願行寺(上田市) | ハニーちゃんがゆく!

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令和4年1月8日参拝

上田たび最後のお参りです。

本堂と一体化しちゃって見えてるけど実は四脚門(上田市指定有形文化財)がありまして、

通称大門と呼ばれてきたそうです。



その大門に掛かる功徳山の額を揮毫した増上寺大僧正在禅とは、

文化5年(1808)芝増上寺55世に就任し晩年は芝妙定院に隠居したという、

うちの近所で活躍していたお坊さんでした。




願行寺は海野幸義が開いた海野郷(東御市本海野)の一寺としてはじまりますが武田軍に攻められ焼失したのちに仮堂の形で幾度か再建を繰り返し、

元和7年(1621)城下町整備で現在地に移転してきたという慌ただしい経歴のお寺さんです。

近年も上田の発達のために苦労されてます。

大正14年(1925)上田丸子電鉄の開設に伴う大門通り建設工事で本堂を取り壊して四脚門を移設する事となります。

その後は戦争が始まるなど混乱の中で本堂再建計画は大幅に遅れ、

平成13年(2001)本堂庫裏の竣工に至りました。




知らんぷり 鰐口が見慣れたものと違う感じね。



裏から見ると想像してない形してた気づき

これって銅製の釣り太鼓なのでしょうか?



願行寺は浄土宗の寺院で本尊は善光寺式阿弥陀三尊(秘仏)です。

内陣の阿弥陀さんは前立ちさんです。

大きなお念珠は「十夜法要」で使います。



善光寺式阿弥陀三尊像は寛永2年(1625)から秘仏となり「十夜法要」に参加する檀家さんだけに御開帳されているそうです。

なんでも時の住職が善光寺式を安置してるのがもったいないと思っちゃったので新たに本尊を迎えたそうです。

なんか分かる、、

保存用と見る用みたいなことでしょうw

㊧銅造善光寺如来立像三尊像

㊨三尊仏(前立本尊)


疲れてたのか昔の瓦が即身仏に見えてしまったのよね。

寺紋は梅鉢紋です。



願行寺5世は菅原道真公の末裔ということでご先祖さまを勧請したのでしょうか。

境内に天満大自在天神宮 👀

ちなみに近くの天神町という地名は高田藩主の屋敷神だったという駅前の小さな上田天満宮に由来しているそうです。



願行寺でいただいた御朱印です。

左は「こんなのもありますよ〜」といただいたものです。

九度神社の御朱印に似てる〜!と思ったけど実際のところ竈門か香炉かは分かりません。



願行寺は松平家墓所を管理しているとのことで道を渡って反対っかわの墓所で見学させていただきました。



一歩入るといきなり状態良好な石もの♡

大きなお地蔵さまもすごいけど、



大きな青面金剛と二十三夜塔の凹彫りがおしゃれだから。



そしてどこからやって来たのか二十三夜塔にちょこんと乗ったお地蔵さま。

口を強く結んで合掌を胸に押し当てる姿が心に響きます。



この辺りが松平家墓所です。

東日本で見てきた松平家のお墓は神式が多かったのでだいぶ違うな〜というか。



真ん中に建つのが大彰公髪歯塚。

藤井松平家8代、

上田藩6代藩主松平忠固のお墓です。

開国に大きく貢献した方みたいですよっ。



江戸にも墓所があるらしいので覚えてたら行ってみようっと。

そんな感じで自分みやげに日本酒飲み比べセットを買って帰りました。

家で飲まないのでお料理に使ってます。




■功徳山弘誓院願行寺

長野県上田市中央2-16-14


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・どーでもいいはなし

東京へ帰る前に上田駅の観光案内所へ寄った。

15時を少し回った頃だった。

「八日堂縁日の帰りですが、他に上田のイベントなどを教えてほしい」

また上田に来る理由がほしかった。

「次は節分ですかねぇ、特にないです。」

は? わたしは耳を疑った。

ねぇ、いろんな上田が見たいの。

上田にまた来てほしいと言ってよ。

「八日堂縁日しかないですか?」

「そうですねぇ。」

ウソつくんじゃねぇ。

・道祖神まつり(各地域)

・御柱祭(各地域)

・祇園祭

・上田わっしょい

・百八手(雨乞い祭)

・岳の幟(雨乞い祭)

その祭りで披露する三頭獅子やささら踊りは500年も継承されている。

それだけじゃない、

・安楽寺の国宝八角三重塔

・別所温泉

・鹿教湯温泉   その他いろいろ

訪れる観光客に一番近い案内役があれでは上田にリピートする人いなくなっちゃうね。

上田また行きます。