令和元年9月15日参拝
ちょっくら山梨県に行ってきた話 ◡̈
宗祖日蓮聖人が晩年を過ごした身延山が近いだけに山梨は日蓮宗寺院が多いね。
日蓮宗の歴史は鎌倉時代から始まるわけですが、
こちらはもともと修験道の寺院で創建は飛鳥時代後半!という山梨県最古級の寺院らしいのですよ。
大宝年間(701-703)役小角が富士御室に大日如来と四金剛童子を安置して大日往生寺を創建したことに始まります。
そして大同4年(809)富士登拝した空海が往生寺へ参詣の折、
あまりの山深さに現在地へ一宇の堂を建て本尊を移したのが大同山御室堂‥と、
修験道から真言密教へ変わっていったんですね (*゚∀゚*)
それから時代はずっと下り、
弘安5年(1282)9月12日のこと。
総門
富士道者の参詣案内を務める御師をしていた本庄采女の宿坊(屋号は梅屋)に、
身延山を下りて常陸まで湯治の旅に出た日蓮聖人がご一泊されるとのこと!
日蓮聖人の教えに触れた采女は改宗 w(゚0゚*)w
浅間社の神官だったのに‥
続いて御室堂の住職をしている法玄(采女の弟)も日蓮聖人にお会いして改宗 (゚ロ゚*)
法玄は日領という名前をいただき寺号を持名山蓮華寺に改称したのでした。
翌月に池上でご入滅なさる日蓮聖人はここでどんな言葉を説いたのでしょうね。
登場人物がビッグネームばかりw
しばらく本寺を持たない単独寺院だった蓮華寺は延宝6年(1679)より身延山直末寺院になっています。
北側の総門から入ってきたので庫裡を通り越していきますね‥ こんにちは〜。
チラッ (゚-|
庫裡は梅屋から移築されたという建物で廊下の向こうに大広間が見えました。
東側の通用門から続く参道と合流。
正面の本堂まで一直線なんだけどちょっと寄り道します。
ふかふかの苔びっしりの石段を優し〜く踏んで鐘楼の方に行く。
二宮金次郎の石像が可愛い (^ω^)
ヘ(゚▽゚ヘ) 鐘鳴らせる〜!
ありがたくゴーーーーーン。
うちの菩提寺の鐘に似て打音がやわらかく余韻が長いとても心に響く音でした 😢
第六天魔王だ!
河口湖町の割と近くに魔王天神社があって行きたかったんだけど今回は時間がなかった。
本堂の扉が開いててありがたい (^ω^)
上がってよかったのかしら、
どなたもいらっしゃらないから遠慮して外から南無妙法蓮華経〜。
初めて知ったんだけど〝三十番神の霊〟とは1カ月30日を日替わりで守ってくださる神々なんだって。
調べたら京都・滋賀の神さまが多かった。
番神堂と歴代住職墓所
風が木を揺らす音しか聞こえない深閑とした雰囲気が最高でした (;´Д`)♡
また河口湖畔でゴルフがあったら寄りたいお寺さんです。
庫裡におじゃましま〜す。
なんと御朱印はセルフ式!?
∑(๑º口º๑)!! ココロの準備出来てないよう。
ふわふわの押印パットが嬉しいです ( ノД`)
これがあると無いじゃ全ッ然違います!
どこかでもらったはさみ紙に試し押し、
朱肉をまんべんなく付けたらのの字に力を入れて‥ギューッ!
蓮華寺の御朱印です。
押印パットのおかげで印影くっきり☆
日蓮宗といえば橘紋ですがかつての屋号にちなんだ梅鉢紋。
そして手短にお寺の紹介文 ♪( ´▽`)
ところで総門の横に建ってるこれただの題目岩じゃなかった Σ(`Д`)!!
宗祖700遠忌報恩記念に建立されたものらしいですが、
中央の南無〜の周りに大持国天王・大廣目天・大毘沙門天王・大増長天王と四天王などなど、
下に天照大神・八幡大神や身延山四十世 日輪の花押まで刻まれた大曼荼羅だったんですね。
あとでゆっくり見たかったのにピンぼけで泣く😢
これだけ存在感のある山だから、
あらゆる宗派に影響を与えるのは当然なわけで、
日蓮聖人が5合5勺に法華経を埋納した伝承が経ヶ岳の由来だったりする。
富士山には題目碑が建ってるもんねぇ。
神道・修験とは違う目線の富士山も面白いと思ったよ 🙏
■持名山 蓮華寺
山梨県南都留郡富士河口湖町大嵐6
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富士河口湖町で見かけたマンホール。
勝山村と河口湖町の合併により消滅した旧足和田村のマンホールです。
図案は村の花ヤマユリと村の鳥キジ。
太めのキジに村の豊かさを感じますw