100即を終えて ~はらぺこが生まれた日~ | はらぺこの食いしん坊万歳!

はらぺこの食いしん坊万歳!

吾輩ははらぺこである。

【はらぺこが生まれた日】


はじめに、この記事は一部脚色を加えてあるが基本的にはノンフィクションである。
そして前もって言っておくと、某人気ブログの様な女性に大きく裏切られたから
ナンパを始めたとかそういったドラマティックな展開はない。
ネガティブで長い非モテの文章である。読んで得るものはないと言える。
自分自身の振り返りの為に書いてみた。興味のある人だけ読んでほしい。


























ここまでスクロールしているということは本当に読みたいのですね。
それではネガティブワールドへいざご案内しましょう。





























1「初めて」の喪失

はらぺこが童貞を捨てたのは少し遅めの21歳だった。
彼女ができたのは高校生の時で、ラブホテルに初めて入ったのは
(不本意であった)のは成人式の20歳であったがここでは割愛する。

童貞喪失の相手は仲の良い女友達であった。
恋愛相談に乗って話を聞くうちに終電を逃がし、漫画喫茶の同じ部屋で寝た結果、
唇を奪われ襲われた。
襲われたという表現が最も近いと思うが結果的に俺は童貞を卒業した。
当時友人が勝手にmixiで爆撃ナンパをして会うことになったGカップの子と飲んで家に誘われても、何もしなかった武勇伝をもつ草食系のシマウマさんである。

シマウマからはらぺこにどのように変貌を遂げたのか。
最初のきっかけは2人目の彼女であった。

同じ年の末に俺は人生観を変える彼女と出会い付き合うことになる。

2 AFC時代

彼女とは3年ちょっとお付き合いをした。
ここには書けないがとんでもないお嬢様で、Twitterでよく見かけるキラキラアカウントが
つぶやく事は大抵実現した。
ただ彼女の親はとても厳しく社会人でありながら門限を設定され、
<結婚>しない限り家を出ることは許されなかった。
どこかヤンデレ気味な年上の彼女に俺はぞっこんになった。
そんな年上彼女はセッ久が大好きだった。俺に高いレベルのセッ久を求めた。
彼女は俺のセッ久テクを鍛えた。今の俺がいるのは彼女のセッ久講習のおかげである。


彼女には変わった点があり、極度の束縛癖をもっていた。
合コンに行くのはダメ、というか女の子と一緒に何かしたら基本ダメ。
電話は1日3時間以上、どちらかが寝落ちするまで切ってはいけない。
よく我慢できていたと今なら思う。
それでも彼女のことが好きだった。大学時代の大半の時間を彼女に捧げた。
家までの送り迎えのコストを下げる為、彼女と同じ線沿いに引っ越した。
誕生日にリムジンを予約しサプライズをいっぱい用意し、
当時のバイト代全てを散財したこともある。


とにかく「彼女」という存在を失うことが怖かった。
「彼女」に嫌われることが怖かった。しかし3年目の夏「終わり」がふいに訪れる。


3-喪失
就職活動を終えた文系大学四年生といえば、やることは「遊ぶ」ことしかない。
文字通りヤることしかない。(これは後程たっぷり痛感する)
しかし俺の中では彼女との時間が最優先事項であった。そんなある日彼女から悪魔の言葉が囁かれた。


「ねえ結婚考えてる?」

「今すぐじゃないけど考えてるよ」

「私の人生設計では28には結婚したいの、それどういう意味かわかる?」

「?」

「半年後にプロポーズして欲しいの」

「!」

「籍は1年後に入れるとしたら婚約は今この段階で、うんたらかんたら」

「!!」

「婚約は社会的契約だから、うんたらかんたら」

「・・・。」

「だから結婚する気がないなら好きだけどお別れしないといけないの」

「そ、そんな」

「結婚してくれる?」

「いきなりすぎるよw考えさせて 滝汗」

「・・・。」

いきなりの展開に頭がついていかなかった。
彼女のことは大好きだ。でも社会人になって合コンなんかに行って
少しくらい女の子と遊んでみたい気持ちもある。
結婚したらもう遊べない。ちょっとだけばれない様に遊んだら結婚しよう。そう心に決めた。

次の日彼女を呼び出して言った。


「〇〇のことは好きだし将来的には結婚も考えてる。」


改心の一撃のつもりで放った一言に彼女は顔を暗くした。


「今って即答できない時点でもうダメだと思った。
一緒にいてもお互い幸せになれない。別れましょう。」


目の前がポケモンのサトシ並みに真っ暗になった。

僕は次の一撃を忘れない。効果は抜群だった。


「恋愛の延長線上には結婚が必ず存在するの。学生時代は楽しい恋愛だけしてれば
いいかもしれないけれど、社会人になったらそうじゃないの。
いつか結婚を考えられる人と幸せになってね」


