今人です。


 

梅棒ブログではありますが、自分が所属する…いや、していた劇団「ゲキバカ」の事を。

 

 

 

大阪はABCホール、そして東京芸術劇場シアターウエストで行われました、

ゲキバカ大千穐楽「ごんべい」

ゲキバカの解散公演でした。

 

本日、本当の千穐楽が終わりました。

 

 

これで、解散です。

 

 

龍役と拳役

 

 

2つの役で、精一杯舞台上で生きました。

 

浪花、江戸A、江戸Bの3バージョン。

いずれかの班しか出れない劇団員もいたりする中、どちらの役でも鬼組として演じることができて

とても嬉しかったですし、恵まれたポジションでした。

 

 

 

全てのバージョン、まとい役の杏奈ちゃんと一緒に。

 

 

 

 

 

 

解散公演、稽古が上手くできなかったら一生後悔すると思い、演出助手もやりました。

 

とはいえ、3班での構成、ごんべい衆を含めたら50人以上の大所帯。

稽古スケジュールを組むのがとにかくとにかく大変でしたね。

 

 

 

連日朝から晩までみっちり稽古。

帰って泥のように眠る日々。

他の現場と兼ねることなく、完全にゲキバカだけに集中できた日々というのも、本当に何年振りかのことで、充実の毎日でした。

 

 

3班全てに出演することができた自分は、たくさんの皆さんと一緒にごんべいの物語を生きることができて。それぞれの違いを享受できて、とてもとても幸せでした。

 

 

浪花の鬼組

 

 

江戸Bの鬼組

 

 

江戸Aの鬼組

 

 

他にもたくさんの客演さんがいらっしゃって

特にリスペクトがやまないのがごんべい衆のみんな。


本当に過酷な公演期間だったと思いますが、誰1人欠けることなく走り切れたことが本当に嬉しいです。

 



 

僕がこの劇団に入ったのは、確か2004年。

 

日本大学の芸術学部のダンスサークルの活動に全てを注ぎ込んだ自分が

ダンスサークルを引退し、さて、きちんと役者業をせねばなるまい。

と選んだ劇団が、ゲキバカの前身である「劇団コーヒー牛乳」でした。

 

 

ダンスサークルをしながら、

なんなら、大学一年生の時に結成した梅棒の活動は続けながら、

この劇団の門を叩きました。

 

ちょうど20年になるんですね!

 

 

僕がこの劇団を選んだ1番の理由は、この3人がいたからです。

 

 

 

西川康太郎

鈴木ハルニ

石黒圭一郎

 

大学で1学年上の代の3人。

1番近い先輩で、親しみやすく、追いかけやすかった3人。

 

 

康太郎さん

 

 

派手で声デカいカリスマ性の塊。康太郎さんには、後輩がみんな憧れました。

主役を張ることが多く、康太郎さんみたいになりたいってずっと思っていました。

劇団生活で、1番話したし、1番遊んだのが康太郎さん。

まだ下手だった頃の自分の片鱗に気づいてくれて、カッキーさんに「今人ならこの役やれますよ」

 

って勧めてくれたりしたのが康太郎さんでした。

 

 

それと対をなすような、まっすぐで器用で、でもおっちょこちょいなひざさんこと石黒圭一郎さん

 

 

僕を1番怒ってくれたのがひざさんです。いいかげんで不義理な自分をいつも正してくれました。

劇団では康太郎さんの対になる裏主役を担うことが多かった。

ひざさんが俳優を引退した時に、「ひざさんの分まで、絶対に演劇を続けるからね」と伝えたのはまだ覚えていて、今でもひざさんの分を背負って演劇をやっているつもりです。

今でも少し離れたところから常に気にかけてくれているとってもあったかい存在。

 

 

ハルニ

 

 

結果的に、自分が1番追いかけて、1番影響を受けたのが、ハルニ。

愛を込めてハル兄ィと呼び続け、バカみたいにふざけ合って、弟のように甘えて、僕がハメを外しても必ず拾ってくれました。本当の兄貴のような存在。

3人の中では三枚目的に脇役で支えることが多かったけれど、ある時突如俳優として覚醒し、アドリブも含めた無敵の度胸でお客さんをぶん回す存在に。

自分が目指す道はここだと思った時から、自分も伸びたのを感じました。

ハルニが主役を演じた「おぼろ」を、再演で演じることができたのはいい思い出です。

 

