〔秩父22番〕永福寺 童子堂(秩父市) | ハニーちゃんがゆく!

ハニーちゃんがゆく!

ひたすら寝てる人 たまに遠くへ行く

令和3年11月28日参拝

巡礼ではなさそうな人の車が停まっていたのは今考えると城ファンだったのかも。

永福寺の辺りは永田城跡といって空壕など遺構が残っているらしいの。

秩父巡礼+城跡めぐりも楽しそう。




ここの仁王さん何とも言えない可愛さ。

仲良く揃いのポーズで ( *˙ω˙*)و グッ!


童子堂は真言宗豊山派の寺院で本尊は聖観音菩薩です。

草創には平安京を取り巻く怨霊騒ぎが絡んでいたようなのです ♪( ´▽`)

第50代桓武天皇の第三皇子にあたる伊予親王が反逆の首謀者として川原寺に幽閉され自害、

のちに無実が判明して一品が追贈され御霊神社の祭神に祀られるとやがて神泉苑御霊会や祇園祭といった大きな祭礼に発展するわけですが、

同じ頃に秩父でも伊予親王の菩提を弔うためにこのお堂が建てられたということになってます。




開山は桓武天皇の孫にあたり慈覚大師円仁の弟子となった遍昭僧正と伝えられています。

はじめは天台のお寺だったのですね!

おそらく郷に天災・疫病の流行などをはじめとする凶事が起こり、

秩父の桓武平氏があらゆる手立てを使い遍昭僧正あるいは一族の僧侶を招いて開山したのではないでしょうか。



元は清水谷という山奥にあったお堂だったという話もあります。

参詣者の便宜をはかり延喜年間(901-922)に府坂地区蒔田村に移転すると、

子どもたちの間で流行した天然痘がたちまち完治したことから童子堂と呼ばれるようになったとか。

サムネイル
 

こちらに限らずお寺の銘板に平気で誤字あるし、観音堂と別当寺の縁起がごっちゃでどっちの話かわからん。

正史と照らし合わせてわたしなりにまとめてみたけどどうだろう。

それから幾度かの修復を経て明治43年(1910)永福寺の管理下となり現在地に移転します。




逆光を味方にした撮影技術がないもので、

同行者さんのお力を拝借してなんとか本堂の撮影に成功!

ありがとうございました〜 ひらめき



元禄15年(1702)再建当時の装飾がすごい。



扉の彫刻がおもしろそうなんだけど閉まってる時が完成形なので開いてると後ろ向きなのね。



隙間からそ〜っとのぞき込むと風神さん?

扉が閉まってるところも見てみたいなぁ。



御朱印は永福寺でいただきました。



割とどーでもいいのですが、

このイロハモミジに心打たれてしまった。

紅葉の見頃はとうに過ぎていて葉が落ちるのも時間の問題といった状態です。



あちこちの寺社でよく見かける木なので年間通して観察しており愛着があります。

葉が青い時に咲いた赤く小さな花がプロペラ型の種になって葉とともにだんだん乾いて落ちていくという、

ここで最終形に近い姿を見れたことに感動してしまうのです。



童子堂の前の藤棚が気になるので扉の彫刻のこともあるし、

覚えてたらまた来たいな〜と思います。



童子堂の御朱印です。




■華台山童子堂

埼玉県秩父市寺尾3600