ハニーちゃんがゆく!

ハニーちゃんがゆく!

ひたすら寝てる人 たまに遠くへ行く

ブログ内容に関係ないコメントは消去します。
何かあればTwitterのDMまで。
令和5年11月20日参拝
常滑らしい風景をやっと見れた感じです(つっても土管の土留めは常滑以外でも見れます)。



土管で喜んでたわたし、この後もっとすごいものが見れることなんて予測していなかった。



山門の彫刻がすごい‥。

柴又帝釈天の彫刻ギャラリーが浮かびました。

柴又の制作は大正11年〜昭和9年(関東大震災で一時中断)なので、もしかしたら同じ職人が関わっている可能性があるのではないかと思ったりして。



美しい彫刻パターンにうっとり‥✨

わたしはこーいう連続柄が好きみたいで、子供の頃いつもおばあちゃんの布団をじっと眺めて寄り目になってました。



相持院は曹洞宗の寺院で本尊は延命地蔵菩薩。

創建年代は不祥ながら南北朝時代と見られています。

伊勢神宮の神宮寺である世義寺の所領が常滑にあって、その神明社に付属する寺院だったのが明治初年の神仏分離令で64番宝全寺に合併、明治35年に宝全寺から独立して移転を繰り返したのちに昭和23年(1948)現在地で復興が叶いました。

知らんぷり 戦後のお寺なんですねぇ!



階段を登りきったとこにも土管の石垣。

長いことすき間なく何段も積み上げられてるようですが傾きもせず、ずいぶんと丈夫なんですねぇ。



本堂に到着するまでかなり時間がかかりました。



静かな佇まいに迫力ある辻喜代一像✨

寺の復興に尽力した方だそうで、制作を依頼した寺総代12名と住職の銘が刻まれていました🙏



最も格式の高い五つ紋姿。

見れば見るほど生きてるみたいだ。



56番瑞境寺の忠霊観音と同じく備前焼作家 片岡静観の作品でした。

腰の辺りにしっかり〝静観〟と!



普段はあまり近寄らない稲荷ですが‥👀



なんと凛々しいキツネさんでしょう✨



こちらも静観作(だよね)。



56番瑞境寺の美しすぎるキツネさんとは作風が違うけどどちらも好き!



もういろんな角度から写真撮りまくり🤣

友達どっか行っちゃったけど気にしない!



鐘楼のひな形は比叡山なんですって。

調べてみると(詳しいことはわかりませんが)、確かに頑丈な柱がそっくり。



比叡山をお手本にしないといけない理由がちゃんとあって、この梵鐘、知多半島随一の大きさ(1.99t)なのです。



※ちなみにまだお参り前です。

本堂周辺でうろちょろしてますw



狛犬も陶彫でした‥♡

しっとり落ち着いた品のよさ、あやうく見逃すとこでした。



やっと‥やっとたどり着きました( ;∀;)

🙏本堂(延命殿)です!!!



|д゚) 御用の方は拍子木を三声鳴らせ‥。



冬休みの火の用心パトロール以来ウン十年ぶりの拍子木いきます。スゥ〜 キラキラ キラキラ キラキラ



というわけで、記念印はご自慢の大梵鐘でした。



見どころが多くて嬉しすぎました。

常滑のお寺最高‥🙌



75. 65番 神護山相持院
愛知県常滑市千代丘西四丁目66番地
令和5年11月20日参拝参拝
常滑駅から割と近い商店街の中でした。
近くに「やきもの散歩道」とか「見守り猫とこにゃん」みたいな映えるとこもあるんだけど、この日は車から見上げただけ。



門前のお茶屋さんの抹茶スイーツが美味しいよと聞いて散々盛り上がってたのに定休日でした‥。

泣いてもいいですか‥。

@七福弘法茶屋


なかなか思い通りになりませんが、まあ、知多四国がメインなのでね。



大小お堂が並ぶ境内。

友達は無言でお手洗いへ直行、わたしは諸堂へ。

他の友達でも到着したらそれぞれ散らばって散策して帰る頃にまた合流する、というパターンが多いのでわたしに問題あるとは思ってないのです。

これに慣れず観光地ではぐれてる間ずっとわたしを探して終わったと激怒する人がたまにいる。

そんな時は笑顔で「探したよ〜」って言う(・`◡´・)



屋根の上で金刀毘羅堂を守る天狗!

