数日⛄️雪かきと仕事で
此方が滞ってしまいました。
m(__)m

早速、きっかけの続きを
お伝えいたします。

社会人になったわたしは
子供に関わる仕事に就きました。

喜びと楽しさ、難しさを感じながら
多くを学び、過ごしていたのです。

子供たちは
本当に可愛くて、大切で
特に、安全第一に考えて向き合う
緊張感と責任感は
誇りでしたし

ご事情、環境の異なる
親子の姿を見ながら
十人十色以上の
幾つもの心に触れ
刺激や学びや感動を
得ていたと思います。

そして
防災の担当者になった時
神戸へ出張に行き
先述の体験をしたのですが

今までとは少し違う感覚があったので

私だけでは無理だと判断し
専門家のお店(別の仕事が本業で)へ
行きました。

店の看板、店構えも一見、
看板通りの店ですが
至る所に霊的な処置がされていると
わかりました。

ああいった霊能者の方は
察知していることも察するので

席について
住所、氏名を紙に書いている途中に
凄いね
色々気づいているでしょう?
はいはい.......いやぁ凄いわ
と言われました。

わたしにとっては
自分の感覚が普通なので
オーバーな人だなぁ
と思っていたのです。

(相談事に関しては、終始
真摯な対応で
信頼できると思いましたし
後日
無事、納得の出来事があり
感謝しております)

その時
職場の仲の良い先輩からの紹介で
先輩と一緒に行ったのですが

本題が終わったあと
先輩の守護霊様や
祖父のお話を聞いたり

わたしの守護霊様や
祖母のお話を聞いたり
していたのですが

その流れで不意に

「この場で、全部をあなたに
お話は出来ないんだけどね
ひとつだけ言っていいと
言われたから話すね

あなたは
神様のお仕事をする人だと
言っている
もう前から決まっているんだってさ

全部は言えない
そう言われているから

羨ましい、僕とかではなく....ね
羨ましいな
それは凄く光栄なことだと
僕は思うんだ」

と。

当時のわたしは
神様のお仕事?
とハテナマークが一杯で

羨ましいと何回も言っていることも
予想外の話が来たから
ピンとも来ず
飲み込めませんでした。

というより
その時は
なんか変なこと言われた
くらいの感覚で
過ごしていました。

仕事とプライベートが
本当に忙しく
大変でしたので
(知人の読者は
ああ知ってるあせるあの頃ねスター
と思いますでしょ)

 先輩が結婚し、子供が生まれ
2人目も生まれ

わたしも主人と出会い結婚して
地元を離れて生活をはじめました。


妊娠中から
霊的な性質が強まると言いますか
確かな変化を感じていました。

息子は28週過ぎる頃まで
性別が判明せず
命名や準備に
両方考えようとしていたのですが

妊娠を知った頃ぐらいから
「ママ、僕ね」
と話しかけきていて
頭の中に直接話しかけてくるんです。

母子のシンパシー
魂の繋がりでしょうか。

いつでも、どこでもです。

特にわたしが辛い時や悲しい時
「大丈夫、僕がついているから」
と応援してくれ
その声を聞き、泣きながら運転した
こともありました。

まだ、妊娠中ですが
きちんとした意志を持つ存在で
しっかり話しかけてくることに
違和感は感じませんでした。

何故なら
わたしもそういった意識を持って
生まれてきて
乳児時代を過ごした経験があるからです。

やはり命は魂が先なのだと。
身体の発育より先に
霊が在るのです。

それに
水色の服を着た赤ちゃんを
嬉しそうに抱いて
過ごすわたしの姿を
魂世界で視たので

29週で男児と判明した時は
やっぱりラブと思いました。

出産は大変でした。
前駆陣痛で入院したのですが
陣痛だと思う激痛が
まだまだの痛みらしく

体力、気力には自信があったのですが
準備室、個室に移動してからも

食事は全く摂れない
全く眠れない
痛い〜が
2日半
過ぎた頃

意識が朦朧としてきて
ふらふらな状態になり
痛みを逃す呼吸や体勢も
ままならない状況で
無事、産んであげられないのかな
と涙が出てきて
夜中、促進剤を使って欲しいと
助産師さんに頼みました。

医師不在の為
翌朝の9時まで待ってと言われ

その数時間は悶絶しながら
一向に進んでいかない時計の針が
恨めしくも感じました。

医師の促進剤を使いましょうと
いう言葉を聞いた時は
ホッとしました。

息子の心拍数も落ちてきて
早く産んであげないとと。

立ち会い出産はしない予定でしたから
(仕事がどうなるか分からない職種)
夫は待機
そのかわり
実習生やら先生達や研究員?さん達が
立ち会わせて欲しいと
10人くらいに見守られながら
出産しました。