 

タカさん

 

 

僕が大学1年生だった時の4年生。

つまりは、梅棒もたくさんお世話になっている演出家の松崎史也さんの同級生。

色気と男気。江戸っ子ど真ん中のアツさを人としても俳優としても持っている人で

舞台に立つととにかく華があり、ぶつかり合うとその熱にあてられてこっちも熱くなっちまう、そんな人。

 

先輩ではあるけれど、自分より後に劇団に入ったのもあり、自分のことを「今くん、今くん」と呼んでくれて。偉そうにすることは全くなく、すごく仲良く可愛がってくれて、ここ数年は僕がいじり倒す関係に。笑

タカさんの当て書きで出来上がった龍という役を、最後は僕の方が多くのステージ数演じさせてもらうことになって。ありがたく思うと同時に、愛を持って超えてやるという気持ちで演じました。

結果超えられたかどうかなんてわからないけど、タカさんと違う龍を精一杯演じられたと思ってます。

 

 

 

キクチユウタ

 

 

1番の弟のような存在。

普段からいじっていじっていじり倒して、芝居の中でも絡むことは結構多かった気がしています。

自分が演じた役を彼が再演で演じることが多かった分、口うるさかったところもあったと思う。

彼に対して1番先輩ヅラした気がします。

彼が苦しんでるところも、何かを掴んで生き生きとしているところもたくさん見てきました。

昔の自分を見ているようで、それだけに思い入れの強い後輩。

 

 

志村倫生

 

 

梅棒のことも知ってくれてて、梅棒のナンバーにも参加してくれたり、最近ではセプロミにも出てくれたり。

初期は彼が苦しんでる姿をたくさん見た記憶があります。真面目な彼はそれでもとにかく歯を食いしばって食らいついていた印象。

ある時、外部出演をして帰ってきたら、見違えるようなイケメンに仕上がってて驚いた記憶があります。度胸満点の芝居になっていて、こんなに一気に成長するもんなんだと。

おぼろで相手役として長尺の殺陣を交わしたのは無茶苦茶いい思い出。楽しかったなあ。あの殺陣の視界と記憶はまだ残っています。

 

 

豆鞘俊平

 

 

静かでおとなしく見えて、誰よりも熱い気持ちを持っている彼。

解散公演が決まってから、劇団に向けて投げかけた熱い言葉の数々は今でも覚えてます。

真面目で記憶力もすごくて裏仕事も信頼感抜群で、それだけに劇団の仕事が彼に集中しがちで、たくさん負担をかけました。最後に彼と一緒に演出助手として近い距離で関われて楽しかったし、イタジとの大暴れは一生物の思い出です。

 

 

伊藤新

 

 

1番新しい劇団員として入ってきた彼。

彼が入ってきてからのゲキバカ に満足に参加できず、解散となってしまったのはとても悔しく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

でも、最後に銀之助役として、彼の才能と力強い演技を堪能することができてとてもよかった。

稽古終盤に急激に仲良くなれて、毎日ご飯を食べて帰れて楽しかったなあ。

アドリブの中ではありましたが、舞台上でほんのちょっとだけでも彼とやり取りができて嬉しかったです。個人的でよこしまな動機でアドリブぶっ込みましてすみません。

 

 

山咲和也

 

 

浪花だけではありましたが、彼と兄弟分役を演じることができました。

タイマンでやり合った時、負けないぞ!という気持ちを起こさせてくれる役者というのは何人かいて

西川康太郎や一色洋平などもそうなんですが、

彼の場合は、力強いラリーを打ち返してくるというよりは、無限の吸収力で懐に入れられてしまう感覚。

「受けの能力」こそが演技において最重要だと思う自分は、そのすごさ、恐ろしさが痛いほどわかる。

こんなに素晴らしい俳優が、一定期間だけでもゲキバカにいてくれたこと。そしてそんな彼と兄弟分役としてやり合うことができたことは、とてもとても幸運でした。

ゲキバカに所属した期間があったことで、彼がこの先大成できなかったなんてことは許されないので、この先、この才能の存在を、声高らかに叫び続けないといけません。

 

