令和3年4月26日参拝
春の福島競馬で医王寺特別ってあるよねぇ!
お寺の名前が記憶に残ってて現地では内心激アツだったんだが。
「ちょっと!?福島で医王寺ってことはまさか!え、えぇ!🤭 !」 ⇐ 的なw
寺号標には醫王密寺と。
ふむふむ、密教、真言宗のお寺なのね〜!と入っていくと鳥居があって郷社貴船神社。
お寺の境内に神社本庁傘下らしき神社があったんですね。
多分白和瀬神社の兼務神社かと思います。
では山門横の受付に御朱印帳をお預けしていってきまーす(拝観料300円)
信夫荘司 佐藤基治、継信•忠信の菩提寺
佐藤基治は奥州藤原氏の家臣で、
一族から女性を送り込み外戚関係を結ぶことで奥州との信頼関係を築き(それだけじゃないと思うけどw)荘園管理を任されていました。
参道の突き当たりが薬師堂(奥の院)です。
まずは本堂へ。
時世的に?山門の受付で本堂拝観についての案内はありませんでした。
佐藤一族のお位牌とかあるならひと目だけでも見たかったのですが🙏
醫王寺は真言宗豊山派の寺院で本尊は大日如来です。
天長3年(826)開基弘法大師作の薬師如来が祀られたことに始まります。
信仰心の篤い基治は信夫を治めるにあたり醫王寺を整備して佐藤一族の菩提寺と定めました。
源義経の家臣として
ここで出てくるのが源義経。
父の源義朝が平治の乱で敗北したため鞍馬寺に身を寄せていましたが僧侶になることを拒み親戚を頼って平泉入り。
奥州藤原3代秀衡は義経を歓迎します。
しばらくして以仁王と源頼朝の旗揚げを聞きつけた義経は加勢のため平泉を出発すると言う。
そこで佐藤基治は義経をお守りするようにと継信・忠信兄弟を同行させましたが二人が信夫に戻ることはありませんでした。
㊥義経 ㊨継信 ㊧忠信
合戦で平家滅亡に大きく貢献した義経は朝廷より官位を授かると、
これに頼朝が激怒して義経に追討命令が出されてしまう (´・ω・`)
行き場を失った義経を迎えてくれたのはやはり奥州でした。
義経は弁慶とともに平泉へ向かう途中に基治と会い佐藤兄弟の武勲を伝え、
醫王寺に参籠して追悼法要を営みました。
その頃平泉では「義経を頼むよ‥」と言い残して3代秀衡が急死、
奥州藤原4代泰衡は源頼朝から義経について再三詰められて頭を抱えておりました。
義経その後は平泉中尊寺にざっくりと。
さて、鯖野薬師堂です w(*゚o゚*)w
やだ‥ あっちもこっちも灯籠がひっくり返ってるじゃない。
今年は2月に福島県沖が震源で震度6強の大地震があったっけ。。
お地蔵さまも w(゚0゚*)w
鯖野薬師堂
本尊は弘法大師作と伝わる薬師如来です。
元は飯坂温泉の鯖湖湯を発見したという鯖湖親王(御正体不明)を祀るお宮だったという説もあります 🤔
桜がきれいでした!
絵馬のように括り付けられた石はどんな信仰なのでしょう??
五輪塔は無事なようです。
中に鉄棒が入ってるのかな?
スリムな五輪塔ステキね。
こちらの大きな板碑が佐藤基治公と乙和御前、佐藤継信・忠信兄弟の墓石です🙏
乙和の椿
お墓の左に生えてる椿の大木は佐藤兄弟の母乙和子の悲しみが乗り移ってるかのようにつぼみのまま落ちてしまうとか。
あ〜 癒された♪( ´▽`) 最高。
気分いいとこで参道にお寺の方がいたのでお話したかったけどこんな時なのでペコリだけ。
マスクの下は笑顔なのに伝わらないのさみしいねぇ。
子育て地蔵さんにさようなら〜
いただいた御朱印は奥ノ細道三十三霊場の27番。
そして出ました菩提寺の副印〜 ヘ(゚▽゚ヘ)
■瑠璃光山 醫王寺(医王寺)
福島県福島市飯坂町平野寺前45