息子とはじめて顔をあわせ
胸に抱いた時の安堵

廊下で待っていた
夫が抱かせてもらい
「凄い可愛い〜!!」
と喜んでいる声

1日小児科での入院と検査が必要で
その後同室になると説明を聞いて

息子にあとでねと手を振った時
息子が手を挙げたので

母とびっくりして笑いながら
今、手を挙げて返事したよねと
話した直後
わたしはその後

記憶がなく
目を開けると
母がいて

夫は
父が食事に連れて行っていること

わたしは、あの後
分娩台で急に眠りだし
4時間も爆睡していたことを聞き
びっくり‼️

急変を配慮し
ずっと母が側にいてくれたこと
愛に感謝でした。

退院後からは
オーラが更にみえるようになり
息子のオーラが色の鮮やかさと
大きさが凄くて
何でこんなに光っているの
と生命力や魂エネルギーの高さを
感じでいました。

そして
何より我が子への愛しさが凄いこと。
100人以上の子供たちを
可愛い可愛いと
8年くらい見てきましたが
親の愛は別格だと知ったのです。

自分の命をかけて
両親や皆を守りたい想いは
子供の頃からありましたが
それ以上だと痛感しました。



世界中の人々は
みな誰かの子であること


あの子もその子も
目の前にいない遠い国の子も
みな愛しい慈しむ存在だと
魂が震えるのです。

命を胎内で愛しみ
守り
命をかけて産むのですよ。

親の愛は海より深いと
言いますけれど
それ以上ですよね?クローバースター
(中には魂の理由で別の感情と経験を選択する方々もいらっしゃいます)

皆、大切な子供どうしで
戦争やテロで◯し合うこと

それから
自爆とかだなんて

親が我が子を失う想いと
子への愛はいかほどでしょう。
(戦争のからくりも、魂世界の体験や指示で学ぶ内容が多く、裏事情に気づいていくのです)

また
同時に予知ビジョンや魂体験で
知り得る事件や事故や
災害やテロ

臨場感あふれる
リアルな体感と景色
実際に亡くなっていく魂たち

目の前に繋がって何かを
訴えてくることもあれば
わたしが彼らになったような視点や
感情が湧き上がるので

強く葛藤し涙し
予め受けるならば
受ける力が強いならば
発する力も強いはずだと

守りや平和への動きを
念で
働きかけるように
なっていったのです。

祈りになるのでしょうね。

それと同時に
母方の親族で揉め事が勃発し
祖父の遺産を巡って
兄弟姉妹で
あれやこれやと始まり
母の弟だって代表取締役
何言ってるの
と悲しかったのです。

わたしは
祖父との思い出だけでで十分だと
それで良いと思いました。

それを子供達が争うなんておかしいと
愚かさと醜さ
愛憎に
幾ら泣いても足りないくらいでした。

そしてね
同時期にと言いますか
別問題も発生していて

わたしは生きることをやめようと
考えるまでに至るのです。

学生時代、手相を占われた時
手相だけで
あなた良く生きてきたね
私だったらとっくに自殺していたかも
何回死んでもおかしくない
強いね頑張っているね
泣けてくると
手のひらを何度も撫でられ
言われるほど
わりとハードモードタイプの
人生ではあるので
今までは乗り越えてきたけれど
もうその選択をしようと
手段まで冷静に考えてもいました。



でも
この身体で
この目で


息子の成長を温もりを
感じていたかった


だから
思い留まることが出来ました。

息子がいたから
息子がいるから

今のわたしがいます。



普通より多感な性質は
現実世界でも
魂世界でも
キツいもので




まぁ色々あり
どん底からカムバックしたわけですが

その生死に関わる
祖父の死
自分の命
揺さぶりや苦悩から脱した経緯が

第一段階の
目覚めに繋がっているといいますか

少し研ぎ澄まされていく感覚があり

そして数ヶ月後
2009年10月でした。
(そろそろ2010年になるという頃)

石の浄化をする為に
当時住んでいた
広いベランダに出て
見晴らしの良い山々を眺め
満月に祈り繋いでいた時です。


繊細なのに
稲妻のようなエネルギーが
ドーンと来て

一気に

怒涛の如く

色々な情景を
見せられていきました。

地震、津波、火山噴火
台風、天変地異

壮絶なありさまです。

そして
大きな戦争への危惧
を伝えていることも
ひしひしと感じたのです。


頭の中の映像は
地球を宇宙から見て

その場、その場に
クローズアップしていく流れ

衛星の視点のように
日本上空から

宇宙の景色に繋がり
地球を眺めていると
ある言葉が伝えられました。



 

いいか
愛を伝える時がきた
 

愛を伝える時がきたのだ

世界の中心で

愛を伝えるのだ




集う仲間を探せ


同じ意志ある者達がいる




と。

続)