 

 

そして

 

柿ノ木タケヲ、カッキーさん。

 

 

最初の7,8年は、全然役が貰えなかった。

 

下手くそな自分に無理矢理役を書いて当ててくれてるのが本当に悔しかったし、俳優としての自分が、柿ノ木作品になんのプラスにもなっていないことが、ひたすら申し訳なかった。

ある時から、カッキーさんが自由にやらせてくれるようになった。ワイルドターキーくらいからかな。

多分、ハルニの背中を見て追いかけて、段々と得たものがあったのかと思う。

 

自由に演じていいんだって。面白ければいいんだって。

それから主役もやらせてもらって、良い役どころにも置いてもらえるようになった。

 

柿ノ木作品にプラスになれている気がして、ものすごく救われた気がします。

振り付けに関しても全然口出しすることなく、全面的に信頼してくれて、それも嬉しかった。応えなきゃと必死だった。

最後の公演は、演出助手として少なからずカッキーさんの力になれた気がして、その点も満足感があります。

 

 

演劇で、やっちゃいけないことなんてないんだ。

ってことを教えてもらいました。

 

演劇で、本当にやってはいけないこと。

それも教えてもらいました。笑

 

 

裏で支えてくれた制作の浅倉さんも

スタッフとしてだから表立っての絡みはあまりなかったけれど、時に喧嘩したり、時に馬鹿なこと言い合ったり、海外で遊んだり。

浅倉さんみたいな制作もいるんだって、目から鱗でした。

今後どんな制作さんと出会っても驚かないと思います。笑

 

 

 

2012年以降

自分の団体である梅棒も舞台公演を行うようになり

自分が命懸けで守らなければいけない団体ができた分、ゲキバカに参加できる頻度も減っていきました。

 

自分が、カッキーさんやたくさんの先輩に教えてもらってきたこと

たくさん芝居でぶつかり合って、引っ張り上げてもらえたこと

 

自分が出ているゲキバカの公演を観て、ゲキバカに入ってきてくれた後輩たちがいるのにもかかわらず

 

自分が上の人たちにしてもらったことを、後輩にしてあげられていない状況がずっと歯痒く

申し訳ない気持ちがずっとあって

そうしたうちに解散が決まってしまって

 

 

それを払拭できる数少ないチャンス

 

最後の最後の「ごんべい」で

ようやく少しだけできたような気がしてます。

自己満足なのかもしれないけれど。

 

 

 

こんなに仲がいいのに

こんなに面白いのに

なんで解散するんだ。解散しなくていいじゃん。

 

そんな声もいただきます。

 

 

でも、解散するから、これが最後だから
これだけ一つになれたんだとも思ってます。


空中分解したり、フェードアウトしてしまう団体もあったりする中で

ゲキバカらしくって、いいなあって思います。

 

 

 

 

梅棒で僕の演出する作品をご覧になって、

その後にゲキバカをご覧になってくださった人は

 

僕の根底にゲキバカイズム、柿ノ木イズムが脈々と息づいているということをわかってもらえたと思います。

 

 

梅棒では、踊りは気持ちだ。なんて言いますが

芝居は気持ちだ。なんですよ。ゲキバカこそまさにね。

 

 

 

 

 

今回、ご来場いただきました皆様。

ゲキバカを知って、一度でも観にきてくださった皆様。

 

 

今後は、ゲキバカのメンバーそれぞれの活躍を応援していただくとともに

自分が放つ作品の中にも、ゲキバカイズムを感じてもらえたら幸いです。

 

 

 

 

2024年3月10日。

伊藤今人の人生、一つの大きな節目として。

 

 

ゲキバカが大好きでした!

ゲキバカの一員として過ごすことができて、本当に幸せでした!

 

本当にありがとうございました!