[三浦地蔵尊25番]海宝院(逗子市沼間) | ハニーちゃんがゆく!

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令和5年5月24日参拝

船越から逗20逗子駅ゆきバスに乗って5駅-5分、

火の見下で降りたら線路を渡って徒歩4分とアクセスよし‥のはずが迷った迷った☹️!

多分普通は通らない道からなんとか到着〜。


 

静岡県吉原市保寿寺の末寺で、天正18年、徳川家康の代官長谷川七左衛門長綱の開基。家康が失火により一寺院を消失した際、難を逃れた本尊・十一面観世音菩薩を、旗下の長綱に命じて守護させたのが始まり。[三浦地蔵尊公式より]

海宝院は曹洞宗の寺院で本尊は十一面観世音菩薩です。

長峰城主瀬尾氏によって建長5年(1253)に創建された良長院という曹洞宗寺院がドブ板通りの近くにあって(元の寺域はベースだと思いますが)、

天正期に荒廃していたのを代官が再建したというわけなんです。




本寺の保寿寺とは駿河吉原(現在の富士市)にあって、

その辺りでは大蛇に生け贄を捧げる儀式があったのを徳川家康が保寿寺の和尚さんに命じて大蛇を退治した(=生け贄の風習をやめさせた)と伝えられているとか。

吉原は何度か移転しています。

川がよく氾濫していたから水神を鎮めるために生け贄を捧げてきた地域だったのが川の付け替えでもしてその必要が無くなったとかでしょうか。

生け贄供養の神社が六王子神社


(話を横須賀に戻します)

家康の江戸入府でその保寿寺から2世を引っ張ってきて再建されたのが前出の良長院なわけですが、

富士信仰が強かったか、

あるいはホームシックになっちゃったんでしょうね、

富士山が見えるところに移転したいと願い出て現在地に寺を移して海宝院と改称したそうです(のちに良長院旧地には良長院が再興されます ヤヤコシ)。

下の富士山は東海道新幹線からの写真ですが、

吉原湊と呼ばれていた田子の浦辺りなので保寿寺2世が愛した富士はこれなんじゃないかと気づき



火災を免れて当初から残っていると言われてる茅葺きの四脚門がこちら。



知識ないけど禅寺というと獅子林なイメージ。

こちらの場合は裏山のこと?



だんだん曹洞宗っぽい感じになってきます。

白山妙理大権現


海宝院では本堂に上がれなくて御開帳のお地蔵さまを近くで見れませんでした。

本堂内の撮影はOKだけど仏像の撮影はNGとちょっと難しい条件だったので堂内の写真なし。



まあ、

レーシックのおかげでめちゃくちゃ目がいいもんですみっこにいるキンキラキンのお地蔵さまはしっかり見えました🙏



御開帳は半跏思惟のお地蔵さまでしたが御朱印にはお立ち姿のスタンプが👀

子育て地蔵大菩薩!?



三浦地蔵尊の札所に選ばれてるお寺に関わりの多い代官長谷川七左衛門長綱の墓が海宝院にあったのに行ってないのが悔やまれる。


これにて三浦地蔵尊の巻はしばらくお休みとなり再開は12年後の御開帳 😭

普段からお参りできる札所があれば行ってみるつもりです。



■長谷山海宝院

神奈川県逗子市沼間2-12-15