令和4年8月26日参拝
到着は14時半頃でした。
当日は『吉田の火祭り』で、
どうせなら神事から見学したいね〜と早めに出てきたのが結構いい時間になってました🤣
担ぎ手さんたちのリラックスした様子からしてまだ時間に余裕あるような気がします〜。
参道のはじに転がってる松明がどのタイミングで起こされて火が焚かれるのか?
その辺の話は追々と *(๑¯◡¯๑)ノ
10年前に来た時は横っちょの駐車場から入ったのでこの参道を歩くの初めて
杉並木に石灯籠、
見えるものに圧倒されながら歩きごたえのある300mでした。
御祭神:木花開那姫命・彦火瓊瓊杵尊・大山祇神
日本武尊が大塚丘で富士を遥拝したと伝えるように古代は麓から見て拝む神体山だったのが、
平安時代に入り噴火を繰り返す山として畏れられると朝廷は浅間大神と称して祀ることを決定しました(恐ろしい力には味方になっていただこう!という御霊信仰と同じパターンですね)。
やがて富士山を拠点とする修験僧が現れて浅間大神の本地仏は大日如来であるという信仰が起こり、
富士登拝を目的とした独自の教義を持つ富士講の登場‥!
富士講開祖の角行が立ち行をしたと伝えられる石が参道に残されています 👀
腰掛け石ならぬ立行石とは!
そもそも角行という名前は角材の上で立ち行をしたことに由来しているそうです(・・;)
角行から6世孫にあたる村上光清は各地で寄進を募り享保18年(1733)より6年に渡る大規模な境内整備を行いました。
吉田口登山道の起点を再興したことで富士登山が盛り上がり関係各所の相互利益率がup!
明治初年の神仏分離令で仏式が取り払われると浅間神社が富士山信仰の中心として‥あとは政治的な話になりますね
大鳥居の高さ18m!
随神門の向こうはすごい人でした。
例年よりは少ないのかもしれませんが。
みんな拝殿に向かって三脚立てたりして神事に備えてる感じなんだよね。
*・ω・) とりあえずお詣りしたけどどこにいたらいいのか分からなくてすみっこで待ってたらお連れさんが発見してくれました☆
この状況でも御朱印対応してると聞いてさっそくわたしも授与所へ (๑′∀ ‵๑)
授与所は拝殿の脇なので殿内を覗いたり彫刻を見学してたらすぐに番号を呼ばれちゃったわ。
御朱印は3種類いただきました。
真ん中の諏訪神社(摂社)は北口本宮創建より前からの鎮守さんとされていて、
吉田の火祭りは諏訪神社のお祭りなので火祭り㊞はデフォなんですけど、
北口本宮に鎮火祭㊞は祭限定ですね 😙
こんな紙を挟んでいただいてました。
大塚丘から神使の猿と富士を遥拝。
雲に隠れた富士山が初めて姿を見せたのが庚申の年だったそうな。
大和朝廷が東国に進出したのが庚申で日本武尊が酉年に神去る、ということかしら?
この隙に諏訪神社の方に行っておく。
すでに高天原と呼ばれる空間は慌ただしくなってきてます ε(๑´▽`๑)ɜ
諏訪神社に用意されてる神輿が二基。
奥の明神神輿に浅間大神と諏訪大神、
手前の御影神輿には浅間大神の荒魂が遷されます。
次回は神事の様子をひとつ。
つづく。
◆北口本宮冨士浅間神社/諏訪神社
山梨県富士吉田市上吉田5,558