破損していますが本当は鼻高天狗のようです。



もう一体の天狗も破損しています。

もしかしたら剣を手にしていたのかも?

逆光の中で一瞬だけ雲がかかった隙に撮った写真なので細かいところまで見えないのが残念。



弘法大師お誕生日から1,250年の回向柱。



異様に静かですね‥。

静かなのはここだけじゃないけどね。



体調不良にて‥。

施餓鬼を中止する程なんてよっぽどだからアレだけど、できれば『当寺は病気平癒に霊験あらたか!』と言ってほしいよなぁ。



(´;ω;`)ブワッ

お寺の行事と札所対応を気にかけていらっしゃる。



全然!押印なんてセルフで結構です。

なんなら知多四国はセルフ押印がデフォだと思ってるので、お気になさらず!です。



腰痛を和らげるために努力されているあれこれ。

〆の〝我慢せず積極的に休む〟これはわたしもすぐに実践しようと思いました。

仏さまから得た言葉ではなく痛みに耐えながらご自身で切り開いた答えなのでしょう。

宝全寺は曹洞宗の寺院です。



セルフできれいに押せました。

記念印は天狗さん。

屋根を見てなかったらなんだこりゃでした。



お大事にどうぞ。



74. 64番 世昌山宝全寺
愛知県常滑市本町二丁目248番地
令和5年11月20日参拝
駐車場からも圧倒されてしまう大きな木。
創建時に植えられたと伝わる樹齢600年のイブキです。



高讃寺で聞いた話の続きがこちらにも。
西阿野村の御嶽山三百坊が荒廃したことに嘆いた養春上人が南坊本尊の十一面観音を現在地へ移したことに始まります。
文明元年(1469)常滑城主水野監物忠綱が城の鬼門にあたる補陀落山観蓮寺六坊を再建し、本坊の大善院に新たな十一面観音を寄進したそうです。



家康ともご縁があるという新聞記事。

大河効果はあったのかしら?

住職がファンキーなのはもともと焼きもの作家を目指して常滑にきた方と聞いて納得。



本堂の屋根が改修中のようで痛々しいです。



すんごい大きな屋根瓦を寄進しました。

それでも千円だったような気がします。




記念印は稚児大師。



住職と楽しくおしゃべりした後はかわいい根付をいただきご機嫌で帰ってしまったのですが、境内に牛頭天王が祀られていたらしい。

もっと丁寧に散策するべきでした。




73. 63番 大善院
愛知県常滑市奥条五丁目20番地
令和5年11月20日参拝
高讃寺から車で5分くらいでした。
弘法堂は駐車場直結。
てっきりこぢんまりしたお寺で滞在時間が短いかと思ったら境内が上下二段式だった。
納経所は下の層‥というか、本堂があって、主層は下だったのね。



どんなお寺かと思ったら高讃寺と同じ話が。

天文6年(1537)の兵火で御嶽三百坊の仏像は池に沈めたり田畑に埋められたりして難を逃れ、御嶽池の改浚で出現した阿弥陀如来をおまつりするため弘治元年(1555)建立されたのが洞雲寺だそうです。



そうそう、こういうの見たかったのよ。

常滑焼の香炉でっか!(比較対象は湯呑み茶碗)

香炉台は土管のリユースです✨



「見上げて如来」あるいは「見上げての弥陀」

立ったまま拝むとなんだか目をつむっていらっしゃるような‥忙しい人に話しかけてるような気分。

それではしゃがんで拝んで如来〜🙏



目が合って仏さまとの距離がグッと近づいた感じします !(゜д゜)

あ‥すごく落ち着かないのは仏さまと言えど見下ろされるの苦手かもしれません(ドSの疑い)。



納経所に寧護(ねこ)大師のお札なるものが。

「ネコがお好きなんですか?それとも常滑といえばまねきねことか。」

今思うと過去イチくだらない事を聞いてましたw

「好きというか‥見たことありません?本堂にいらっしゃいますのでどうぞ」

わーい ヘ(゚▽゚ヘ) 本堂OKいただきました。



こりゃたまげたよ〜!∑(o'д'o)ハッ

名鉄で知多四国やってる人なら100%知ってるはずの超超超有名なネコ大師(お供えがカツ節でウケる🤣)。

とは言え本堂はちょっとしたまねきねこギャラリーになっててネコ好き疑惑は拭い切れません。



ほら、わたしも名鉄のチラシ持ち歩いてるよ。

徒歩巡拝ルートを参考にして勝手に歩いて巡拝してるわたしはバッヂもらえないのですが。

まさかこのネコ大師が実在していたとは!🙏



法然上人絵巻みたいのも見れてラッキーOK



記念印には寧護大師。
弘法大師お誕生1,250年の記念年に知多四国を盛り上げてくださったともなれば当然の抜擢!



