうございます!頑張りますっ!」

みたいな。



で、その子への指導が終わった後に、


隣に座っていた教室長の先生(当時僕より二回りぐらい年上の理系の先生でした)に別室に呼び出されました。


「坪田くん、ちょっと来て」



僕は、


「お!褒められるのかな?」


と思ってノコノコとついて行ったのです。


すると、


最初、静かなトーンで、しかし徐々に白熱してしこたま怒られました 笑


「君さ、何勝手なことしてるの?  僕は聞いていないんだけど」


「いや、生徒さんが日本史のテキストが合わないというから、僕なりに彼女にあうと思ったのを探しただけなんですけど」


もちろん、誰を傷つけるという意図もなかったし、なんで怒られているのかの意味が分からなかったのです。

なんなら、「はぁ?」と思ったぐらいです。


すると彼は続けました。


「あのね、あの子は君に相談したかもしれないけどさ、あのテキストを渡した担任の先生のメンツ考えた? もっというとさ、僕らは会社でやってるわけ。君はなんの相談もせず、会社としての決定を覆し、他の先生のメンツも考えずにスタンドプレーをした。本来なら、事前にテキストの変更の手続きを書類に書いて、議論しないとさ。君だけで判断するのおかしいでしょ。そもそも一年目なんだしさ。経験も少ない中で、君の判断でやってね、結果的にうまくいかなかったとしたら責任取れるの?」


など畳み掛けられました。



僕は、「そっかー!すみません!!ホントですね!気付かなかったです!」

と心の底から思ったので、謝りました。



一方で、こうも思ったんです。


「でも、絶対、あのテキストの方が良いですよ。変えた方がいいっす」


と僕は言っちゃったんです。



めちゃくちゃ足を運んで、一冊一冊を検証し、彼女が受ける大学の過去問も分析してデータをもとに選んだこともあり、絶対の自信がありました。

「たくさん頑張ったんだ!なぜそれを認めてくれない」という感情的なことではなく、


いや、「なんならなぜ彼女にとってはあれが良いのかをプレゼンさせてくれたら、100パーセント論破できる」

とすら思ってました。なぜなら明確なデータをもとにしていたし、そもそも彼女の目の輝きが変わったからです。

その事実はとても重いと思ったんですね。


でも一方で教室長の先生が言っていることはそこではなくて、「会社としては対応するんだからスタンドプレーではなく手続きを踏みなさい」ということだったのも分かっていたので、


それに関して、ぐうの音もでないほどシュンとなって、学ばせていただきました。


で、僕は誠心誠意謝ってシュンとなった後に、


「分かりました。では手続きさせてください。どうすれば良いですか?」

と言ったら、笑われました。


「君、面白いな。普通、そこで今回は引き下がりそうなもんだけどな。ただ、やっぱり生徒さんのためにというのがベースにあるというのが分かったから、後で日本史の責任者も入れて議論しましょう」


と言ってくださいました。



結果的に、テキストは変わりませんでした。


で、僕は今でも「あの生徒さんには僕が選んだテキストの方が良かった」という自信があります。


しかし、会社としては、「決まっているルーティン」や「システム」や「関係性」があり、それを1つでも変えると全体としては膨大なコストがかかるということも多々ありますので、局所的には正解でも大局的には不正解ということがあります。


そういう意味で、事前にちゃんと相談すべきなんだということが分かりました。

ただ、これ、捉え方によっては、


「頑張っている社員さんを潰す」という受け取り方をされてもおかしくないわけですよね。


「なんだよあいつ、全然分かってないなー」と部下から上司が思われてもおかしくない。


どちらにも正義がありそうです。



僕としては、


「上司には怒られてなんぼ」だと思うし、そもそも「怒られないように行動する」って最悪だと思うんですよ。

だって学びがないじゃないですか。


自分には経験値や知識が足りない部分があるのなんか当たり前です。(無知の知)

その前提に立てば、その自分の経験値サークルとでも呼ぶべき円の中にいると怒られないかもしれませんが、それを一歩出たら間違えることなんていっぱいある。

で、一歩踏み出してしばらくは良くても、地雷を踏んだりすることがあるわけです。


そこで怒られる。


「あ、あれはダメだったのか」

と自分の経験値サークルが広がるわけです。


これが「成長」なんじゃないの?と。


なので、

「無視」とか「面従腹背」とかは、バカのすること

であり、思い上がりも甚だしいと思っています。


その前提って「自分は正しい」と思っているってことですからね。


上司と意見が違うなら議論すれば良い。というか、議論しなくても質問すれば良い。


で腹落ちするまで聞くか、「まずは何も言わずにやってみる」ってことをすれば良い。


ちなみに僕は腹落ちするまで聞きたいです。「今は」。


理論化、体系化が好きだからです。



だから、怒られるの大歓迎なんですが、


今、なんというかあまり怒られるような人もいなくなってしまったというか、それがとても悲しくもあります。


そういう意味で、吉本の大﨑会長や岡本社長と会議をする時間というのは僕にとっては珠玉の時間なのです。

たくさんつっこまれたいし、「ん?」という表情を見たい。


ちょっと冒険してみたくなるんですよね。


あと、「イジワル」をしたくなる瞬間もある 笑


とはいえ基本は、自分が意見を言ったり、質問をしたりする中で、それに対してご意見を賜ることができるのは「こんなに贅沢で良いのだろうか。お金もらえていいの?」と思っちゃうわけです。


個人的には、そう部下に思ってもらえるような上司になりたいなと思います。