僕の胸に深く刻みこまれたこの言葉を、僕はこの後何人の女の子にいったんだろうか。
この言葉が心の楔となり、未だに恋愛には踏み込めない。


4.初めての即

彼女との別れは正直引きずった。


「好きだけど別れる。」


そんなふられ方をして立ち直れるほど俺は強くなかった。
裏垢をつくって、彼女への未練をただただつぶやいた。
誰も見ていないからこそなかなかえぐい内容のつぶやきを連射し、すっきりした。

これが今の「はらぺこ」アカウントの原型である。

当時就活を終えて、内定者同士で異業種交流会みたいな催しが盛んに行われていた。
簡単に言えば同い年の社会人まで盛りたい男女が会って、
就職する会社名をきっかけに仲良くなってセッ久する会である。
人脈を広げるとか、俺は○○会社に内定をもらっててとか聞こえのいいことを言っているが、
実際はただかわいい子、ヤれる子とセッ久したいだけっていうのが見え透いていた。
当時知り合ったクロロとクリスマス会か何かでソファーに座って
男女の戯れを眺めていたのが懐かしい。

とはいえ、俺も男だ。もう半年近くセッ久をしていなかった。
いつかの飲み会の後に酔った勢いでセッ久した。朝起きると相手はいなかった。
酔った勢いでセッ久するのはやめようと誓った。

社会人になってからはコンパが増えた。彼女に縛られていた俺にとって
コンパはただただ楽しい会であった。
お持ち帰りという概念は最初からなく、番号を交換してその後会って
あわよくばヤれたらいいなくらいであった。
たまに一次会の後いなくなるリア友をみて、自分とは遠い存在、すごいなあと感心していた。


転機はゴールデンウィークに訪れる。

それは友人に誘われた街コンであった。

そこで俺は人生で初めて即を経験する。

今でこそ普通になったが、その日あった女の子と同日にセッ久するという体験は俺にとって衝撃的であった。
興奮が収まらなかった。

その日俺の中で眠っていた何かが目を覚ました。

次の日は友人とのビアガーデンだった。
男だけということもあり自然とナンパが始まった。
そこで俺は即れはしなかったものの何件か連絡先を交換し、
後日一番スト高の芹菜似のお姉さんと準即を決める。
誰もが認める美女を抱いた。俺は大満足だった。
しかし一つの問いが頭に浮かぶ。


「なぜ彼女にしたいと思えないんだろう」


この問いの答えを求めナンパを始めることになる。


5.はらぺこの誕生


人間というものは欲深く、それこそ底なしの「はらぺこ」である。

いくつかの成功体験を経験して、俺はナンパというゲームの面白さにはまり始めていた。
1人では到底勇気はなかったので、友人を誘ってH○Bとクラブに週末通いつめた。
即はできないもののヤれそうな子と番号を交換し、後日アポをとり準即、準準即を重ねた。

スライムを倒して経験値を積んだ俺に、また一つ大きな影響を与えたイベントが発生する。


ハロウィンである。(先日ついーとしたが)


友人とかわいいコスプレ娘を即るぞーと意気込んで臨んだお祭りで、俺は酷子を即ってしまう。
友人達がナースやうさ耳と4対4で和むなか、俺は輪からあぶれた。
周りではそこらじゅうで下半身を膨らませた男子が女子を口説いていた。
学生時代男女で戯れるリア中集団を自然と避けた自分を思い出した。

とりあえずテキーラを口に放った。
もう完全に手遅れだった。

酒を飲んで記憶はないがたぶん俺は女の子と楽しそうに話す友人達に嫉妬し、酷子を持ち帰ったのだろう。

俺のリトルペコはそれでも頑張って男としての責務を果たした。

しかしながら後日友人には、もう散々言われた。

「あれを持ち帰るとか、ほんとない」

「さすがにがっつきすぎでしょw尊敬するわ」


正直ここまで言われるとは思わなかった。
周りの声なんて放っておけばいい。うん確かにそうだ。
しかしそれができなかった。プライドを傷つけられた。

自分の中の何かが完全に目をさました。

そうはらぺこの誕生である。(といってもまだアカウントははらぺこになっていない)

