西暦2014年段階の佐藤篤代(7)
西暦2014年12月28日:日曜日

【完全な終わり】とは

楽と苦、光と闇、聖と邪、善と悪、平和と争い(混乱)、あたたかいとつめたい、癒しと病む…

エゴは最初、よいもの、プラスのみの世界を作っただろうが、問題が生じ、解決というものが必要になった段階から作ったのが、このような二極性がこの世界だ。

世界に混乱と争いがはびこっていれば、人々は平和を求める。

だが、平和すぎて何も刺激がなく退屈になると戦いを求める。

あたたかすぎれば、つめたいものを欲し、つめたすぎればあたたかいものを欲する。

両極の一方に偏りが生じた時、正反対の対極を求める傾向がある。対極が解決策になるからだ。

この二極性の世界もエゴが作った、エゴが支配する世界だ。
ということは、対極が解決策である状態下では、エゴが作った範囲内の解決策、要するにエゴの歯車にある証拠となる。

この二極性の中の対極の解決策の中にある限り、エゴの解決策の中にあるということなのだ。

二極性の中の対極の解決策では、一方の対極からもう一方の対極への移行であるだけだ。
それではいずれまた、一方の対極に偏ったが故に、もう片方の対極へ移行するのが解決策となる。

これでは両極を行ったり来たりするサイクルから脱け出せず、それは完全な解決ではない。

故に、完全な解決とは、この二極性の両極への移行するだけの解決策の歯車から脱することだと言える。

エゴの作った世界から脱するとは、少なくともこの二極性の解決策の歯車から脱するということなのだ。

だから、善、平和、癒しなどの解決は、二極性の歯車の中の解決策であるだけであり、真の完全な解決策ではないと言える。

二極性の歯車の解決策の終わりは、それ故に『知覚の終わり』だけしかもたらされ得ない。

善、平和、癒しの解決策により成し遂げられた状態は永遠ではない。必ず正反対の対極の問題が交互にやってくる。
それらは知覚だから、知覚の上での解決策は一時的なものでしかない。

知覚はエゴが作ったのであり、エゴしか知覚は作らない。

故に、知覚の上での全ての解決策は、エゴの歯車の中の堂々巡りでしかない、欺きの目的の解決策なのだ。

それ故に、完全な解決は、知覚の終わりとなる。

知覚とは感覚や思考や感情だけではない。意識ある状態、何かに気づいている状態が知覚している状態だ。

その知覚が完全に終わればもはやエゴは欺けない。知覚がなければ何も生じないからだ。

故に、知覚の終わりは欺きの終わりだ。
知覚が終われば後に何も残らないから、欺きは生じない。
これがエゴが作った幻想の終わりだ。

これが完全な終わりだ。

二極性の解決法が否定されると、「白」と「黒」の両極思考に限界が来ると「灰色(グレー)」の中間思考が台頭する。

『グレー中庸・中間思考』における取り繕いだ。

『中庸』は、二極性の解決策が堂々巡りの不完全な解決策だと徹底的に指摘されたから、妥協策として台頭しただけだ。

『中庸』では問題は残存されている。問題は完全消滅したわけじゃない。
【グレー中間思考である中庸】は問題を甘んじて受け入れて仕方ないと諦めてる状態だ。

心の問題にして、忍耐、成熟さで問題を超越しようとする方法などは、いずれ限界に達する。

『無の境地』ってやつだ。
だが、もし生まれ変わり等の輪廻があるという段階なら、生まれ変わってまた無の境地へ至る修行のやり直しだ。また、知るために学び、努力して修行のやり直し。

輪廻をやらないで、天国的な精神体としての何かをやっても、「天国の状態に厭きてまた人間をやる」とかいう説もあるし、永久に天国の状態にはいられない。

またやり直し。
必ずやり直し。

「問題の根元は別にあるから、いずれどんな天国の状態にも限界がきて、得たいの知れぬ罪悪感が生じてくる」という説もある。天国の状態にはずっとはいられない。

確かに、問題の根元は別にあり、それ故にどんな天国の状態にいても、必ず問題が生じてくるのは間違いない。

天国の状態は、エゴの欺きのアメ状態だからな。欺きのアメ状態は永久に続かないって意味なんだよ、これ。

どんな見せかけの解決策も、完全な解決を図れない。それ故に、いずれ必ず問題が浮上してくるというワケだ。

根本的な解決を図らない限り、問題の根元を解決しない限り、どんな表面的解決も、代替え策も、いずれまた根本的な問題が型を変えた新たな問題を生じさせる。

草をむしるとき、根こそぎ抜かないとまた草が生えてくるようにな。
これ何回も書いたよね。

『グレー中間思考の中庸』はこの根っこを残す問題解決策だから、完全な解決ではない。

問題を根こそぎにし、完全な解決を図れるのは、それ故に、『知覚の終わり』だけなんだよ。

エゴの欺きの全ての終わりは、『知覚の終わり』。

『知覚の終わり』では、問題も欺きも絶対に再発しない。
完全な解決であり、完全な終わりだ。

西暦2014年12月28日:日曜日
佐藤篤代



この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしたブログだ。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。




西暦2014年(年号:平成26年)
午(馬)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
A Course in Miracles セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:原本自体が歪みそのものだと気づき、訳すと更に歪みがひどくなり広がっていくと気づいた為。
1回既に訳して内容を知っているので、再度敢えて訳す必要性に疑問を感じ、続行か否かは検討しやめた。
要するに、「A Course in Miraclesも他の全ての存在する(未来も含)本も同じ、真実ではあり得ない、エゴの手段であると気づく為の1手段にすぎないと気づくために、再度訳したのだ」という結論に至っている。

A Course in Miraclesの原書はこの佐藤篤代が言うことの歪みでしかないので、最初の頃だけでブログ投稿はやめた。同じ理由で日本語訳は絶対にインターネット掲載しない。意味がない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、やり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだった。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2014年3月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2014年)。
佐藤篤代
生年月日:西暦1976年1月17日
(※西暦2014年で38才)
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2014年現在)

佐藤篤代

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