2018年5月5日(土)に、明治安田生命J1リーグ第13節、前年度J1王者の川崎フロンターレと、かつてガンバ大阪を三冠に導いた長谷川健太氏が今シーズン監督に就任したFC東京の、通称「多摩川クラシコ」が、等々力競技場で行われます。

多摩川クラシコで注目すべきは、昨シーズン、4シーズン所属した川崎FからFC東京に移籍し、今シーズン、僅か1シーズンで川崎Fに復帰した、2013年〜2015年シーズンの3年連続Jリーグ得点王、大久保嘉人の存在でしょう。
2013年に川崎Fに加入以降、昨シーズンのFC東京所属時も含めて5シーズン連続多摩川クラシコで得点を挙げており、今シーズンも得点が期待されています。

今回はその大久保が僅か1年で川崎Fに戻る決断をした事を受けて、「1年で古巣に戻る事は悪なのか?」について書いてみようと思います。

◯何故大久保は川崎FからFC東京に移籍したのか

そもそも大久保は何故4シーズン所属していた川崎Fから、昨シーズンFC東京に移籍したのでしょうか。

2013年にヴィッセル神戸から川崎Fに移籍して以降、3シーズン連続でJ1リーグの得点王に輝き、現在も更新中のJ1歴代最多得点者にもなりました。
中村憲剛、小林悠、大島僚太らチームメイトにも恵まれ(特に森谷賢太郎、新井章太、登里享平とは仲が良い)、チームを離れる要素はどこにもなかった筈です。

では何故大久保は川崎FからFC東京に移籍したのか。
それは、チームがボールを繋ぐ意識が強くなった分横パスが増え、加入当初であればボールが回ってくるタイミングで回って来なくなった事に不満を抱いたからです。
更にそのタイミングで、当時FC東京のGMで、大久保の母校であるサッカーの名門、国見高校の先輩に当たる立石敬之氏から熱意ある獲得の意思を示されたそうで、大久保は慣れ親しんだ川崎Fを離れ、FC東京への移籍を決断したのです。

◯大久保がFC東京で苦悩した事

鳴り物入りでFC東京に加入した大久保でしたが、28試合に出場して8得点。ピーター・ウタカと共にチーム最多得点を挙げたものの、川崎F時代の4シーズン全て2桁得点を挙げていた事を考えれば、物足りない成績でした。
更に夏場に故障で戦線離脱したり、シーズン終盤の安間貴義代行監督体制時にスタメンから外れるなど、決して良いシーズンを送ったとは言えませんでした。

何故大久保はFC東京で活躍が出来なかったのか。それはチームメイトとの「フリーの定義」が違ったからです。

川崎Fでは、側から見ればマークに付かれている状態でも、僅か5mでも相手とのズレが出来て入れば、それは「フリー」となり、普通に速いパスが出てきます。
ただ、FC東京では例え大久保が敵を外している状態だと思っていても、「マークに付かれている」と認識し、サイドへのパスに逃げてしまいます。
そうなると大久保にボールが回ってくる回数は自ずと減ります。大久保がボールを受ける為には、中盤まで下がらなければならなかったのです。

更にFC東京では得点を奪いに行くというメインの仕事以外にも、中盤まで下がってボールを受けて味方に預けたり、決定的なパスを出したりと、攻撃の組み立てやチャンスメイクまでしなければならない、川崎Fで言えば中村憲剛や大島僚太が担う仕事までしなければならなかったので、単純に仕事量が多過ぎて、得点を奪う事に集中が出来ませんでした。

そして大久保がFC東京で苦悩した決定的な理由が「サッカー観の違い」でした。

大久保は自分自身やウタカ、永井謙佑らアタッカーの選手を多く獲得したのは、チームの得点力を上げる為だというクラブのフロントが求めている事を理解していました。ただFC東京では2014年〜2015年にチームを指揮していたイタリア人のマッシモ・フィッカデンティ監督(現在はサガン鳥栖を指揮)が植え付けた守備意識と「ウノゼロ(1-0)の美学」に染まっている状態でした。

そういった環境の中で大久保は「俺に出せ!」「前に出て来い!」「サッカーをやろうよ!」と叫び続けたのですが、既存のチームメイトは

「嘉人さん、FC東京はそういうやり方じゃないんですよ」

と、最後まで大久保と目を合わせる姿勢を見せませんでした。
既存のメンバーからすれば

「あなたがウチのやり方を理解して合わせて下さいよ」

という思いで、大久保に嫌悪感を持った選手もいたと思います。

ただ、サッカー選手としては日本人でトップクラスの賢さを持つ大久保です。FC東京のサッカーを理解した上でよりアタッキングマインドを高めようと口うるさいくらい声を上げ続けたのだと思います。

チーム全体の目が揃わなければ組織として強固になりませんし、試合にも勝てません。
それは一般の仕事でも一緒だと思います。
FC東京は最後までチーム全体の目が揃わず、篠田善之監督や暫定的にチームを率いた安間貴義コーチもチームを1つの方向に纏められないまま、13位という優勝争いとはかけ離れた成績に終わってしまいました。
FC東京のサポーターであれば受け入れ難い成績だと思いますが、側から見れば納得の低迷だと思います。