そして、心に残ったお寺ではフリー参拝の帳面に本尊の御朱印をもらってるのですが、なんでだろう、寧護大師の御朱印をいただいてました。

書置きなのにもらってるというのはそれだけ寧護大師に心を打たれたのか。



赤茶っぽい庚申塔めずらしい。

常滑焼に使う陶土だったりして。




72. 62番 洞雲寺

愛知県常滑市井戸田町二丁目37番地

令和5年11月20日参拝

到着したと思ったら「ずげーから降りて見てきてみぃ」って言われたんですよ☹️

一度外に出てみたものの億劫がって「上まで乗ってくわぁ」と車に戻り南北朝時代の仁王像を見はぐってしまう‥。

友達の言うことは素直に聞いとくべきダッシュ



平成のガイド本ではここから見えてた仁王門が樹木ですっかり隠れてしまってる。

これはこれで雰囲気あるけど枝折れが発生しないかと余計な心配してしまう。



この写真は車参道だろうか‥(一部記憶喪失)。



さっきまでまわったお寺とあまりに違う景色!



前掛けが干してあるお堂を覗いてみたら (゜д゜)



千体地蔵さんが並んでた w(*゚o゚*)w

倒れてるお地蔵さんたち起こしてあげたいけど閉まってたからごめんなさいね〜🙏



高讃寺は天台宗(天台法華円宗)の寺院で本尊は聖観音菩薩です。

白鳳12年(684)天武天皇の勅願寺として行基菩薩が創建したと伝えられています。

現在地から北東1km三岳の地に天竺伝来の香木で聖観音ほか多数の仏像が彫刻されたそうです。



かつては300の堂宇を有する巨刹だったのが、天文6年(1537)織田・今川の戦火で堂塔末坊を失うなどして現在では南坊一坊を残すのみとなってしまいました。



弘法堂に富士登山記念の絵馬がかかっていて当時の山装備に注目してしまうね。

新素材とGORE-TEXをしっかり重ね着したところで山頂の厳しい寒さを耐えるにはちょっとでも信仰心がないと頑張れないのに天然繊維+藁は絶対きちぃ☆



絵面がいいから(と信じたい)か、どれもかなり雪の残る富士山が描かれています‥。

山開き後だとして雪崩の危険が‥三 (lll´Д`)ネェ



この半袖シャツ+もんぺの皆さんは富士山を目指してなくてカチカチ山or金時山 ハイキングのどちらかじゃないかしらね(金時山が有力)。



西国同行、どこのお寺でしょ。

成相寺ぽいー?



前の投稿で60番安楽寺がこちらの旧本尊を安置してると書きましたが、現在の本尊は鉈彫りの聖観音。

関東に多い鉈彫りの西限と見られているそうです。



本堂がっちり閉まってて仏さまは拝めなかったけど、この擬宝珠を見たらどうでも良くなっちゃった感じ✨

そうだ、わたしは常滑に来てるのだ〜。



推定樹齢350年超のツバキは常滑市の天然記念物に指定されています。

下の写真ではすごさが伝わらないよね。



これならどう。

近くで見るとこんなだからツバキだと思わなかった。
早く傷を直してもらえるといいですね。



高讃寺の御朱印です。




71. 61番 高讃寺
愛知県常滑市西阿野字阿野峪71番地

令和5年11月20日参拝

サムネイル
 

前から友達が言ってたのよ。

「歩きで常滑はどえりゃーで行くとき呼んでくれたら車出すでぇ」と。
常滑街道まっすぐで楽そうだけどね?
ちょうど出かける朝に連絡もらったので常滑に連れてってもらうことにしました。

海風ビュンビュンな常滑で知多四国の再開です。

半田から車で20分くらいでした。

丘陵部を抜けて常滑街道に出たあたりから生活感のある町並みがあらわれました。

大谷地区の番外曹源寺から行きますグー



金刀比羅堂は大谷港の舟運が盛んな頃に航海安全を祈願していたのでしょう。



他にも庚申塔・天神さま・役行者という信仰。



本堂左側の弘法堂に、いざり車というものが置かれていました。

足の不自由な男性が犬に車を引かせて巡礼していたら夢枕に出てきた弘法大師から「番外の御坊に参詣すれば難病が治る」とお告げがあり、翌日にお参りしたら歩けるようになったので車を置いていかれたそうです。

