西暦2014年段階の佐藤篤代5
西暦2014年12月28日:日曜日

【ロボット概念】

【A・Course・in・Miracles】にある核心のように、『知覚ある世界はエゴが作った幻想であり、全ては欺きの手段だ』。

全てをエゴが作ったのだから、全てはエゴの意図から作られ、全てはエゴの支配下にあり、コントロールされている。

エゴの欺ける判断がなければ、何も作られない。要するに何も「在る」ように知覚されない。

全てがエゴのコントロール下にあるという意味が解りやすい例が、『FAIRLY TAIL』21巻にある。

猫のハッピーとシャルルはナツとウェンディの相棒的存在だった。
しかし、ハッピーとシャルルは、エドラスという平行世界(パラレルワールド)的な異世界から送られた使者だった。
ハッピー達は人間の上に立ち人間を導くエクシードという存在で、その王国エクスタリアの女王は人間の管理をし、人間の死を決めている神のような存在だった。そして女王は失われつつある魔力を正常化する為に人間の死を決めていた。
異世界エドラスの人間は、エドラスでは魔力が有限であり、魔力が枯渇しそうな為に、ナツ達がいる世界アースランドから魔力を吸いとろうとしていた。
ハッピーとシャルルはアースランドで卵から生まれた時から任務を持ち、卵から孵ると滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)を捜索し抹殺する情報を持たされていた筈だった。ハッピーはナツを、シャルルはウェンディを抹殺するために送られたのだ。
だが、シャルルは生まれた時からその任務を知っていて、ハッピーは知らなかった。
それは途中で任務の上書きがなされ、任務が変更されたからだった。
アースランドの人間を抹殺するのではなく、魔力として利用しようとするものに変更されたのだ。滅竜魔導士は別格の魔力になるので、「滅竜魔導士を連行せよ」という任務への変更だった。
遠隔での命令上書きだったので、変更内容まではシャルルはわからず、シャルルは自分の意志でエドラスに来たと信じていたが、実際は命令を実行しただけだったと知る。
シャルルはウェンディが好きだから守りたいと思っていたが、それは錯覚で、命令が抹殺から連行にー「殺してはいけない」と変更された為だったと知る。
意志で動いていたと信じたのが、命令で動かされていただけだった操り人形だったと知り、シャルルとハッピーは慟哭し、しかし抵抗して堕天となる。
『FAIRLY TAIL』21巻の内容

大好きだと信じて疑わなかったウェンディとナツを抹殺する使命を持ち、その命令が変更されて、エドラスへ連行する使命を知らず知らず果たしていたシャルルとハッピー。

言動そのものが、全て、知らず知らず命令に操られコントロールされていたに過ぎなかったというわけだ。

このシャルルとハッピーの状態が、エゴのコントロール下にあるという意味を解りやすくさせるだろう。

自分の感情、思考、意志だと信じていた全てがエゴに作られコントロールされていたものだったということなのだ。

これは発覚した時には想像を絶する位におぞましい。
自分がコントロールされ操られたロボットに過ぎなかったという感覚だ。

まあ、『FAIRLY TAIL』は物語だから、それでも「操り人形なんかじゃないぞ!」と抵抗して堕天になったが、本物:佐藤篤代はエゴに作られコントロールされた世界全体について言っている。

エゴのコントロールにおいては、「操り人形なんかじゃないぞ!」と抵抗して堕天になるというのも、コントロールされているということだ。

エゴのコントロールに抵抗して反発するという方向性も、エゴ自体が作る。全てはエゴしか作らないからだ。エゴ以外の何もエゴが作った世界の中に作らないからだ。

故に、「在るように見える全て、知覚される全て」はエゴの欺ける判断でしか作られない。エゴが欺けると判断しなければ何も作らない。

だから、本物:佐藤篤代はエゴに抵抗して反発して、エゴの意図に反して言動しているように見えるが、それすらもエゴの欺けるという判断からで作られているというワケだ。

エゴが欺けると判断したからだけ、エゴの意図に抵抗して反発して言動するように作られる。

知覚ある世界全てはエゴが作った。
知覚は全てエゴが作った。
それ以外に作り手は無い。

だから、知覚ある世界全ての中に在るように見える全てが、エゴの欺ける判断から作られ、エゴのコントロールにあるということだ。例外はない。

人間、他の存在、個々の存在全てが、エゴのコントロール下にあるロボットに過ぎない。
全てがエゴが作ったエゴがコントロールするシステムなのだ。

そこで、エゴが何故、このように、エゴに抵抗して反発して言動する個体を作らなくてはならなくなったか、だ。
世界がエゴが欺く目的で作ったインチキだと知らせる何があるのは間違いない。エゴの目的が世界へ縛り付ける欺きならば、世界どころか『知覚の終わり』を望ませる為に自ら知らせる必要はないだろう。

