西暦2014年段階の佐藤篤代(2)
西暦2014年12月28日:日曜日

【自分発信・自分受信】とは

本物:佐藤篤代がブログに日常的要素を採り入れてツッコミするようになったのは、【A・Course・in・Miracles】の内容レベルでではない。【A・Course・in・Miracles】レベルにいただけではやっていなかっただろう。
【A・Course・in・Miracles】の本道を歪みなく追究していくうちに、どう考えても本物:佐藤篤代の偽者がいるとしか説明がつかない状態になっていったからだ。

無論、偽者な最初の内は本物:佐藤篤代も【人間レベル】の考え方で考えていたので、同じ世界で、同じ世界の政治、経済、歴史、ニュース、出来事…全てが共通の要素の中での偽者かと思った。しかし、どんどん【人間レベル】では説明がつかなくなり過ぎて、【異世界レベル】で偽者がいるのだと考えるようになった。

どう考えても、偽者達は、同じ世界の政治、経済、歴史、ニュース、出来事ではない為に、本物:佐藤篤代の領域で取り繕わなくてはならないので、見せられるものが「異世界に合わせたいのか?」的な内容を組み込まれていった。
その異常をツッコミすると、辻褄を合わせなくてはならなくなったかのように取り繕いを見せられた。

テレビの内容、ドラマ、マンガも含めた読んだ書物内容、日常的に目にする全ても同様に、偽者達とは異なる内容だと気づいた。

【A・Course・in・Miracles】の内容も各偽者の領域によって全く違う内容だとすら気づいた。本物:佐藤篤代が読んだ心理学よりも内容的に薄っぺらで浅いエッセイ的な内容の【A・Course・in・Miracles】すらあった。

最初の頃は同じ【A・Course・in・Miracles】を読んでいる筈なのに、なんで「神が自然を創造した」なんてあり得ない真逆のことを【A・Course・in・Miracles】教師が言っているのか、理解できなかった。

相当有名な教師がそんな【A・Course・in・Miracles】の内容の真逆を言っているのだ。
頭が狂ってるというよりも、余程受け入れ拒否状態に陥って、理解レベルで歪められてるのかと思った。

【A・Course・in・Miracles】の原文自体は皆同じで、受け入れ拒否状態に陥った者が歪んだ解釈を行うだけかと思ったいたのだ。

【A・Course・in・Miracles】の原文自体が各偽者の領域で異なる内容だからだなんて想像もつかなかった。

『偽者は複数いて、しかも【異世界レベル】にある』としか説明がつかなかった。

『何故か自分の偽者がいる』と気づいてから、それを証拠づける連続により、自分【本物:佐藤篤代】の事実提示によって『偽者崩し』になると気づく経験が生じていった。

その事実提示には、日常的な出来事を含めた知覚し経験した全てが有効だと気づいた。それ故に、日常的な異常内容をツッコミするようになった。そしてそれをブログにも書くようになった。

始めた当初は仕組みなんかわからず、自分【本物:佐藤篤代】の事実提示をすることで、何故か偽者崩しが出来るのだと漠然とわかっていただけだ。
その連続的な経験から、全偽者の領域へ生じる『芋づる式漏れ』に気づいた。

本物:佐藤篤代の事実を再利用して全偽者を限界へ持っていくエゴとは正反対の作用があることに気づいたのだ。

何故、本物:佐藤篤代の事実が偽者崩しになるのか、それはこの作用による『芋づる式漏れ』により、エゴが作り直しの連続で最後に作らざるを得なくなった偽者が本物:佐藤篤代だからだと考えた。

最後に作られたということは、その最後の偽者で終わりになるから、他の偽者を限界へ持っていく再利用手段となり得ると考えたのだ。

そこで、知るべき全てが巡りめぐるのだと解る。発祥はエゴが作った全てにはない。どんな個体、個々の存在にもない。
全てを終わらせようと作用する何かが、全てが終わる為に知るべき全てを最後の偽者で知り、言わせる(書かせる)ようにエゴに作らせる。

これで全てが終わる為に知るべき全てを、エゴが作った全てを一切特別にさせずに、知らせ知ることができる。
一切特別性を生じさせずに知る仕組みだ。発祥ではなく、知り知らせる個体は単なる知らせる道具以上の価値はない。

知り知らせる個体は、単に見聞きしてきた全て、知覚してきた全てをそのまま提示するだけだ。それだけで、後はその全てを【終わる為に作用する何か】が再利用して、全偽者の領域を限界へ持っていく手段とする。

知り知らせる個体は他者(あらゆる他の存在)に知らせるのではない。ただ、可能な知らせる手段を見出だし提示するだけだ。後は異世界レベルでの【終わる為に作用する何か】の作用の采配。
故に実質的に知り知らせる個体は単なる手段であり道具に過ぎない。
この仕組みでは特別性は生じさせられない。

特別性を生じさせるだけの、『他が在る・他は現実』とさせるだけの、他を助けようとする『神の教師』とかアセンディッドマスター的な存在は不必要なのだ。

知るべき対象は、エゴが作った舞台を見せられている観客的な状態に在る。故に、個体である本物:佐藤篤代が、全てが終わる為に知り知らせるという舞台がエゴにより作られ、その舞台を見せられている対象がいるわけだ。
その対象を本物:佐藤篤代では「1つの自己」と呼んでいる。この「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは異なる。

他に知らせる必要など、どこにもなかったのだ。自分が他を救う、助ける、真実を知らせるとなる状態では、『他は現実』でしかない。何かが特別になる状態は避けられない。

だから、本物:佐藤篤代は『自分受信・自分発信』と書いている。
『他は無い』からだよ。
本物:佐藤篤代のブログにおいて『他は無い』。

西暦2014年12月28日:日曜日
佐藤篤代



この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしたブログだ。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。






西暦2014年(年号:平成26年)
午(馬)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
A Course in Miracles セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:原本自体が歪みそのものだと気づき、訳すと更に歪みがひどくなり広がっていくと気づいた為。
1回既に訳して内容を知っているので、再度敢えて訳す必要性に疑問を感じ、続行か否かは検討しやめた。
要するに、「A Course in Miraclesも他の全ての存在する(未来も含)本も同じ、真実ではあり得ない、エゴの手段であると気づく為の1手段にすぎないと気づくために、再度訳したのだ」という結論に至っている。

A Course in Miraclesの原書はこの佐藤篤代が言うことの歪みでしかないので、最初の頃だけでブログ投稿はやめた。同じ理由で日本語訳は絶対にインターネット掲載しない。意味がない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、やり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだった。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2014年3月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2014年)。
佐藤篤代
生年月日:西暦1976年1月17日
(※西暦2014年で38才)
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。



メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2014年現在)

佐藤篤代

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