鴻巣女子高等学校を終えて、その足で入間へ・・・

夜は地元入間市での”ちいさな勉強会”です

 

 

 


市内にある民間の保育園から30名前後の仲間がこの指にとまってくれました♪

 

 

もちろん初めてお会いできた先生方もたくさんいらっしゃいますょ

 

 

そして会場にはお世話になった方々もです

 

 

ぼくがまだ保育専門学校の学生時代に実習させていただいた保育園からも・・・

 

子育て支援でお声をかけ続けてくださっている園も・・・

 

なんと?!その専門学校時代の同級生も忙しい中を駆けつけてくれました・・・

 

そしてぼくが以前勤めていた保育園の仲間たちが足を運んでくれました

 

 

 

はじまりは6時半ですが、仕事終わりのことですからね

 

まぁ~、7時くらいからでいいんじゃないかなぁ?なんてのんびりしていたら、6時40分頃にはみなさん椅子に座ってスタンバイOK!!!

 

 

ありゃりゃ!ということで6:45にスタートしました!!!!

 

 








参加してくれた仲間たちの顔ぶれを見ていてとても感慨深いものがありました

 

 

とてもとても感慨深かったです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2000年2月下旬、保育園でお別れ会と誕生会が行われました

 

3月生まれのこどもたちの紹介と、3月をもって引っ越しする子や退職するおとなたちをこどもたちへ伝えます

 

 

 

 

退職されるひとりひとりのおとなたちの紹介を司会の先生が読み上げていきました

 

 

 

「・・・そして、まっちせんせい まちだひろしさんも保育園とお別れします」

 

「ええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ・・・」

 

 

 

と、こどもたちの声がまるでおとなのような歓声にその時ぼくには聞こえました

 

そしてその声はいまでも耳に残っています

 

 

 

ぼくが大好きだったこどもたちとさようならをしてまで保育園を退職したのは…

応援したかったからです

 

 

 

こどもたちや先生方、保育を応援したかったからです

 

 

 

あそびやうたを作るのがいちばんではありませんでした

 

 

 

 

 

 

保育士生活最後は1年間だけ園長という役を頂きました

もちろん当時30歳だった自分にはその役はまだまだ大きくそして重すぎました

 

 

 

園の中での仲間たちへのアドバイスやおしゃべりは、人によっては園長命令となってしまったりなぜか忖度?になりがちでした

 

 

 

なによりも学んだのは自分の無知さと独りの無力さ

 

 

そして、どう抗っても逆立ちしてもなし得られない”経験”というやつがその時は是が非でも必要としていた保育に、まだ自分が間に合わず追いつきようがありませんでした

 

 

ならば外へ飛び出し勉強しよう

そして今度はいつか外から応援できることがあれば・・・と

 

 

 

それはいまをもってもまだまだ道半ばではありますが、まさに今24年かかってようやく「ちいさな勉強会inいるま」という名前ではじまったのだ!と感じました

 

 

目標は10年続けること、と皆さんへお伝えしました

 

 

 

ぼくなんかができる応援はとても微力です・・・

それもとっくに承知です

 

 

 

答えなんて出せません

 

それでも今、先生方が悩んで迷って絞り出しながらもこどもたちへ寄り添おうとするのなら、ぼくはそれを全力で応援することはできますょ

 

 

 

 

 

これからが楽しみです