大正時代のお話です。



曹源寺の御朱印は最後の頁でした。



続いて58番来応寺。

曹源寺から200mくらいでした。



車を降りて、弘法堂をお参りして納経所へ。
預けた帳面は10秒以内に戻ってくる。
滞在時間ほんの2〜3分‥*(๑¯◡¯๑)



「本尊こくぞうさんなんだね!」

帳面を開いて気づく。



次の59番玉泉寺も200mほどで到着。

古い建物や石仏があってなかなかおもしろい参道だったような気がします。



左端の弘法堂の戸をガラガラガラ〜。

南無大師〜🙏



記念印がセンスいいよね〜。



実は番外さんから3か所連続で同じタイミングにお参りしてる女性がいて、こんな空いてるのに申し訳ないな〜なんて思ってました。

きっとあちらも気を使ってるのではないか‥。

いつもよりゆっくりと車に戻ったりして。



そして60番安楽寺。

車を停めたのは海がなんとなく見える高台。

正面に苅谷城跡が見えるというのは‥撮るべき写真がこれだったのかは不明です。



源義朝が身を隠した洞窟はどこですか‥。

下調べしない上に友達のペースでまわってるせいか野生の勘が働かないw



こちらの本尊阿弥陀さんは織田・今川の戦いで61番高讃寺から避難してきてそのまま安置されてるそうです。

本堂は閉まってました。



60番 安楽寺の御朱印です。

記念印は十三重石塔。



そんな感じで常滑で最初にまわった4ヶ寺はすべて曹洞宗のお寺さんでした。

これで70か所目となりますが、知多四国は番外含めて全98か所なのでまだまだこれから( ´︵` )

常滑シリーズもしばらく続きます。



67. 番外 金鈴山曹源寺(厄除け大師)

愛知県常滑市大谷字奥条155番地

68. 58番 金光山来応寺

愛知県常滑市大谷字奥条27番地

69. 59番 萬年山玉泉寺

愛知県常滑市大谷字浜条5番地

70. 60番 大光山安楽寺

愛知県常滑市苅屋字深田20番地

令和5年11月20日参拝

常福院から南吉生家へ行くのに八幡さまを通り抜けで使わせてもらいました、というお話を。

他にも道はあるけどこれが一番近道だったのです。

南吉生家までの案内がセットなのも通り抜けは公式ルートと考えていいんじゃないかと思いますw



細かく言えば山車庫の横から入ってきたけど形式的に正面の鳥居から入った風で進めます。

|*・ω・) 貫が出てないから神明鳥居なんですね。
はじめはそんなこと気にもせず。



手水舎にかわいいタオルがかかってた。

花菱に二つ巴は西組、橘と三つ巴は義烈組。

岩滑地区の山車組です。



そんで狛犬がたくさんいるのね。

実は大きな社殿が八幡さま、

右の脇殿みたいのが神明社の拝殿というか中門というか、朝早すぎて開いてないけど戸が開くと神明社の賽銭箱が置かれた奥に社殿が建っています。



創建年代は詳らかではなく、元和年間(1615-23)の棟札を最古としています。

御祭神は応神天皇神功皇后宗像三女神

中山家略記によると「元は神明社が本社なりしが、中山勝時の岩滑を領せし時、伊勢神宮から御師 初穂の徴収に来れるより、中山氏これを忌み、自ら一寄進を以って八幡社を建設し、以て其初穂を謝絶せり。」

中山さまのやんちゃエピソードなの?✨

😆もっと詳しく知りたい!

御福車(西組)と八幡車(義烈組)


この辺の人からしたら普通なのかもしれないけどこの二社が境内社として並んでるのは熱い✨

 ㊧知立神社(三河二宮)  ㊨熱田神宮(尾張三宮)



お稲荷さんは当然の豊川吒枳尼真天✨



そして、愛知県に息づく秋葉信仰がここにも!