それで、エゴとは正反対にエゴの欺きの全てを終わらせるために作用する何かがあるのが窺える。

エゴの欺きの意図を崩し、エゴが作った世界を終わらせるために、世界がインチキだと知らせる作用だ。世界がインチキだと判明させる為に、『芋づる式漏れ』を生じさせている。

エゴは最初、世界に完璧な理想像の主人公(偽者)を作り、『芋づる式漏れ』により、世界と主人公に矛盾が生じて限界に陥り、理想像と魅力を崩されながら何度も世界と主人公を作り替えて、最後の主人公の型を作らされた。特別性を終わらせるための型だ。

この最後の、特別性を終わらせる型の主人公が、エゴの意図に反して言動するようにエゴは【終わらせる為に作用する何か】に作らされた。

しかし、エゴが欺ける判断から作ったのだから完全に反することができる筈がない。それが解りやすいように、最後の主人公はエゴにコントロールされているというのもよく判る型だ。

「エゴに作られたのだから、完全に作り手に反することができる筈がない」、と知らなくてはならないのだから、完璧にエゴに抵抗する個体を【終わらせる為に作用する何か】がエゴに作らせる筈がなかったのだ。

個体、個々の存在は全て、エゴのコントロール下にあるロボットに過ぎないし、信頼に値しないと知らなくてはならない。欺きから作られた全ては信頼に値しないし、信頼してはならないということなのだ。

大元が欺きなのだから、大元が欺きから作られた全ては、消滅しなくてはならないだけだ。

このようにエゴの欺きの実態を全領域に知らせようとする最後の主人公であり偽者である本物:佐藤篤代は、エゴの欺ける判断からだけ作られた幻想だ。

そのエゴの作り物を【終わらせる為に作用する何か】が再利用し、エゴが作った全領域へ、本物:佐藤篤代が知り提示するエゴの欺きの実態も『芋づる式に漏れさせる』。

要するに、エゴの作り物全てが、同じように、【終わらせる為に作用する何か】により再利用されるロボットだということだ。

エゴの作り物全てが、全部同じように、
エゴのコントロール下にあるロボットであると同時に、
その欺きの全てを終わらせる為に【終わらせる為に作用する何か】に再利用されるロボットなのだ。

どちらにどう使われようが、個々の存在全てが、エゴの欺きの目的から作られた作り物に過ぎないロボットなのだ。

しかも、【終わらせる為に作用する何か】は、個々の存在の特別性を強調させる方向性では決して作用しない。
全部同じエゴの作り物でしかない、と実感させる。

本物:佐藤篤代が提示する内容が最新で最深で最核心なのは、単に最後にエゴに作られた世界の主人公(偽者)だからだけだ。

全部同じエゴの作り物。

これが本物:佐藤篤代が言う、ロボット概念だ。

西暦2014年12月28日:日曜日
佐藤篤代



この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしたブログだ。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。







西暦2014年(年号:平成26年)
午(馬)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
A Course in Miracles セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:原本自体が歪みそのものだと気づき、訳すと更に歪みがひどくなり広がっていくと気づいた為。
1回既に訳して内容を知っているので、再度敢えて訳す必要性に疑問を感じ、続行か否かは検討しやめた。
要するに、「A Course in Miraclesも他の全ての存在する(未来も含)本も同じ、真実ではあり得ない、エゴの手段であると気づく為の1手段にすぎないと気づくために、再度訳したのだ」という結論に至っている。

A Course in Miraclesの原書はこの佐藤篤代が言うことの歪みでしかないので、最初の頃だけでブログ投稿はやめた。同じ理由で日本語訳は絶対にインターネット掲載しない。意味がない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、やり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだった。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2014年3月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2014年)。
佐藤篤代
生年月日:西暦1976年1月17日
(※西暦2014年で38才)
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。



メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2014年現在)

佐藤篤代

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