令和4年8月26日参拝
〝寄り道〟の〆がこちらでした。
石船神社 ⇐ なんと読むでしょう?🤔
わたしは記紀の読み過ぎだから いわふね と読みましたがコチラでは いしふね です。
てっきり物部氏の神社かと‥w
御祭神は石舩明神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)です。
なぜここが寄り道の〆かというと雛鶴神社(1)と(2)の関連でした。
鎌倉から護良親王の首級を運び出して力尽きたという雛鶴姫伝説はどうしても悲劇の雛鶴姫に注目してしまい、
(それで首級はどうなったの?)と言い出しにくかったのですがやっぱり続きがあった。
家臣によって小室浅間神社に移されしばらく隠してあったとか葬られたとか、
とにかく一時期は所在不明となっていた首級の在処を宮司が明らかにしたという話が残されています。
石船神社の本殿には護良親王のものと伝わる復顔首級が御神体として安置されているようです。
頭蓋骨に金銀箔を押し、
梵字を墨書きした上に寄せ木細工で肉付けするという我が国最古級の復顔技術なのではないかといわれています。
この日は普通にお詣りしただけですが、
いつか御神体の公開日に来てみたいです。
覚えていたら。
鬼さん
で、
どうして山の中に住吉三神なの、といったとこなんですけど、
南朝大覚寺の鎮守社である五社明神の内訳が伊勢両宮・八幡・春日、そして住吉。
摂津は舟運が盛んだから海上安全の神をとても頼りにするわけですが、
後醍醐天皇から皇統を受け継いだ後村上天皇は在位中に住吉大社への行幸を重ねていて、
最後は晩年過ごした住吉行宮で崩御していることも関係しているような気がしませんか。
本殿:左後方から
また、住吉三神といえば武神ですからこのような石碑が建っています。
忠魂碑と力士旭山(地元力士)の碑
土俵あります!
集え甲斐の力持ち!
あとは小さな祠がいくつかありました。
ちょっと残された基壇が気になる。
本殿の後ろにも二社。
細工がおもしろい手前は石祠の前がガバッと開いてました。
素盞嗚尊でした👀
疫病が流行ったのでしょうねぇ。
三社ともおもしろい神社でしたっ。
さ、次はいよいよ目的の‥!
■石舩神社(石船神社)
山梨県都留市朝日馬場442
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・どーでもいいはなし
🥺 すご〜く美味しいうどんを食べたの!
吉田うどんはただ堅いだけの食べものと思ってたけど違った。