こんにちは。坪田信貴です。

 

みなさん、「弘法にも筆の誤り」ということわざを聞いたことがありますか?

 

要するに、「どんな達人でもミスすることはある」という意味ですよね。

 

犬も歩けば棒に当たるとか、石の上にも三年と言った超有名なことわざのうちの一つでしょう。

 

日本人の成人なら、知らない人はあまりいないと思います。

 

弘法大師=空海といえば、平安時代に生きた人で、「三筆」と数えられるほどの達人です。

これは「日本の書道史上」最高の三人なんだそうです。

 

他に、嵯峨天皇や橘逸勢などがいます。

 

これは日本史で学びますよね。

 

 

 

でもね、僕ずっと思ってたことがあるんです。

 

弘法(大師)=空海

 

って本当にそんなにいうほど字が上手いの?

 

って(笑)

 

 

この罰当たりが!

 

と思われるかもしれません。ごめんなさい。

 

ただ、「弘法にも筆の誤り」とかね、「三筆」とか持ち上げられればあげられるほど、ハードルって上がるじゃないですか?

 

そんな中、資料集で「風信帖」という空海が最澄(えらいお坊さん)に宛てた手紙の画像を見ましてね、

 

(風信帖)

 

 

 

一つ一つの文字を見たんですよね。

 

 

するとね、

 

 

 

あれ?

 

 

あれれ?

 

 

これ「頂」ですよね?

 

 

そしてこれ、

 

 

いや、明らかにバランス悪くない?

 

これを僕が書道の時間に書いて提出したら、絶対朱色で訂正されると思うんですよね。

 

「ここ離しすぎ」とか、「もう少し大きく書きましょう」とか。

 

 

正直、ずっと「いや、空海より上手い人いるやろ。」と思ってたんです。

中学生以来心の中で秘めてました。(僕が字が上手いわけでもないので、あんまり言えない)

 

 

 

でね、先日、日本を代表する書道家の「紫舟」さんと会食させていただく機会がございました。

 

 

 

 

NHK「龍馬伝」の題字であったり、

 

 

伊勢神宮の遷宮のお祝いの幟の書を書かれたりしています。

 

 

 

情熱大陸への出演や、天皇皇后両陛下(当時)が個展にいらっしゃるという…。

 

 

 

これぞ「日本を代表する書家」であることは間違いありません。

 

 

 

僕自身は、何度か紫舟さんとお会いする機会があり、「友達」と言ってくださっているのが光栄すぎます。

 

そんな紫舟さんに聞いてみたんですよ。

 

 

「あの、空海って字、上手くないんじゃない? と思ってるんですけど、日本を代表する書道家から見るとどうなんですか?」

 

と。

 

 

この時点で、僕ってヤバイ奴ですよね。

 

その場の空気の張り詰めたこと、張り詰めたこと。(紫舟さんはにこやかでした)

 

 

でもね、そこで紫舟さんのおっしゃったコメントが、僕の中でめちゃくちゃ響きましてね、

 

ぜひみなさんに共有したいと思ったのです。

 

 

「空海の字って動くらしいんですよ」

 

 

え?どういうことですか?

 

僕がそういうと、

 

「私は、10代の時はね書を書くときに黒い部分を見てたんです。

20代の時は、白い部分(余白)を見るようになった。

そして今は明後日の方を見てる(笑)」

 

 

そう仰いました。

 

何言ってるか全然わかりません(笑)

 

さすがアーティストです。僕は、空海の字はうまいのか?と聞いているのに、「明後日の方を見て文字を書く」という話になりました。

 

 

え?どういうことですか?

 

「坪田さんは、文字の形が整ってるかどうかで上手い下手を論じている。その時点で修行が足りないなということです」

 

 

ガーン。と思いました。

 

 

「私は空海の文字を直接見たことはありません。でもね、きっと見ると、そこにはすごいエネルギーのようなものを感じると思うんです。特攻隊に行く前に家族に書いた手紙の現物を拝見したことがあるんですが、本当に心を動かされる。死の直前に書いた家族への想いが、文字に魂を宿しているんです。日本人は言霊という言葉を文字がない時から認識していたそうですが、空海の文字はきっとその言霊を表しているんだと思いますよ。」

 

 

その通りだなと思いました。

 

そもそも、「コピー」や「写真」というのは、その書自体を表しているものではなく、

「形」を正確に表しているものにすぎない。

 

これは「人の話の伝聞」にも言えることです。「あの人ってこうらしい」みたいな。

 

また、「ちょっと見た」ぐらいで判断できるわけもありません。

 

その人の人生、背景、想い、あらゆることが行動に乗っかり、その人の人生全てが「書の良し悪し」の評価になっていくのでしょう。

 

「何を言ったか、ではなく誰が言ったか」

 

とはよく言いますが、

 

結局、何らかのアウトプットも「その人のこれまでの積み重ね次第」で、同じものでも結果が変わるということなのでしょう。

 

当たり前ですが、だからこそ大事なことですよね。

 

「何で、私はうまくいかないの? ○○さん以上に努力してるのに!」とかって、答えはシンプルで、「これまでの積み重ねの差です」という話。

 

 

何にせよ、「中学生の時にふと思い込んだこと」を、超一流のプロに嗜めていただいて、ハッとした瞬間でした。

 

弘法大師様、大変失礼をいたしました!!!!!修行します!

 

あなたの書はきっと「ミスと凡人が捉えるようなことですら芸術である」というような次元なんだと思います。

 

そう考えると、「弘法にも筆の誤り」って言葉って、もはや「違う意味なんじゃないか」と思います。