今シーズン、長谷川健太監督が就任して、中盤から前でボールを奪って速攻から得点を奪う(長谷川監督曰く「ファストブレイク」。元々はバスケットボールの用語)スタイルでチームの目を揃えて上位に付けている状況を見ていると、もし昨シーズン長谷川監督が就任していたら大久保はもしかしたら輝きを放てたのではないか…と思わずにはいられません。

◯古巣の良さは離れてみて分かる

FC東京のチーム力で得点力が上がれば優勝出来ると信じていたであろう大久保は、チームの変わらない姿勢に対して落胆し、悔しさを覚えたと思います。

そんな時に古巣である川崎Fの試合を観て、純粋に川崎Fのサッカーを「面白い」と感じたそうです。

大久保の様に新しい環境で不満やストレスを抱いた時、不満を抱いて出ていった環境が実は今よりも恵まれていたと感じた事がある人は少なからずいると思います。
というか僕が今現在そういう状況です(笑)。

それに今までいた環境を離れてみると、外側から今までいた環境を見られる分、内側にいた時に感じられなかった事を感じる事が出来て、良さを実感出来るというのもあるかもしれません。

◯1年で古巣に戻る事は「悪」なのか

そして2018年、大久保は川崎Fに戻って来ました。
中村と共にチームを牽引していた2016年までとは違い、川崎FはJ1のディフェンディングチャンピオンであり、小林悠、谷口彰悟、大島僚太の3人が「幹」となっているチームなので、大久保の現在はかつての「不動のスタメン」では無く、「ベンチ入り時々スタメン」という序列です。要するに特別扱いはされていない状況です。

大久保が古巣に戻る、しかもJ1王者となった古巣に戻るという事は、自分自身がチームの王様ではない事、ゼロからのスタートとなる事を受け入れなければいけないのです。

更に外側からの批判の声と戦わなければいけません。
「裏切られた」という思いを抱くFC東京のサポーターはもちろん、只でさえ中村憲剛、家長昭博、小林悠、阿部浩之、長谷川竜也と、昨シーズンの優勝に貢献したキャスト達が前線に揃っているにも関わらず大久保を呼び戻したチームに対して「貴重な移籍金を払ってまで今のヨシトを獲得する必要があるのか?」という川崎Fの一部サポーターからの批判にも向き合い、「結果」で黙らせなければいけないのです。

1年で古巣に戻るという事は、ゼロからのスタートになる事、サポーターからの批判の声に向き合う事、この2点を受け入れる「覚悟」が必要です。
特に自分が王様として君臨していた、王様としてまではいかなくても、ある程度地位を築いて来た環境に上記の覚悟を持って戻るというのは簡単には決断出来ない筈です。

大久保も川崎Fの庄子春男GMから「戻ってこないか?」と再獲得オファーを提示された時、相当悩んだと思います。
ただ、それでも大久保が戻る決断をしたのは「同じ目でサッカーがしたかったから」ではないかと推測しています。
全員が目を揃えてボールを動かし、その中で得点を奪うために自分の持ち味を出す。FC東京で1年間出来なかった事が出来るのは、やはり川崎Fしかないと思ったから、自分が置かれる立場が厳しいスタートになるのが分かっていても戻る決断に踏み切ったのではないでしょうか。

今シーズン、大久保はCF、トップ下、左サイドと前線の複数ポジションで、主に途中から、時折スタメンとしてプレーしています。
リーグ戦では現在2ゴールは挙げていますが、シーズン当初はコンディション面を含めて決して本来の実力を発揮出来ているとは言い難く、鹿島アントラーズ戦あたりからようやく状態が少し上がって来たかなという感じです。

大久保はかつて川崎Fに所属していた時のような味方に吠えて厳しい要求を求めるという姿を川崎Fに戻って来てから殆ど見せていませんし、メディアを通してチームのサッカーに苦言を呈す事がありません。
当然チャンピオンチームのサッカーに対するリスペクトや現在置かれている自分自身の立ち位置というのもあるでしょうし、鬼木達監督が求める事に応えようと自分自身に必死だからというのもあると思います。
ただそれ以上にチームメイトと目を揃えてサッカーをする事に楽しさを感じているのかもしれません。

個人的には、1年で古巣に戻るというのは決して「悪」ではないと思っています。

もっと成長したい、環境を変えたいと思って新しい環境に身を移しても、周りとスタンスが合わない、上司や既存のメンバーに理不尽な事を言われる、マンパワーと作業量が一致していない、あと単純にスキルが合わない、そういっあた理由で上手くいかないケースはあります。

そういう状況を変える為に、慣れ親しんだ場所に戻るというのは、確かに覚悟は必要ですが、自分を守る、自分が生き続ける為にはあるべき選択肢ではないかと思うのです。
川崎Fに戻ってきて以降の大久保の充実した表情を見て、そう強く感じました。

なので個人的には大久保が下した決断に対して批判は出来ません。
むしろ自分自身の今後に向けて参考にしたいと思っています。

それだけに今シーズンは大久保にとって充実したシーズンになる事を強く願いたいです。