秋葉三尺坊大権現✨



いろんな自販機が増えてきてるけど消防団員募集中の広告は初めて見た😆



このあとはすぐ近くにある南吉生家を見学して常福院へ戻りました。
あ〜、半田は春まつりの時期ですね。
もしも元気があればどこかへ出没したかったけど起きれなかった ( ´︵` )

 
サムネイル


◆岩滑八幡社

愛知県半田市岩滑中町7-80

令和5年11月20日参拝

あれは美浜町の喫茶店だったと思いますが、本棚の新美南吉作品集を取って作者の生涯年表を読んだ。

生まれて間もなく亡くなった兄の名前「正八」と名付けられることから始まる波乱万丈な29年の人生。

さみしげな世界に温もりを探しているような空気感は大正から昭和の時代背景と複雑な生い立ちにあったのかも‥と心を打たれて数カ月後にゆかりの地を訪れることになるとは夢にも思わず。



岩滑(やなべ)とは成岩村と常滑村の合併で出来たなんとも難読な地名です。

半田をうろついた9月半ばに彼岸花の名所として有名な岩滑の矢勝川堤に辿り着けなかったとしょんぼりしてたら友達がくれた写真がこちら〜。



足元のタイルが案内板だった。

お目当ての常福院と南吉生家は同じ方面でとても助かる。



常福院は浄土宗西山派の寺院で本尊は阿弥陀如来。

永禄年間(1558-70)徳川家康の母方叔父にあたる岩滑城主中山勝時によって創建されました。

水野信元の妹(於大の妹でもある)婿となり岩滑城へ入った中山勝時がのちに中山城に居城を移したので跡地に寺を建てたということらしい。

山号は強そうな甲城山 (゜д゜)



「ごんぎつね」の冒頭から登場する中山さまとは中山勝時のことで、南吉は中山氏の子孫と家族ぐるみの付き合いがあったそうですよ。

中山城跡に新美南吉記念館が建っているというのもおもしろいご縁です。



中山氏に仕えた家老が植えたと伝えられる大ソテツ。

うちのソテツは見事に枯らして捨てるのにノコで刻んで袋に詰めて大騒ぎした思い出が ( ¯−¯ )



墓じまいコーナーの手前に建つ小さなお堂。



|ω・) 青面金剛が後ろ向きのサルみたいなショケラを持っているかわいい庚申塔でした。

石灰岩でしょうが屋根に守られて状態よし✨



石の阿弥陀如来ふっくらむちむち。



まだ時間が早いので近所を散歩しました。

常福院の斜め前に南吉の暮らした離れの跡(伊勢湾台風で倒壊してしまったそうです)。

生家とはおみおつけが冷めない距離です。



[ここでちょっと岩滑八幡社へ]


常福院から八幡社の境内を通り抜けて2〜3分で南吉の生家に到着しました。

中は意外と広いし半地下のお部屋があってなかなかいいおうちでした。

母親の病死、父親の再婚、生母の実家へ養子入りしてばーさんと二人暮らしからの出戻って実家の畳屋を手伝う、こんなに苦労した子供が学校の先生になるほど真っ直ぐ育つって奇跡じゃないかしら!



ひとまわりして常福院に戻り、御朱印は手漉き和紙の書置きでいただきました。

なんとなく貴重な和紙のような気がする。

「前は直書きしていたけど今は恥ずかしいから」とおっしゃる奥さんがかわいかったです。



こちらは〝直伝弘法〟の札所なんです。

お寺の奥さんによると、開創90年の時に先代が亡くなり、記念法要の合間に葬儀をするという大変お忙しかった記憶があるそうです。

※直伝弘法とは...
善通寺誕生寺貫主から四国直伝証をいただき大正14年(1925)に開創された知多四国とは別の八十八ヶ所。
なんと来年2025年は開創100年でないの!

 
サムネイル

南吉が遊びに来ていたのはお寺の境内が広かった頃で、常福院の整備が徐々に進み夏祭り会場が八幡社境内に移ってからは南吉の姿を見かけなくなったと先代の奥さんがおっしゃっていたそうです。

いろんな話を聞かせてくださり楽しい時間をありがとうございました。



常福院から車で10分程の北谷墓地という公営墓地に南吉の墓があると聞いてやってきました。



南吉は亡くなってからブレイクしたので親族はあわてて立派な単独墓を建てたそうです。

すぐ横に元の墓石らしきものが置かれていました。



養子になった新美家ではなくて渡辺家が改葬したのですね。

多蔵とは南吉の実の父です。

 