そんな中合コンで一人の女性と出会う。仮にA子としよう。
A子は同業で話もあい、顔もタイプだった。
仕事が忙しかったこともあり、少しさみしさを覚えていた。
ハロウィン以来自信もなくし、出撃は控えていた。
俺の中で「誰かを好きになりたい」という気持ちが日に日に強くなっていた。


機は熟し、2回目のデートで告白した。
意識して手すら繋がず、映画を見終わった後夜の公園で精神誠意をこめて告白した。
クリスマスに告白したかったが仕事があったので休日の12月22日だったと思う。

正直いけると思っていた。好感をもたれていると思っていた。
前の彼氏がチャラ男だから誠実な人がいいと言っていた。俺は誠実だった。


「ごめんぺこくんはそういう対象として見られない」


結果は・・・圧倒的敗北だ。
合コンの後同席していた別の男性に誘われそこで1度セッ久をしてそのまま関係が続いていると。

はらぺこくんの事はいいなと思うが、この状態では付き合えないと。

彼女がセッ久をしたのは俺と1回目のデートの翌日である。

俺は手すら繋がず誠実さを見せたいと思っていた。

その翌日他の男がその子とセッ久をしていた。

2回目のデートの時、俺はちょっといいレストランを予約しサプライズプレゼントを用意した。

その前日他の男がその子とセッ久をしていた。

そう、俺は負けたのだ。いいなと思って手を出さなかったら、
横から他の男が手を出して奪っていった。まさにクラブの様に。

次の日、12月23日俺はクリスマスのイルミネーションで盛り上がる
表参道を一人で歩くという自殺ミッションを行った。
そしてその時の弱音、恨み、後悔、ネガティブな気持ちを全てを裏垢に吐き出した。
すべて吐き出し終わった後、俺は裏垢に名前をつけた。


たぶん疲れておなかがへっていたのだろう、「はらぺこ」と俺は名前をつけた。


抱いた感情はただ一つである。


「皆がうらやましがるような女といるところをみせつけたい!」


ここで面白いのはこの男、最終目標がヤりたいではなく見せつけたいというところである。
これこそ非モテの発想で、この考えは未だに変わらない・・・という話はさておき、
俺は自然とナンパに力を入れるようになった。
自然と一人でクラブに出るようになった。

凄腕のブログを読み漁った。
当時好きだったのは、東京のasapenさん、大阪では本田さん、キャリーさんで
自分なら何と返答するかイメージながら知識をつけた。

その後「はらぺこ」というアカウントでひっそりと呟き、
気づけば人生で100人以上の女の子とセッ久をしていた。


6.100即を終えて


年間100即を終えて今思う。約300日で100人の女の子とセッ久をした。
3日に1人のペース、既に関係を持っていた子との再戦を含めると
2日に1人のペースでセッ久をしたことになる。
卒アルルーティーンなるものの反響が大きいとわかると写メをあげ続けた。
賛否両論あれどフォロワーは増えた。

同時にその倍以上スト・クラナンをした。その倍近く声掛けをして負けを経験した。
金も使った。リア友と飲みに行く時間が減った。睡眠時間が減った。
フェイスブックにログインしなくなった。
友人の結婚式よりナンパを選んだ。


バカなことをしている。その実感は常にある。
しかし止められない中毒性がナンパにはある。
100人とセッ久をしたら飽きると思っていた。しかしそうではなかった。

俺は思う。
この名前をつけた時から、俺はいつまでも満たされずに「はらぺこ」のままな運命は決まっていたのだろうと。

しかしながら、ふとおもいつきでつけた「はらぺこ」という名前は計らずも有名になった。
いまおれはこのブログを北海道で書いているが、日本全国に「はらぺこ」というだけで
通じる繋がりができた。
この繋がりは細かれ太かれ、はらぺこにとってこの繋がりは財産である。


さてゴールはどこにあるのだろう。

ここで問うゴールとはいつもあげている「即!」ではなく、
「卒アル!」・・あっ違った。「卒業」のことである。
ナンパとタバコは似ている。(はらぺこは禁煙者です)

ナンパを卒業する時、それはよき理解者に出会えた時だと俺は考える。
ここまで書いてきた俺の全てをさらけ出しても


「ナンパしたいなら気が済むまでしたらいいじゃない。私は待ってるよ。」


そう言われたら俺は間違いなくナンパを卒業する。
そんな日は来るのだろうか。
そうかこのブログはいいなと思った子がいた時に見せる為に書いているのか。
最後の最後でこの記事の存在意義を見出す事ができた。



卒業ルーティーンはよ!