文知摺観音 普門院(福島市) | ハニーちゃんがゆく!

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令和3年4月26日参拝

到着は15時30分頃で時間的に本日最後のお参りかな、というつもりでいました。

15時で閉まっちゃうお寺さんもたまにあるし緊張感が走る時間帯ですね。

ミ( ゚д゚) 拝観受付にどなたもいなくてもう終わっちゃったのかと思ったら職員さんが走ってきた。

👩‍💼「お参りですかぁ!」

🙍‍♀️👩‍⚕️「お参りなんです〜♡」

👩‍💼「たった今!観音堂閉めちゃったのよう!」

この日は風が強かったから仕方ないね。



観音堂は宝永6年(1709)の建立で、

安洞院3世が一万人の浄財をもとに改修し、

もとは南向きだったのが明治18年(1885)の整備で西向きに直したそうです。




行基菩薩作と伝わる観音像は33年に一度だけの御開帳で次回は令和31年(2049)‥。

生きてる自信がありませんし生きてたとしても意識はないでしょうw




目が慣れないかとしばらく穴を覗いたけど無理だったー。



 (๑°ㅁ°๑)ハッ‼

多宝塔があるじゃない!!

これは楽しみだけどこの石段は急だね。



いくらかゆるい石段の先に土蔵造りの三十三観音堂兼経蔵がありました。
観音像を安置する様になったのは安政4年(1857)から、
仏師は会津若松の法橋守行師。



こちらは開いてまして、

キンキラキンの西国三十三観音がずら〜っと並んでおりました🙏



さてさて、

観音堂が閉まってるというショッキングな出来事も吹っ飛んでしまった多宝塔がこちら手



文化9年(1812)建立、

関東以北には10棟ほどしかない多宝塔のうち東北唯一という塔は正面の唐破風とカラフルな組物が可愛い (n´∀`n)



大きな岩のひとつひとつに伝承があるとこさすが福島県なんですけど、
下の大きいのが文知摺石または鏡石と呼ばれるもので手前のは綾形石(別々の木杭あり)なのでしょうか、
他に人肌石なんてのもありました。


磐座的な性格があるかは不明ですけどね。
デカイ岩ってのはなんだか心惹かれるものです。



最後にお地蔵さんで和んだ (๑"ᴗ"๑)

ずっと見ていたくなるゆるいフォルムw

なんだこりゃ〜。



文知摺観音の御朱印です。
信達2番は聖観音さんなんですね〜。


■文知摺観音 普門院

福島県福島市山口文知摺70


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福島市で見かけたマンホール。

図案は阿武隈川に飛来する白鳥です。

福島市岡部、岡島地内の山口地区農業集落排水事業地区にあるマンホールということで、

あまり聞き慣れない農業集落排水ってなーにって話ですが汚水は汚水でも生活排水だけが対象という下水道とは似て異なるものなのでした。