  法名 釈文成 俗名 正八 

  昭和18年3月22日歿 行年31才

  童話、詩、小説の作家 歿後名声高まる

  昭和35年12月 親子 渡辺多蔵   隆一



新美南吉は名誉などいらないから教師を続けたいと日記に書いていたそうです。

彼の作品で日本中の子供たちが学習していることを伝えてあげたい🙏✨



◼️甲城山常福院

愛知県半田市岩滑中町七丁目23

⬜︎北谷墓地

愛知県半田市柊町四丁目207-16

令和5年11月20日参拝

何度も近くまで来てるのに行きたくても行けなかった神社が阿久比にはたくさんあります。

途中でどこか寄ってもOK!と言われて阿久比神社を選んだのは土地勘ゼロでも重要な神社とわかる社名だもの〜。



延喜式神名帳に記載される知多郡三座の一つ 阿久比神社(あぐいのかみのやしろ) の比定社です。

尾張国神名帳には〝従二位英比天神〟と記載されています(延喜式と違って熱田さんがトップに載ってるやつ✨)。



社伝によると、第23代顕宗天皇の2年(だいたい5c)に開囓神(あきくいのかみ)を祀り創建されました。

その後、大化4年(648)に猿田彦大神天津彦命瓊々杵命を合祀、天平神護元年(765)には八幡大神宗像三女神が合祀されました。

延喜20年(920)英比丸(!)が60間四方の社地を寄進して社殿を造営、没後の天徳3年(959)に英比丸が合祀されて、平安時代末期は英比天神と称されたというわけです。



あら、阿形さんがもっこり狛犬よ ((๑ ́ᄇ`๑))

騒ぐ程ではないけどまあまあ人並みのもっこりだったような気がします。



社務所を訪ねたけど応答なし〜。

本務神社でいただくスタイルかもね。

御朱印はいつかまた‥ドクロ



赤い屋根の末社は左から秋葉神社、八幡神社、多賀神社、松尾神社、山の神。



とても立派な御霊神社は地域の戦歿者でしょうか。



現地でぼんやり見上げただけの大塔婆は、あとで写真をよく見たら祝聖文の一番上に〝南无阿弥陀仏〟とありまして、阿久比では毎年秋分の日に百万遍念仏が行われるそうです。

宗派を超えた信仰「阿久比谷虫供養」は愛知県の無形民俗文化財に指定されています。

  >南无阿弥陀仏 奉修 天下和順.日月清明.風雨以時.災厲不起.国富民安.兵戈無用.崇徳興仁.務修禮譲 虫供養宝塔成




◆阿久比神社

愛知県知多郡阿久比町阿久比北下川49

令和5年11月20日参拝

引き続き知多四国がメインの旅になりますが、阿久比で目をつけてた英比丸関連の天神社に途中で寄り道していきます✨

久松寺洞雲院へお参りして久松松平家の先祖が英比丸と知ってから天神さまに行く機会が増えてます。

前から好きなのもあるし、こうして狙って行くのもあり偶然もあり。

99.9%勝手に訪ねてるだけなのに見知らぬ土地との縁を繋いだつもりになって喜ぶのも楽しいじゃん。



創建は天暦9年(955)、英比の土豪菅原雅規(幼名英比麿)が、幼少期の住居跡に祖父菅原道真を祭神とした神社を建立したことにはじまります。



明治5年(1872)明治政府が社寺合併の方針を全国に発布すると、天満宮は明治11年(1878)6月に白沢字北根の八幡社に合祀されました。



『一日も早く元の場所でお祀りしたい』

郷人は昭和8年(1933)本殿跡地に石碑を設置するなどして跡地の保存に努め、

昭和63年(1988)念願の遷座式を行うことができたのでした。



阿久比では英比丸夫妻の像を代わり番こで祀ってく回り地頭という信仰が明治まで続いたそうで、英比丸が建てた天神さまは一入なのです✨



◆北原天満宮

愛知県知多郡阿久比町白沢天神裏5ー1


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

なんかここ何年かでたくさん知人に不幸があって全然元気出なかったんだよね。

そんで4/4は自分にたまたま禍い重なってドッカーンと落ち込んでた。

でぶなのにご飯も食べず一生懸命ふてくされてたらめずらしく友達からじゃかじゃか連絡あって気づいたら元気になってた🤣

いつも適当に生きてるからたまにドン底気分味わってある意味気分転換になったわ。

自分が努力しないで元気出るとか、なんなら落ち込んでたことも話してないのに明るく照らしてくれる友達は偉大。